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男爵令嬢エリザベス・インテバンは、皆に「不幸だ」と指差されている  作者: 喜楽直人
第一章 突然背負った借金と契約としての婚約
17/136

1-17.煩悶

17.



 ベスのその問いに、大して面白くもなさそうにバード医師はそれをさらりと告白した。


「結婚を迫られているんだ。だが、俺は強制されてなんかしたくない。せめて、相手は自分で選びたい」


「……さっき、私としようとした癖に」


 ベスの言葉に、きらりと瞳を光らせたバードだったが、それには軽く「だが、それは俺の選択だ。強制されてするそれとは違うさ」と答えた。


「強制されたくなかっただけなのね」


「そうとも言えるし、違うとも言えるかな。俺だって、いつまでも独身でいられる訳ではないってことくらい知っている。強制された訳ではなく、俺から申し込むなら十分だと思わないか? しかも、論理的な会話が成立する相手なら文句はない」


 まったくロマンティックではない理由によるプロポーズだとベスは思った。


 一度目の貴族としての義務の婚約とも、二度目の夢や野望による婚約とも違う。

 ただただ、意に染まぬ結婚を迫られることから逃げる為の執行猶予を稼ぐ婚約だ。



「……本当に、婚約だけでいいのね?」

「後任医師が見つかるまでだけの、ちょっとの間だけのね」


 その軽い調子の言葉が、今のベスには有り難かった。



「わかったわ。その契約、お受けしますわ」


「いいのかい? 期日ギリギリまで悩んだっていいんだ」

「いいの。引っ越しの準備もあるし、母への説得も必要だもの。それに、悩んだって、特に仕事については他にいい選択肢が増えるとも思えないわ」


 ベスが覚悟はもう決めたのだと了承すると、ヒューっとバードが口笛を吹いた。


「さすがの決断力だ」

「いやね。それって嫌味なの?」


 ベスが拗ねたようにそういうと、バードは面白そうな顔で首を振った。


「いいや。でも、ちょっとね」


 そう笑って否定したものの、バードはそれ以上の説明は何も口にしようとしなかった。






 ベスは、今度こそバード医師を玄関先で見送ると、もうそれ以上振り返らずに屋敷へと入った。



 母の分の夕食は必要だろうかと悩んだ結果、結局はいつものスープにした。

 貯蔵庫から領民が届けてくれた野菜を持ってきてとにかく刻んでいく。

 大きさは不揃いだが煮てしまえば食べられなくはない。油で炒めて水を入れて煮込み、塩で味を付けた。そこに具のないダンプリングを放り込み、更に煮込む。

 スエット(牛脂)は混ぜたものの、カビてきたパンの食べられそうな部分のみを焼いて粉にしたパン粉と小麦粉を練って作った団子でしかないダンプリングだが、腹は膨れるし翌朝まで持ちこしても温め直せばすぐに食べれる。

 なにより、ベスが作ってもそれなりに食べられるのが素晴らしい。


 そこまで仕込むと、ベスは階上へ視線を向けた。そろそろ、母シーラの様子を見に行かねば。


 寝室では、母シーラは、まだスヤスヤと寝入っているようだった。締め切られた天蓋の向こうから、微かないびきが聞こえる。


 ベスはそっと天蓋を潜り抜け、傍によって母の寝顔を覗き込んだ。

 その隈の残る寝顔に掛かっていた髪をそっと撫でつけると、シーラのベッドに頭も齎せるようにして寄り添う。


「おかあさま、私、頑張りますから。どうぞ、おかあさまも一緒に、おとうさまの御無事のお帰りを、お待ちしましょうね?」


 母の不眠は未来への不安からのものだろう。

 けれど、その不安は母シーラだけのものではない。ベスも本当は自分たちはどうなってしまうのか、行く先の見えない未来がどうなっているのかという不安を抱いている。

 同じ不安を持つ同士。だがきっと、母シーラがその半分を負担してくれることは無いだろう。


 だから、ベスが母の分までしっかりとその重荷を背負って行かなくては。


 そう決意するも、どこかベスの心は虚ろだった。




 ほんの少し母の傍で目を瞑っただけのつもりだったのに。

 天蓋から出てみれば、窓の外はすっかり陽が陰り出していた。

 うつろいゆく空の色。明るかった空の色が刻一刻と色を変え、朱く染まっていく。


 カーテンを閉めなくては、と思ったところで焦って階下へと降りる。



 案の定、台所からは焦げた嫌な臭いが立ち昇っていた。


「きゃー!!」


 どうしよう、と悩む暇などなかった。

 とにかく口元を袖口で抑え込み、台所へ足を踏み入れる。


 並々と注いであった筈の水分はすっかり干上がり、鍋の底で、懸命に刻んだ筈の野菜たちも、今日のメインとなる筈の小麦粉団子すらもが、すっかり炭の塊りと成り果てていた。


 火の手はまだ上がっていなかったが時間の問題だ。


 ベスは、水瓶から小鍋で水を汲むと、もうもうと黒い煙を上げ始めている大鍋へとその中の水を入れた。


 バチバチバチバチッ


 大きな音を立てて、鍋の中の消し炭が水分を一気に蒸発させた。


 一瞬で熱湯と化した飛沫が辺りに飛び散り、ベスに襲い掛かる。



「きゃーーー!!」



 二度目の悲鳴は、先ほどよりずっと大きいな、などと、どこか冷静にベスは考えながら、来るであろう痛みと熱に備えた。



 けれど、それは何時まで経ってもベスを襲っては来なかった。



 その代わり、なにか大きくて温かなものに包まれているようで、何だかわからないが、安心するそれに、ベスはホッとしたと同時に気が遠くなった。




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