1-7.母の嘆き
7.
そうして母シーラと共に屋敷の中へ閉じ籠り、汚名もそのまま5年の月日が流れていった。
麦畑しかないような田舎とはいえ、領地のある男爵家の跡取り娘という優良条件が揃っている筈でありながら、いつまで経ってもその不本意な汚名は濯がれず、訳アリ行き遅れ令嬢という不名誉なレッテルのまま放置されてしまったせいで、婚約どころか、その前段階であるお見合いについての話すら持ち込まれない。
『平民のように地味な見た目な上に、暴力を揮うなんて。お前が結婚できないのは自業自得で当然よ。あぁ、なんで私がお前のような不出来な娘を持ってしまったのだろう。お前のせいで、この由緒あるインテバン男爵家はもうおしまいよ!』
エリザベスは、毎日母から罵られた。
そんなエリザベスへとようやく持ち込まれた二度目の婚約話が、平民の豊かな商家の跡取り息子とのものであった。
ベスとしてはすっかり自身の婚姻を諦めていたのだが、領地で商いを営んでいたある商家の跡取り息子から婚約の申し出を受けたのだ。
それは、爵位目当ての申し入れだったのだと、今ならわかる。もしくは父テイトが改良を進めた味が良く収穫量の多い麦の安定的な確保が目当てだったのかもしれない。
だが、初めての顔合わせで『店を大きくしたいのです』と語る婚約者候補の言葉が、ベスにはとても眩しいものに感じられたのだ。
恋や愛ではなくとも、同じ方向を向いて一緒に歩いて行けるかもしれない、ベスの胸に、そんな二人で歩む未来を思い描くことができた。
だから母シーラの反対がどんなに強くとも、「インテバン男爵家の血を繋ぐことを優先するため」だと押し切って、その婚約を受けたのに。
婚姻の準備を進めていた次の年から始まった天候不順は、領地経営に励むインテバン男爵には式の延期を決めるだけの理由として十分であった。
だが、天候不順が旱魃というものへと拡大し、ついには大旱魃というに相応しいだけの被害を及ぼした頃になると、『領地が落ち着くまで待ちます』と言ってくれていた筈の商家の息子は、そのトーンをぐんと落とした。
そうしてついに、『大変申し訳ありませんが、インテバン男爵家の領地に、これ以上待ってまで婚姻を結ぶ価値を見出せなくなりました』と言われてしまったのだ。
大旱魃といえる災害が、3年続いた夏のことだった。
婚約はその時点で6年に渡って継続されており、商家の息子は35、ベスは29歳になっていた。
円満に婚約を白紙に戻すための話し合いを持とうという打診だとしつつ、多大なる慰謝料も一緒に届けられた手紙を、「馬鹿にするな」と叩き返すだけの気力も財力の余力も、すでにインテバン男爵家には無かった。
この婚約を受けた時、怒ったのは母シーラだけだった。
平民ごときからインテバン男爵家の跡取り娘に向かって婚約の申し入れされた段階で怒っていたシーラだったが、それを受けたと報告した際には泡を吹いて倒れた。しばらくはハンストだといって朝晩の紅茶と薄いトースト以外は一切口にしようとしなかったほどだ。
しかし、その正当なるインテバン男爵家の血を引くシーラがどれだけ反対の意を声高に告げようとも破棄されなかった婚約が、申し込んだ平民から破棄されるなどという辱めを受けたと知った時の荒ぶりは、類を見ないほど荒れた。荒れ捲った。
『情けない。平民ごときからはした金の手切れ金をみせられて尻尾を振って受け取るなんて。これほどの辱めを受けるなどあり得ないことですよ、エリザベス! なんて情けない娘なの!!』
目を吊り上げ、唾を飛ばして口汚く罵る声。
どんなに嘆き悲しんでも、どこか貴族としての品を感じる態度と言葉遣いであった母シーラが、あれほど怒り狂ったのは初めてだった。
「あぁまただ。また私は失敗してしまったのだ。母を失望させてしまった」
母の娘として、インテバン男爵家の血を繋ぐ唯一の跡取り娘として、婚姻を結び血を繋ぐのだと、孫さえ得られれば、母の頑なな態度も軟化するに違いない、「よくやりました」と褒めて貰えると、かつてみせてくれた優しさを欠片でも受け取れると自分が密かに夢見ていたのだと、ベスが知ったのもこの時だ。
そうしてそれは、どれだけ父テイトが慈しんでくれようとも渇きを癒せない場所にあると知ったのも、この時だ。
そうして、今。
父テイトの隠された借金について報告をした、現在。
「情けない。平民ごときから金を借りて取り立てを受けるなど。これほどの辱めを受けるなど。あり得ないことですよ、エリザベス! なんて情けない父と娘なの!!」
あの日の言葉とそっくりの罵り声をベスはまた聞きながら、長じた今でもこんなにも、自分はそれを欲していたのだと、ベスへの愛を一切口にしたことのない母の口から、ベスと父テイトへの呪詛が垂れ流されている今この瞬間に理解する。
だがそれを、エリザベス・インテバンが手に入れることは、一生ないのだ。




