屋号
屋号というものをご存じだろうか。
それは、日本国民の多くに苗字がまだ無かった時代、多様化する文化と生活圏のために、集団を1つの個として認識する必要があり、作られたと言われているものである。(諸説あり)
武士となり苗字をつける際には、自分の屋号から言葉をいただくこともあったようだ。
それら多くは、その一門を現す象徴的なマーク、あるいは名前のようなものとして受け継がれてきた。
世界的に見ても大変珍しい文化であり、ヨーロッパの一部と日本にしかない。
父が無くなったとき、そのマークを私は受け継いでいた。
我が家が何の家系で何の仕事をしていたのかは現在分かっていない。受け継がれていたのは、わずかばかりの作法と、古い名前と、この屋号だけだった。
その屋号をこれから鎧に入れようと思っている。
なかなか不思議なもので、これを入れるということは大変に重い行為であるとの認識を深めるに至る。
我が家では家宝の日本刀にまで掘られた文字だった。
今までは自分の行動は、自分で責任を追うだけだったが、これからは、我が家の血筋すべてがそれを認識する。よく、末代までの恥という言葉があるが、私はそれは逆であると思う。
今、私に至るまで託してきたご先祖様の恥になるのだ。
それを戦いのために着るならば、これほど誇らしいことも無いように思えた。
できれば弱いもののために立ち上がろうではないか。そして、叶うことならば、自分が正しいと思った側に立とうではないか。私にとってこれはそのための屋号だ。
武士は恥を帯びて腹を切る。それは、一門の名を背負っていたからではないか。そもそも、日本人はそれを忘れてしまっただけで、まだその血は流れていたのではないかとふと思う。
負け戦でありながら敵陣の中央を突破した島津。溺れているのが敵の兵士であると知りながら、戦場で救助を行った日本海軍軍艦『雷』の艦長。
彼らは時代や血筋は違えど皆武士である。
彼らが背負っていたのは、仲間と、この気持ちだったのではないだろうか。




