死ぬよりマシなゾンビズム 10
『――よぉ。目覚めたな。間に合って実に不幸な事だ』
小太りの、目付きが非常に悪い不機嫌そうな男がいた。目が覚めた時に見えたのは知らない天井ではなく、知らない男であった。
『俺の名前は、お……ハヤシだ。坊主の主治医から依頼があった。何としても心を死なせるなとな。俺の都合など知らんと言わんばかりに横柄な男だ』
だから、こんなにも不機嫌そうなのか?
静夜は喉がかすれて声が出ないので、何も言えずにハヤシと名乗る男を観察した。
『坊主がはねられてから一週間が経っている』
静夜の観察など一切無関係な様子で動いていなさそうな腕時計を眺める不機嫌そうな男。
『つまり、今坊主は十八歳になった訳だ。無事、無傷でな』
時計に顔は向きつつ、睨み付ける様に目だけが静夜を見つめる。ベッドから身を起こす事どころか声も出せない静夜を無事であり、無傷だと言って。
『喋れないんじゃない。喋れるが心と体が合致していないだけだ。……ふん。まあいい。そのまま喋らず黙って聞け』
曰く、弓代静夜の体は転生者が移り済むための依り代――素体である。
転生者の為に作られた身体であると言っても過言ではなく、ならばそのスペックは面白半分に作られた完璧なものである。
顔は整い、多くの異性を引き付ける。肉体は転生者が最も扱いやすいように最適化されており、食事とトレーニングの方法と意識が変わると、途端に一流アスリートのそれに成るという。
今の静夜がフィジカル面での恩恵を得られないのは当然の事だ。今の人格の静夜という男こそが他人であり、この身体の本人格はこれからやってくる転生者の物で、手足の動かし方どころか、呼吸の仕方まで、静夜ではない他の誰かの癖に合わせて作られているのだから。
つまり、他人である弓代静夜は転生者に体を明け渡す事となる。
これは必然であり、回避不可能な、世界が決めたルールの様なものである。
『ではどうやって明け渡すかだ。今までそこに住み着いていた坊主をどうやって追い出すか――答えは心を駆除するだ』
曰く、痛みにより精神を殺す為の幻の痛みを静夜は受けていた。この痛みは非常に耐えがたい物であり、言語化するのなら脳味噌の血管を、爪楊枝で剥がし続けるような不快感と激痛であるという。これにより多くの場合廃人になる訳だが、中にはそれでも意識を手放さない強情な人間がいる。今回の様に、生きる目的もないくせに、ただ漠然と死にたくないという執念により。
そうとなるとどうなるか、転生者の乗っ取りがなくなる? いいや違う。寄生虫が宿主の行動を操るように、物理的に、まずは宿主を殺そうとするのだ。
今回の場合に当てはめるなら、車道に飛び出る様に誘導するといった手段で。
『事故で意識を奪い、その間に精神をすりつぶす訳だ。そういう訳で、坊主が目覚めると前世の記憶を思い出したクソガキになっている予定だった訳だが……』
静夜は自分の記憶をたどる。前世――前世とはなんだ? 母親の腹ん中に居た頃の話だろうか? 生憎こちとら産みの親も覚えていない捨て子な訳だが。
『その様子だと十全に事が運べたようだな。実に業が深くて自分が情けなくなるが、ああ、俺の話だ。さて、前世の記憶もなければそもそも寝ている間の記憶すらない坊主に俺が何をしたかと言う話だがな。先に結論を言うなら坊主の体を、全ての転生者に向けた物にした訳だ』
次から次へと、訳が分からなかった。すべての転生者の物、とは何だろう? 探る様に静夜は無言になっていた。
