西洋甲冑を着てみた
仕事の合間にスマホをいじって気が付いたのだが、西洋甲冑に関するサイトが全くヒットしない。
勿論、その歴史に関しての文献はヒットするのだが、全くと言っていい程、それを着たという体験レポートのホームページが見つからなかった。それどころか、全身甲冑を持っているという人さえ全然見当たらなかった。
良くてガントレットだ。胴体が無い。それは勿論、西洋甲冑がガラスの靴だったからだ。日本鎧のように自由度が高くなく、基本的に一点もの。使う人を選ぶ道具。例えば私がこれを誰かに譲ろうとも、その人は着ることすらできない。腕の太さ、足の太さ、腰の太さに至るまで、すべてが私のために作られた特注品だからだ。
日本鎧は愛好家集団がいて、中には自分で塗装や鎧制作まで行う人がいるのに、西洋甲冑は全くと言っていい程そんな人がいなかった。
検索候補には、「西洋甲冑 着方」など書かれているのに、だ。明らかに着たいと思って検索されているのに。
そもそも着られる状態の西洋甲冑を全身で持っているのは両手で数えられるだけしかいないのではないか。いや、それ以上に実際に使える西洋甲冑が日本に何体あるのか。
恐らくそれは、限りなくゼロに近い。
私は設計者のため、一般に西洋甲冑を聞いてイメージするものが全てパレード用に作られた物だと知っている。
パレード用の物の特徴は、動きやすいように薄っぺらな鉄板、あるいはアルミ合板を用いたイミテーションであることにある。夢を壊すようで申し訳がないが、あんなものではナイフの刺突さえ止めることができない。これは使えない。
なぜアルミで作るかと言えば、加工が簡単だからだ。恥ずかしげもなく、良くそんな物で金がとれるものだなと感心する。海外の悪質な業者はそれを本物として売りつけたあげく、ほとんどの場合サイズが合わない。Tシャツのようにワンサイズ上でも着られるという物ではない。関節の位置が変わってしまうから手足が曲げられなくなってしまう。
その結果が「西洋甲冑 着方」の検索結果につながっているのではないだろうか。あこがれを手にしたものの着方が分からない、そもそもサイズがあっていないのだ。
それに気が付いた時もう悲しくて悲しくて。
私は幸運だった。良い職人と巡り合え、しかも自分で絵が書けたためにサイズは問題にならなかった。そろそろ次の受注は無いかと有り難いメッセージを頂いたので、今もう一着書き始めた所だ。
やはり、着たことがある人が、その景色を書くべきだと思った。書かねば。
初めて外でヘルムを被ったのは、更衣室を出てすぐの公園に面した平坦で広い歩道でのことだった。
前に人や物がなく、頭をぶつけるような障害がないことを確認して初めてヘルムを被ることとなる。勿論それは、視界が悪いことが分かっていたためだ。
重い。ヘルムを片手で持つだけで筋肉が悲鳴を上げた。
鎖帷子の頭巾が一際大きく鳴いて、滑り込むように肩へとヘルムが落ちた。これが被るという事。
ヘルムの中は非常に暗い。開いているのが外を見るためのスリットと、空気孔しかないのである。最初に感じたのは恐怖だった。
足元が見えない恐怖。他人を攻撃する恐怖だった。
私は既に上半身全てを鉄の塊で覆っており、どつかれたところで何も感じない。むしろ硬すぎて衝撃を吸収せず、そのまま相手にフィードバックをかけてしまうのだった。どういうことかというと、相手の肩と私の肩とが当たっただけで相手を脱臼させる危険があった。
ぶつかった時、突き飛ばされるのは軽い方である。私は西洋甲冑の上半身のみで30キロ。それプラス自前の体重があるので重戦車だった。もはや動かん。タックルすれば相手は内臓破裂で死ぬだろう。いや、冗談ではない。こっちは生身とは違って全く凹まないのだ。体重をかけたら頭蓋骨だって割ってしまう。
暗いヘルムの中は、ものすごい音が滝のように聞こえていた。自分の呼吸音だ。わずかな通気口とスリットしかないため猛烈に音が反響して耳に届く。
意外なことに10分もすれば音にも慣れ、視界が良好な事に気が付いた。日本鎧は視界が開けているかわりに兜が引っかかり、急に首を振って左右を見れないという弱点があった。しかし意外にも西洋甲冑はこれができ、横断歩道を渡るときに右左を容易に確認できた。
西洋甲冑を着ていると皆止まる。
頼んでいないのに右車線も左車線も車が止まってスマホを向けられる。中にはタクシーの運転手が運転したままスマホを持って撮影するなどの行為が見受けられた。おいおい危ないぞそれは。
ここまで来ると完全に馴れ、ある感覚に襲われた。
それは無敵感ともいうべきもの。全く死が怖くなくなったのだ。
これを体感したことの無い人に説明するのは難しいのだが、ある種人間は視界を塞がれ狭い所に閉じ込められると安心するらしい。きっとそれはお母さんのお腹の中にいた時を思い出すからだ。洗濯ネットで包まれて安心するネコのように、本能で安心するのだった。
視界はすでに光り輝いて見える。
まるで映画のスクリーンを見ているみたいに見える。あるいはFPSゲームをプレイしているような、自分で見ている世界でありながら、一切の現実と隔離された世界を見ているような感じがするのだった。全く不自由は感じなかった。元々視界はこれだけだったような気さえするし、行動するのに必要十分だった。
なぜ中世の騎士が盾を捨て、メイスで敵を殴りに行ったのか分かった。敵が怖くなくなるのだ。西洋甲冑にはそういう強みがある。
ちなみにこの姿を見られて何の武器も持っていなかったのに悲鳴を上げられたのはご愛敬だ。
ヘルムは意外に大きく、181cmの私は着ただけで190cmとなった。




