1-6.不肖の娘
6.
「どういうことなの?! なんていうことなのぉぉぉl!! やっぱり元平民の男など、この由緒あるインテバン男爵家の当主には相応しくなかったんだわ!!!!」
「お、おか……おかあさ、まっ」
ぎゃーっという叫び声に、身が竦み、頭が痺れたようになって慰める言葉も見つけられなかった。
母自身の手によって容赦なく掻き混ぜられた金色の髪はぐちゃぐちゃで、恐ろしいほど縺れてしまっていた。
バード医師以外の訪問を受けなくなって久しいシーラだったが、誰に会っても会わなくとも、朝の時間と寝る前の忙しい時間帯に、「貴族の女性としての嗜み」だとしてベスへ必ず念入りに自身の手入れを申し付けてきた。
その割に、嫁入り前のベスに対してそれを行うように勧めることは無かったのだが。
母シーラが自慢に思っている緩い癖のあるたっぷりとした金色の巻き髪を櫛梳るのは大変な作業で、どんなに忙しく疲れていても、ゆっくりと丁寧に下の方から解す様にして行わねばならず、その作業には細心の注意が必要だった。
一本でも櫛に引っ掛けて切ってしまうような事があったら母のその日の機嫌は最悪なものとなるので、そういう意味でもベスは慎重にならざるを得なかった。
けれど、綺麗に櫛梳り終わった時に浮かぶ艶と煌めきは本当にうっとりするほど美しい。ベスの、地味な灰色掛かった茶色い髪にはない輝きだった。
その自慢の髪が、シーラ自身の手によって激しく掻き回される度に、ブチブチと嫌な音を立てて引き千切られ、切れた髪が辺りに振り撒かれていく。
どこか逃避した気分だったベスには、その飛び散る細い髪の毛に、窓から入ってきた陽の光が当たって輝いて見える様が奇妙に美しく見え、心に残った。
実際の処、目の前で繰り広げられているのは悪魔に憑りつかれたかのような母の痴態である。ベスの心と身体は切り離されたように硬直していて、それを止めるべく動くことができなかった。
そうして、動けなくなったベスの前で、どれほどの時をもって、母の口から夫であるベスの父テイトへの悪口と、自分の婿として元平民の冴えない容姿の准男爵を選んで押し付けた父への恨み事が垂れ流され続けたのか。
ベスが生まれる前から続く、母シーラの中に堪り続けた滓のような呪詛が、古い屋敷の一室内に充満して息苦しいほどだ。
叫び疲れたのか、自身の自慢の髪の惨状にようやく気がついたのか、母シーラの態度が、自身の不運を嘆くものから、いつものように、娘の至らなさを嘆くそれへと変わっていった。
幼いベスが一番欲しかった母の愛。
それは永遠にベスへ向けられることは無いのだと完全に諦めたつもりだった。
『貴女が貴族令嬢らしい矜持をもっていないから。学生時代の浮気ごときに躍起になって。しかも暴力を揮うなんて。やっぱり元平民の血が入ったりしたからなのね』
『貴女が魅力的であったなら、他の女へ目移りすることもなかったのに』
『上位貴族である子爵家の血が孫に入れば、少しは貴女の価値を認めてあげるつもりだったのに。すべてが台無しよ」
元婚約者は、母シーラの学園時代の友人の息子だった。
自分と同じ男爵家から上位である子爵家へと嫁入りを果たし、男子を二人も産んだ憧れの的であったその人と縁戚になれる、孫が生まれたなら同じ子供の祖母としてこれからの人生では同列になれると夢見ていた分だけ、シーラはその夢を壊した娘エリザベスに落胆した。
たかが学生時代のちょっとした恋に浮かれて囁いた戯言を大袈裟に受け取り、あまつさえ暴力を揮ったと後ろ指を指されると家から一歩も出なくなった。
実際の処、ベスの隣に立っていた友人たちには伯爵家の令嬢や令息がいた為、学生時代のちょっとした恋に浮かれて囁いた戯言程度の内容ではなく、男爵家の乗っ取りに近い計画であり、子爵家の元婚約者の腕がみだらに動いていたなど根も葉もある状態で家族や学園内で流しまくったせいで、それほど一方的にベスが批難されていた訳でもない。
ただ、やはり女性から男性への暴力自体には否定的な目を向ける年長者は少なくなかったし、話の内容を深く知らない者からしてみればベスに厳しい判断を下しても仕方がなかった。
故に、シーラの主張はまったくの被害妄想というものでもなかったし、貴族としての振舞いに疎い父テイトにしてみれば、妻がショックを受けて倒れたというその一点のみが理解可能なことで、堂々と夜会やお茶会へベスを伴って出席することこそベスの汚名を濯ぐ一番の早道であったにも拘らず、その機会を永遠に失してしまうこととなったのだった。
この時、外に出てさえいれば、ベスの味方は殊の外多く、応援する声は決して小さくないことも分かったのだが。
ベスは母シーラが罵る声に身体を竦ませながら屋敷へと閉じ籠ることとなった。
この頃の、夜も昼もなく憎しみを込めた瞳でベスを見返し、労わりや心に寄りそう言葉ではなく、泣き叫んで批難する母の言葉は、今もベスの心の一番弱い場所に突き刺さったままだ。