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五分前仮説のブランニューワールド  作者: 幾楽あくた


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死ぬよりマシなゾンビズム 19

「――さてっと」

 

 古御堂が消えた階段という名の奈落はどこまで続くのだろうか。知ったこっちゃないが静夜は半ば仕事を終えた気分で刃を握り、踏み出す。


 一歩。

 二歩。

 三歩。


 立ち止まる。

 目を瞑る。だらんと、全身を弛緩させる。

 一秒位の無音。

 隙だらけの静夜は逆に不気味で近寄りがたい。

 事実、掌の化け物共も静夜を囲うようにして近寄らないし、少女の紫色の瞳は嫌悪しながらも逸らすことなく動向をうかがっている。


 不気味さによる静けさであったが、それでも、均衡は崩れる。


【社内規約特記事項】


 部屋中のパソコンのディスプレイが一斉にこの文字を表示した。

 静夜はそれを気にしない。

 知っていたし、予想していたし、そうでなければおかしいと思っていたから。

 だから静夜は行動に移れる。


【現場判断を優先】


 止まっていた静夜が再び一歩踏み出したその瞬間である。

 掌が二つ、左右から静夜の首に噛みつくように飛びついたのだ。

 その膂力は強力であり、思い込みの激しい古御堂とは訳が違う静夜の脆弱な首と肉と骨は、一瞬で圧し潰され、血を弾けさせ、骨が折れる。


 そう、圧し折れるのだ。


 古御堂ならまるでダメージにならなかっただろうその攻撃で、静夜のような普通の人間の肉体の骨は折れてしまう。

 普通なら、それで取り返しがつかない事になり、死んでしまうだろうが、しかし静夜はその程度では死にはしない。


 折れても死なない男の首が折れれば、ただ一瞬意識が遠のく。


「……へへっ」


 静夜は意識が遠のいた事に笑った。

 そして二匹の掌は吹き出す血を浴びながら異変に戦慄いた。


「やっぱりなぁ。そりゃ怪物っつったら俺の事だよなぁっ!」


 この街の主ですら、初見では怨霊と見紛えたのだ。ならば見た目が鬼の古御堂よりも、中身が怨霊の静夜が怪物と判断されるだろう。

 散々静夜を殺す殺さないで揉めに揉めて、結局静夜を殺すという現場判断が勝ったのだ。侵入者である古御堂も殺そうという判断になってしまう可能性も十分にありうる。その時、どうせあの甘い古御堂がどんな選択をするかは解らない。解らないからには結局汚れ役は静夜が被るに限る。