『三竦みは知っているか? 蛇とナメクジと蛙の睨み合いだ。じゃんけんの関係と思ってもいい。これの規模を大騒ぎにしたのが今回の俺の仕事だ。ワンダフルワールドが最高の転生者の為に用意した最高傑作の体を、全異世界に宣伝してやった訳だ。するとな? その体を目指して他の転生者の魂――精神体がやってくるんだ。ただの転生者じゃない、もとの世界で勇名を馳せた正真正銘の化け物どもだ。奴等はその体に入り込んで第二第三の人生を手に入れようとして本来の転生者の魂まで押しのける。そして他の精神体と睨み合う。睨み合うから誰も入れない。結果未だに坊主の体には坊主が残ったままだ』
俄には信じられない事を、小太りの男は、不機嫌そうに言う。
『坊主の体にはいる前の魂なんぞ精神体に比べれば脆弱だ。育ってない最強は最強ではないからな。故に転生者の魂は蚊帳の外。しかし精神体共の均衡が崩れれば、坊主は転生者ではない化け物のものになるだろう』
それは、何の解決にもなっていないのだろうか。
だから目の前の男は不機嫌そうなのだろうか。
しかしどうやらそうではないと、この直後に知らされる事になる。
『しかし、ここでも三竦みの様な状況が起こる。ワンダフルワールドの世界の修復力は馬鹿げて強力だ。精神体は、転生者の魂に比べれば強いが、それでもまだ弱い。坊主の体の中に入った所で、留める物がなけば世界の修復力に負ける。精神体は数日と持たずに弾き飛ばされる。それどころか弱い精神体なら傍にいるだけで消滅してしまうだろう。その体に入れるのは、坊主か、最強の転生者のさ――魂だけだからな』
なるほど。この身体には転生者の魂しか入れないが、転生者の魂は他の精神体に負けて近寄れない。膠着状態は続く訳だ。
『それが今の坊主の状態だ。そうそう世界の修復力とういうのはな――』
世界には大きな力が働いている。
この世界に、絶対に壊れない物だという概念を有する物があったとして、それが破壊された時にこの力の存在が確認できる。
壊れないと決められた物が壊れた。この矛盾を認めないこの世界の大きな力は、壊れたという事実をなかったものとしようとする。
すると、壊れた筈のものは、理屈を超えて修復されるのだという。
『一番有名なのはジョークフルスイングだな。ボケに対するツッコミ、あるいは愛のある照れ隠しなどで受けた暴力は、どんなに怪我をしても即座に修復されるというあのイカレタ現象だ』
それが、静夜の体には常に働いているらしい。どういう事かと言えば、それが『完璧な転生者の素体』という概念だという。
不機嫌そうなハヤシに曰く。
転生者には必ず特典という物が与えられるらしい。
それは特別な肉体であったり、圧倒的魔術の才能であったりするそうだが、それとは別に多くの転生者に、与えられるものがある。それが、健全な肉体でのやり直しであるという。
転生したが死の直前では転生者を用意した意味がない。その後どう死のうが構わないがスタートラインだけは整える。怪我をしていようが、病に伏せようが、転生するその前には健全になるという。
高所から落ちて無傷で目を覚まし、前世を思い出す転生者や、脳が死に追いやられる程の高熱を出した後に健全な体となり前世を思い出す転生者がなんと多い事か。
これは特別な事情がない限りほぼ約束された現象である。
そして、一度健康体で明け渡すと決められたからには、これを覆された前例は一度たりともないと言う。半ば意地になっているかのように、健康体以外の状態を拒絶する。
大怪我をしても――大怪我である程素早く元通りになり、悪霊に乗っ取られても即座に元通りになるといった具合に。
『現状としての分類は、複数の悪霊に取り憑かれているという不健康状態になるな。しかも本命の魂は追いやられていると、我ながら酷い均衡を作ったものだ。ふん。気分が悪いといったらない』
……なんだそれは。
