2-20.苦くて冷たい
20.
これは現実の事なのだろうか?
ベスの結婚は、男のプライドを傷つけられた腹いせの埋め合わせ程度で消費されてしまうようなものなのか。
その時、『あんな女は家から追い出して君を迎えに行く』という元婚約者の声が、ベスの頭の中で響いた。『地味で華のない年増』というイザベル嬢の声もだ。
可愛げのない暴力女、それがベスの貴族令嬢としての市場評価だ。最近はそれに年増という言葉も加わったらしい。確かにもう若くはない。
ベスは最初から、爵位を継げる跡取り娘である貴族令嬢であろうとも、男性にとって結婚したくなるような魅力的な娘ではないのだ。
今更の様に自身というものを自覚したベスは、ぎくしゃくとソファに座り直した。
ベスの苦しみも、シーラの喜びも無視して、男たちの意地を張り合うような会話が目の前で続いていく。それは目の前で行われているものだというのに、ベスには「あぁ、対岸で起こっている火事のようだ」と茫然と聞き流して、アジメクが配ってくれた紅茶を口元へ運ぶ。
温かかった筈の紅茶はすっかり冷え切っている。
ベスには、味も香りも何も感じられなかった。
「そうですか。婚姻、で間違いありませんね? いつ式を挙げるのか挙げないのかも不定である形式だけの婚約ではなく。インテバン男爵家に婿に入って後を継ぐ覚悟を決められたということでよろしいですか」
「勿論だ。婚姻式は最短で執り行う」
「ほう。最短ですか。ベスに、ウェディングドレスを着せてやるつもりはない?」
がっかりしましたとでも言いたげに、ユーリが首を振りながら解釈を付け加える。
「っ! それも含めて最短だ。ヴァリアン侯爵家で懇意にしているドレスメーカーならひと月あれば素晴らしいドレスを用意してくれるだろう」
苛立たしげに、バードがユーリに反論すれば、更に追い撃ちが掛かる。
花嫁となるベスの気持ちは置き去りにされたまま、ユーリによってまるで操られるように結婚についての話が詰められていく。
「そうですか。ご両親へのご報告は? インテバン男爵家との顔合わせは何時するんです?」
「明日、両親へ報告してからだ……というか、何故、俺とベスの結婚に、そこまで口を出すんだ、ケインズ伯爵? 親族でもない貴兄にそのような差し出がましいことを言われる筋合いはないと思うが」
ようやく、この話し合いはユーリ相手に行うものではない事に気が付いたのか、バードが会話を続けることを渋り出した。
けれどユーリは引くことなく、事も無げに言い切った。
「ベスとは学生時代からの友人ですからね。そして私はベスに第二夫人ではあっても婚姻の申し込みをした者だ。私を振って卿と婚姻を結ぶというならそれが口先だけの詐欺ではないと証明して貰う権利はあるかと」
バードの苛立ちをユーリはさらりと受け流す。
確かに、ユーリの第二夫人としての申し込みに関しては、他に求婚する者がいない場合にのみ成立する特別法によるものだ。バードが正式に求婚するならば、成立することはない。
王太子まで引っ張り出して特別許可証を手に入れたからには上司へ報告義務もあるのだろうし、詳しく知りたいと思うのは当然の事だったのだとベスは納得した。
「まぁ、気まぐれで有名な卿の気持ちが変わるようなことがあったなら、いつでもご連絡下さい。お待ちしておりますよ」
「連絡などしない。ありえないから待たなくていい」
「それはなにより」
最後の嫌がらせに満足したのか、ユーリ・ケインズ伯爵は夜道は危ないので泊まっていくように勧めるベスに笑顔で「部下に仕事を押し付けて来たから。用事が終わったなら帰らないと」と断りを入れた。
自分の乗ってきた馬の準備ができたと知ると、外套を羽織って玄関を出る。
一旦はそのまま馬の鐙に足を掛けたユーリだったが、見送る為に外まで出てきたベスの下へ足早に近づいてきた。
「プロポーズに逸って伝え損ねてしまった。今日の装いはとても素敵だ。ベスによく似合っている。私の為にしてくれたのではなかったのが残念だけれどね。幸せになって欲しい」
さっと下から取ったベスの手に、ユーリは自身の手を重ねると、ベスの瞳を見つめる。
その瞳は慈愛に満ちていて、ベスはなぜだか胸が苦しかった。
この優しい瞳に縋りついて、バードとの婚約は契約上のお芝居だったのだと、先ほどの結婚の話は突然現れた貴方へ張り合っただけのものなのだと打ち明けてしまいたかった。
けれど、ベスの唇が縫い付けられたように動けないでいる内に、再びプライドを刺激されたバードに腰を引き寄せられた。
「婚約者の前で、他の男と睦み合うようなはしたない真似をするのは止めるんだ」
強い言葉で批難されて、ベスは悲しくなった。
ユーリはバードの剣幕も笑って「嫉妬深い旦那になりそうだ。愛情の裏返しにしても火のない所に火種を探して回るような真似をしていて妻に嫌われないように気を付けるんだな」と揶揄うような言葉を返し、憤るバードを無視して上機嫌のシーラに向かって「お騒がせしましたが、収まるところに収まったようでなによりです。お嬢様の結婚式の招待状、楽しみにしていますね」と、ひとり夜の道を帰っていった。