 大丈夫だ。夢の中の赤ん坊は何度も見捨ててきた。現場判断とやらに負けて傀儡状態の子供を始末するくらい、今更だ。


【怪物を確実に殺す】 


 点滅して文字を変えるディスプレイ。静夜は嗤った。ゲタゲタと、ともすれば不気味に笑った。

 少女も掌共と同じ様に静夜の様子に怯える。

 それは破壊装置のスイッチの様なものなのだ。

 この嗤いは、果たして本当に静夜の声だったのか、自分を俯瞰した感覚で意識し始めた静夜には曖昧な感覚だった。


 意識の隙を、静夜の右手の妖刀は見逃さない。

 静夜の指に食い込み、骨を噛み、血を吸い続ける妖刀は静夜の体を支配し、そして結果にがっかりするのだ。

 体を奪えても、心を奪えていない事実に。

 故にその絶望と苛立ちの発露は八つ当たりという形で――寄生主に縋りつく雑魚どもを殺すに至る。


「怪物ァおっかねぇぞ? 精々逃げておくれよ。なぁガキんちょ」


 自分の体じゃないみたいに、体が勝手に動く。

 折れた首がゴキリ、ボキョと治り、首に憑りついていた掌二つに刺し傷が作られて地面に落ちる。

 意識の追い付かない動きを始める体。

 一歩踏み込むたびに足の骨が折れる程の加速をして、モルタルに罅が入り、追いすがる掌は悉く串刺しとなり地面に叩きつけられる。

 骨が折れて皮膚が破れる傍から回復する。加速するごとに飛び散ったコンクリ片で体に裂傷が入るがそれも元通り。


 一直線ではなく、部屋の全体を蹂躙するように、あらゆる生命に反応しているように駆け巡る。

 スチール机とパソコンを文字通り蹴散らしながら走る。

 唐突に飛び上がったかと思えば天井に足をつき、そして壁を蹴り、急ブレーキをかけてくるりと旋回。

 刺されてもまだ動く掌が列をなして静夜を追いかけ、追いつくと同時に切り裂かれる。


 なんとか静夜を掴んだ一つの掌も、刃物を持たない左手で握手をして潰していく。

 静夜の掌が本来出せない力を出した反動で歪な形になるがやはり数舜後には元通りだ。

 踊る様に部屋全体を蹂躙しつつ、時折消えて少女の眼前まで迫って刃物を振るい、そのたびに掌に阻まれ距離を取り直す静夜。


 今はまだ油断すれば掌の餌食だ。


 圧倒的にして一方的な攻撃に見えて一度でも動きを止めれば今度は一気呵成に静夜が叩かれる。攻め込んで無理と判断したなら逃げなければならない。

 この逃げるという行動の時のみ、静夜は暴れる体を制御するために気を強く持って体を動かし、無理矢理背後に飛びのいていた。


 何度となく繰り返し――


「あらかたぶっ壊したんだけどなぁ。やっぱ、あれかね?」


 半自動的に荒れ狂う身体に身を任せて、口と頭だけは切り離されていて呟く。


 視界の端にちらちら見える掌と少女以外の不自然な物。

 少女の身体に襤褸をとどめるのに一役買っている赤い紐。

 長く、どこに繋がっているのかも分からないが一つの端が少女の足に巻きついているあたり、妙に示唆的であって、ならば切断してみるのは一つの選択肢だろう。


 思考の間にも静夜の身体はオートマチックに部屋を破壊し続ける。

 皮張りの椅子に掌が止まれば、次の瞬間には掌に風穴があいて椅子にも穴が開く。

 壁にいれば壁に。天井であるならば天井に。目にもとまらぬ速度で風穴や傷跡を作り、その数だけ掌を殺していく。

 昔のゲームで攻め込む敵を一人でなぎ倒してく、爽快さを売りにした物があったが感覚としてはそれに近い。一方的な虐殺で、追いすがるすべてを叩き伏せる暴力。爽快さがないという点がささやかな差異だろう。


 それほど一方的な攻撃性にも関わらず――紐に及ばない。


 切り裂き、突き刺し、跳ねのけて、赤い紐の目の前。

 振り下ろされる刃。捉えたと思った瞬間、数匹の掌が重なり間に入って紐を庇う。刃の刃渡りよりも分厚く守られて、力ではなく物理的に到達しない。


 一度や二度なら、試行回数が圧倒的に多い静夜に分があっただろう。

 静夜は掌の猛攻に追い払われながらも、再び紐を狙うが、やはり結果は芳しくない。

 突き刺すと届かないので切り裂こうとするが、同様に数匹が盾になり、速度が鈍るその隙に他の掌が紐を掴んで太刀筋から逃してしまうのだ。


 あまりに露骨に切断を避ける為、罠でないなら紐の切断こそがこのダンジョン攻略の鍵であると確信が出来たが、紐にばかり気を取られていると苛烈に襲ってくる掌に文字通り足元をすくわれかねない。今も静夜の身体が自動的に足元の掌を踏み潰した。

 常識的な思考回路を持った呪いの刀身が、再び雑魚を蹴散らそうと身体を動かし、それが気に入らない静夜が瞳孔を開いて紐に固執する。


「おいコラお前が使ってんなぁ俺の身体なんだぜ? ――もっと雑に使い潰せよ」


 文字通り自分に言い聞かせ、静夜はターゲットの変更を却下する。


 続行である。

 足の親指に拳を叩きつけられても、潰れた指はどうせ回復する。痛みは静夜が引き受ける。

 足首を掴まれてアキレス腱を千切られてもどうせ回復する。痛みは静夜が引き受ける。

 追いすがる指が背中を引っ掻き、背中に裂傷が出来ようともどうせ傷はふさがる。

 背中に刻まれた刺青が、貰い事故で切り裂かれて怒り狂うのも静夜が引き受ける。


 続行だ。何が何でも紐を切れ。

 自分に命令を下す。不断の精神力で刃の防衛反応すらねじ伏せ、紐を断する事を最優先にする。

 その結果――血しぶきを上げながらも一撃、紐を掠めて刃が床を穿つ。

 

「あっ、あぁああああっ!」


 苦悶の悲鳴が少女の口からもれる。

 小さな傷ではあるが、痛みに耐えられずもれる声に確かな手応えを感じる。


 カクカクカクカクカクカク……。掌の動きが一斉にぎこちなくなり、関節ごとを起点にしたような物になる。


 目に見える変化だった。

 静夜の脇腹を潰そうとしていた掌の握る速度も落ちる。主導権を握った静夜の身体が掌を置き去りにその場を離脱できるくらいの明確な減速である。


 ――当たりだ。


 それがダンジョンコアとの繋がりと決めつけるには決め手に欠けるが、まるきりの向け関係と判断するにも決め手に欠ける。

 と、手応えを感じたはいいものの、一時停止にすら見えた掌たちの動きが再び機敏に動く蜘蛛に似たものに戻った。


 どういう事だと視線を紐に落とし、静夜は辟易として口元を曲げた。

 紐の形状に戻っていたのだ。床の傷も若干戻り始めてはいるが、紐は既に元通りだ。ダンジョンの不壊性とは異なる速度。別の法則で治った事は疑いない。


 ではどうするか。


 考えるには今の攻防は隙が無さすぎる。とりあえずの意味と、確認の意味、そして時間稼ぎの意味でも静夜の行動は決まっている。

 追いすがる掌を迎撃したり、躱したりしながら、再び紐の切断を試みるだけだ。


 しかし、身体が随分と嫌がり、攻撃を掌の攻撃を徹底的に躱そうとする。一瞬ならば身体の主導権を取り戻せるのだが、あまり頻発すると妖刀が拗ねて引っ込んでしまう。すると静夜は別の手段で掌共とやりあう事になってしまう。すると今の静夜では勝ち目がなく、最悪ここで何時間にもわたって甚振られるだけになりかねない。