聞いた事のない転生者の仕組みや、自分の体の境遇に思考が付いていけず、静夜の表情はとにかく強張るばかりだ。
『坊主の周りにいる、他の精神体がいなくなった時が生まれ変わりの瞬間だ。心も体も狙われてない、健全で健康な状態になるからな。だから坊主は、新しい自分になりたくなければ必死に精神体を留めなければならないという事だ。不健全に生きろよ』
ちっとも笑えない事を言って、不機嫌そうなハヤシは笑う。
『ふん。信じていないな?』
と、静夜の表情の解釈違いを起こしたかと思えば、ハヤシが表情を変えずに動き、静夜は胸に衝撃を感じた。
『この通り、死なん。取り分けて直接的な死に関しては過剰に保全されている節があるな。死に近付くほどに健全とのギャップが激しくなるのだから当然だな。そしてこれを引っこ抜いたら数秒で治る。ああ、コンクリートに詰められて海に捨てられない事を祈るんだな。原状回復にはそれなりに時間が掛かるぞ』
見れば――激痛を伴う衝撃の源泉には、包丁の柄らしきものが生えていた。
ごぽぉっ。と静夜が吐息と吐血を入り混じった物をするが、ハヤシは表情を変えることなく淡々とした様子で、再び目で追えない程の速度で動き、静夜の胸から包丁を引っこ抜いた。
『坊主の主治医の依頼で転生者にならずに済むように手段を講じた。だから、ピアスも指輪も、安易に外そうとするなよ。それが楔だ。異世界の精神体どもはそれに縋り付いている。それがなければ、世界の修復力の影響で怪物の精神体共も簡単に消し飛ぶからな』
今現在、静夜の体を狙う異世界の精神体は、以下の通り。
蟲を統べる王。コーヒーを欠かさず飲まなければ目覚め蠢く。この世界で蟲のコロニーをつくり、今度こそ繁栄する事を願う。
古き迷宮の女王。国を、あるいは星を、彼女は迷宮へと造り変んと目論む。無限の物資、恒久的エネルギー、これらを用いて自分の世界を構築せんとする。
血を腐らす悪魔。受肉ではなく、その血の全てを欲する存在。
大喰らい。受肉し、永遠に満たされる事のない空腹を満たそうとしている。
救世主。世界を救うために、どんな悪霊や呪物すら無効化する静夜の体質を利用しようとしている。
とある世界で死神と言われた殺し屋。生きているだけで周囲が殺戮に満たされる。平穏を求める男は、死なない他人を愛している。そんなものが、存在するのなら。
花の妖精のはぐれ者。身体を手に入れた暁にはこの世を植物で埋め尽くすだろう。その植物の悪性は、無垢なる子供の残虐に等しいものである。
……全て、静夜の体のアクセサリーや、勝手に彫られた刺青に住み着いているとの事だった。なんて悍ましい者に共に好かれたものか。どうやら、どれ一つとして静夜の制御下は入らないらしく、利用できれば勿怪の幸い、交渉のテーブルには一切つかない物らしい。
『時には勝手に消えてしまうかもしれない。消えたらもう取り戻せない。全部なくなったらアウトだ。何でもいいから、強い精神体がいたらキープはしておくことだな。その気があるならやり方は教えてやる』
静夜のベッドのシーツで血を拭うと、そのナイフで見舞いの品のリンゴを剥き始めるハヤシ。
静夜の痛みは包丁を抜かれてから物の数秒で引いていき、そもそも痛みの原因は幻だったのではないかと錯覚してしまいそうだった。
『悪い事ばかりじゃないぞ。ずっと若いままだし、大体すべての病と怪我は心配しなくてよくなる。ただちょっと健康になり過ぎると台無しになるだけだ』
しゃくり。しゃくり。二口程リンゴを齧り。咀嚼して。嚥下して。
『――食うか?』
ハヤシは訊いたのだった。
あの林檎を喰った記憶はない。
けれど血の味は林檎を想起させる。
蛇足を加えて静夜の昔語りは終わる。
今から何年前になるかも解らない過去の話から、今へ。




