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春雷記  作者:
外伝 一朗太記2

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今川館 西の書庫

 西の書庫は、表に近い場所にあるにしては静かだった。

 山積みされた冊子が壁のように積み上がっていて、どこから手を付ければいいかわからない。

 入る許可は正式なものなので、臆することもなかったが、見上げるほどに積まれた帳面の山には圧倒されて立ち尽くしてしまった。

 近くで誰かが笑う声がした。

 一朗太ははっとして、書庫に足を踏み入れた。

 本当は襖を閉めたいところだが、閉めてしまえば全く見えなくなるので、廊下に面した襖は開け放ったままだ。

 蝋燭を持ってくればよかった。せめて灯明でも。

 いや、周りに不審がられるわけにはいかないから、これでいいのだ。

 一朗太は、ある程度奥まで入ってから一番上に書かれている文字に目を凝らした。

 棚らしきものがあるので、ある程度は整理しておいてあるはずだ。

 たまたま手に取ったのが、賦役について書かれたものだった。賦役は関係ない。必要なのは農村の年貢についてだ。

 ひと通り棚を見終わって、軽く絶望する。

 整理されているとは程遠い乱雑ぶりだったからだ。

 この中から、駿東のここ数年の年貢の帳面を探すのか? ……相当時間がかかるぞ。

 だがそれは、一朗太にとって、都合がいいことでもあった。

 昨日のうちに考えておいた。まず何を探すべきなのか。

 おそらく岡部家にとっての問題は、岡部郷ではなく、あの城だ。

 父は城番だった。代々預かっていた城ではない。

 あそこで何があったのかをまず知ろう。

 一朗太が物心つく頃からずっと、サンカ衆の襲撃はあった気がする。

 考えてみればおかしな話だ。城を襲う? サンカ衆が? 雪崩のあと、雪の中から掘り出された奴らの装備は貧弱だった。とても武士を相手に戦えるものではない。

 何か、一朗太が知らないことがある。

 そしてそれこそが、岡部家をこのような状況に追いやった元凶ではないか。

 父はずっと前線にいるか、出城にいた。今川館とのかかわりは、それほどなかった。

 姉妹や弟が何かを知ってしまって、そのことで父が脅されていた可能性はあるが、それを今の一朗太が調べることは難しい。

 外堀からだ。出城から今川館の何かがつながれば、そこからもっと掘り下げることもできるかもしれない。

「なにをしている」

 目に付く棚の冊子に手を伸ばしたところで、声がかけられた。

 ビクッとしたのは、多少なりと身にやましいことがあるからだ。

 恐る恐る振り返ると、ひょろりと痩せて背の高い男が立っていた。

「はい。駿東の帳簿を探しております」

「駿東の?」

 男は一朗太の少し上ずった声に首を傾げた。

「ここ何年かの計算が合わないそうです」

「……ああ」

 陽光が男の後ろから差しているので、どんな表情をしているのかわからない。

 一朗太は、何でもない風を装って、手に持っていた帳面を棚に戻した。

「どこから調べたらよいのかわからなくて」

 それが、葛山八郎様との出会いだった。


 結論を言うと、葛山様と最初に会話をした書庫には、目的のものはなかった。

 駿東の帳簿も、岡部家が預かっていた出城のことも。

 葛山様は、あれだけ乱雑に積み上がっていた冊子の山に目を通し、探すのを手伝ってくれた。丁度整理しようと思っていたからとおっしゃって。

 後から思えば、葛山様ご自身も、何かを調べていたのだと思う。

 だがその時の一朗太は、目の前にあるかもしれない証拠を探すことに一生懸命で、それに気づいていなかった。

 その日一日で調べ切ることはできず、続けて三日ほど黙々と作業をした。

 といっても、まず表紙を読んで、中身をぱらりと確かめて、目的のものを探すだけだ。

 それでも三日もかかるのだから、どれだけ未分類の帳面が混在していたかわかるだろう。

 西の書庫を調べ終えた後、何もなかったことにがっかりするよりも、きれいに分類して整えることができたことに達成感があった。

「なかったね」

 葛山様はおっとりとそう言って、苦笑した。

「ごめんね、役に立たなくて」

「とんでもない!」

 一朗太は二日目のときに、葛山様が“役立たず”と誹られていることを知った。

 駿東の名門葛山家の嫡男にもかかわらず、刀を持つことなく文官に収まり、それについて不満すら言わない。

 やっている仕事も簡単なものばかりで、複雑な話をしてもぼんやりと首をかしげるだけ。

 そんな噂をきいたが、違うと思う。

 帳面を分別する速さは相当なもので、これはしっかり有能な人だ。

 悪口を言われても毅然として……ちがうな、平然と聞き流して真横を通る。

 それは一朗太の目には、“事情がある人”に見えた。

 一朗太にも“事情”があるから、お互い様だと見ないふりができた。

「ですが困りました。正式な帳簿がないはずはないのですが」

「うーん、そうだなぁ」

 一朗太の困惑に葛山様もつきあって、そろって首を傾ける。

「他に保管してある場所はないでしょうか」

「ないことが答えかもしれないねぇ」

 小さな声だった。

 だが一朗太の耳にははっきり届いた。

 どういう意味だ。そう聞き返そうとして、それより前に答えがわかった。

 つまり、隠されている? 何故だ? 見つかると不都合なことがあるからか?

 心臓の鼓動が早くなった。ではやはり、雪崩で壊滅したあの城にも、何か裏があったのか。

「少し待ってくれるかい」

 しばらくして、葛山様は言った。

「奥の書庫に入る許可をもらってくるよ」

 その声は、なんということはない普通の声色だった。

「えっ、確かそこには」

「重要な書簡が保管されているところだよ」

「駿東の年貢高が重要ですか?」

「それはわからないけど、そこにないなら……」

 葛山様の目が、わずかに細くなった。ニコリと三日月形をしたその目に、ほんの少し怖いものを感じた。

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