 仕方なく、致命的な状況にならない限りは我を抑えて身体の好きなようにさせる事にする。

 瞳だけが無関係に動き、紐を注視しつつ時折少女の姿も追う。

 少女は口元に指をあて、口元を隠している。怯えるような、苛立つ様な、自分の指を噛んでいるような仕草である。


 それは先程紐を切られた苦痛に苛まされ、怯えるだけではない。掌を一匹切り裂くごとに声にしない痛みをこらえているかの様に見えるのだ。

 

「はぁ……あ。ガキが怯える顔ぁやっぱ具合がわりぃな」


 自由になる思考と視界。ついでに口。重い溜息と独り言が耳に届く。


 もしかしたら掌と少女も何らかの繋がりがあるのかもしれない。掌を殺せば少女が悲しむという構図を見て、しかし静夜はそれが友愛親愛の悲しみではないと判断していた。いくら何でもこの悪趣味を極めた掌どもに愛着を沸かせるのは静夜の感性では理解できない。つまり、繋がりとは掌へのダメージも少女に繋がっている可能性である。あるいは強制的に心と繋がり、殺されればその分の辛さが伝播する様な条件付けが施されているとかも可能性ではある。


 たとえ、当てが外れて友愛や親愛ゆえの喪失の悲しみであってもそもそも静夜の狙いは変わらない。


 結局、静夜の力で今役立つものと言えば暴力のみだ。自分の心肺機能の限界を超えて動き続け、力を超えて暴れて、少女を追い詰める。それが出来るからしている。それでもただちょっとだけ、まだ奇跡を願って手加減をしている。止めを刺すなと、あまり追い詰めすぎるなと、身体に手加減を強いている。静夜に出来るのはそれだけだ。


 奇跡が起きなければこのまま押し切って掌もろとも少女は殺す。無力化出来ないなら絶対に殺す。


 このビルを壊さなければ、自分ではない何かに弄ばれる人間が今後も何かに弄ばれ続ける。それを防げなかったら『まぁそんなもんだよ世の中なんて』と嘯く癖に、防げるならば、少なくとも血反吐を吐いてでも防いでみせると静夜は心に定めて実行していた。


 再び紐に視線が向く。妙な事だと気になっているのだ。掠めた切り口は見間違えか、見失いか、それとも真実か。切り口が元の通りになっていたのはなぜだろう。ダンジョンが元の形に修復されるというのは理解できる。世界の回復力という奴だ。つまり静夜と同じ作用が働いている。自分が死ぬような損傷をしても戻るのだからダンジョンだって元に戻るだろう。だが、その効果があの紐にまで適応されるというのは釈然としなかった。


 紐は刃が掠ってほつれた部分は直っているが、ほつれた場所のすぐそばに、何かが落ちていた。紐より少し太くて、ずっと短くて、青黒くて、赤くて、その赤も変色して黒くなって――その時、体が自動的に反応した。


 掌共が一か所に集まり、文字通り手を組み、大きな球体を作り始めている。

 おそらく紐を傷つけた事により追い詰められ、静夜をどうにかして始末しようと考えた結果だろう。普通の手段だと静夜は殺せないからと、掌なりに何かを考え実行しようとしているのだ。

 この変化に静夜の身体は猛烈なスピードで動いた。必然視界は無理矢理紐から引きはがされる。


 そこらに浮いていた達磨の数倍大きな球体だった。丁度その直径が静夜の伸長、つまり一七〇から一八〇センチ程の大きさだ。


 嫌悪感のレベルとしてはゴキブリが集まって団子を作っていたと思えばいいだろうか。気持ちの悪さは静夜にとっては同等で、オートマティックな体にとっても、始末するのは同じ手間暇に過ぎなかった。

 縦に割り、横に切り裂き、斜めに左右に、暴力的に折れて刃毀れだらけの刃は掌で出来た球体を解体する。掌が集まって何を成すつもりだったのかは解らないままに肉の塊は分割され、引き裂かれた。


 ドス黒い血の飛沫が少女の顔にまで飛び散り、その顔は恐怖に凍り付く。


「こぁ……いよぉ……」


 震えて泣きそうな声が少女の口から洩れた。

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