はらねばならぬものがある
天気は晴れ。
お昼前、駅前、少女の前には彼がいた。
「あ、正志じゃん」
「……」
「ねえ、正志なにしてるわけ? ヒマ?」
「あ、やっぱり僕か……」
「なに言ってんのよ。アンタに話しかけてんだから、アンタ以外のわけないでしょ」
「……悪いんだけど。僕は正志じゃ――」
「ま、いいから。立ち話もなんだし、ちょっと来なさいよ」
彼は少女に手を引かれ、連れられて行かれた。
すぐ近くの小洒落た喫茶店の窓側席。
彼と少女は対面に座り会話していた。
「へー。じゃ、やっぱ正志じゃないんだ」
「うん。僕は苗倉真斗。正志は弟だね」
「ほー。一卵性双生児ってわけね。そっくりだし。ええ、そっくり」
「……よく言われるよ」
「ま、はじめからわかったけど。聞いていたわけだし。でもホントそっくりだわー」
「うん。――ところで、キミは誰なの? 正志とはどんな関係?」
「あたしはアスカ。んで、正志とは、……まあ、知り合い」
「なるほど。ん? ――あの、キミ、何年生?」
「え、中3だけど?」
「…………まじか」
「なによ、その反応。どういうわけ?」
「絶対に年下だと思っていたから、その、……びっくりした。正志のことを呼び捨てにしているから、もしかして同学年かと思ったんだけど……」
「なるほ、そういうわけね」
「でも、このミニサイズ幼女が同学年って無理がある件について……」
「あ?」細くなった眼が向けられていた。
「いえ、別になんでもないです」
「そ」
「ところで、僕になにか話しあるんだろ。いったいなに?」
「ま、急かさないでよ。説明も必要なわけだし。――そもそも真斗だって用事があるわけじゃないでしょ? ヒマなわけでしょ?」
「いやいやアスカさん。なんで僕がヒマって決めつけるのさ?」
「え、だって今日、土曜日よ?」
「ん? だから?」
「あんた、友達いないし、やっぱヒマなわけでしょ」
「酷い!」
「そう聞いていたし。もちろんデートとかでもないわけでしょ」
「やはり酷いっ!」
「だからあたしの話しをゆっくり聞いてくれてもいいわけじゃない?」
「アスカさん、完全に僕をヒマ人扱いだけども、悪いけど今日は用事があるから」
「へー、なに。どんな用事?」
「…………デートですが……」
彼は眼をそらして、居心地の悪さを感じながら告げた。
少女は平然としていた。
「ふーん。そうなんだ」
「……うん。そうなんだ」
「ところで真斗。あんたなんのゲームやってるの? ハードは?」
「ん? 3ESとか、かな……携帯ハードだったら」
「ああ、やっぱアイプラスってヤツ? 体験系の恋愛シュミレーションゲームの。あれオモシロいわよねー」
「デートの件、二次元の話しと思われていますか!?」
彼がツッコミをするテンションで言った。
「てかアスカさん。アイプラスとか知ってるんだね……。ていうか面白いって……」
「やったことあるもの。――ま、あたしの本命ゲーは『ポーモン』だけど」
「え、マジで?」
彼が食い付いた。
「ええ。あたしの3ES、限定のポーモン仕様のやつなわけだし」
「マジか! ちなみにバージョンはどっち? 『太陽』? 『月』?」
「両方。――メインロムは『太陽』の方ね。『月』はあまり進めていなかったから、エクリプス作るの苦労したわけよ」
「ガチ勢かっ!」
「最新シリーズは光陰破滅ルートがよかったわけよね」
「おお……、これ、この人、アスカさん、俳人クラスだよ……。光陰破滅ルートって、出現するモンスターを敵も味方も逃げる者さえ、すべて倒し尽してゆく修羅のルートじゃん」
「ええ。――しかし真斗。アンタ、このルートのことをご存じということは、なかなかのやりこみプレイヤーなわけね? じゃ、好きなモンスターは?」
「宇宙水禍コスモスライム」
「へー(ニヤリ)」
「ああ(ニヤリ)」
向かい合う二人は不敵に笑い合う。
視線が交わる。互いを認め合った理解の眼差しだ。
そして、どちらからでもなくスッと手を出して、握手を交わした。
そんな手の重なるテーブル上に、影が差し込んだ。
「ん?」
「ありゃ?」
外を見る。
目尻のつり上がった彼女。
それが窓にくっついていた。
入店した彼女が、店員に断わった。
「友達がいたので、相席しますねー」
とても友達に向ける眼をしていない彼女が、席にやってきた。
「や、やあ、皆元さん」彼が少々ビビりながらあいさつした。
「やっぱミナモトじゃん。やっほー」少女はフツーにあいさつした。
「…………ええ」
「ど、どしたのよミナモト。なんか雰囲気が悪いわよ」
空気を読まない少女が、不穏を読みとった。
「いいえ、べつにべつに」
「そ、そう? ま、座りなさいよ」
ブスッとした彼女が少し迷って、彼がいる長椅子に腰掛けた。
「……真斗くんとアスカちゃん……知り合いだったんだね?」
「あ、いや、アスカさんとは、さっき知り合ったばかりだけど……」
「……ふーん。さっき……。あと真斗くんは、アスカさんって呼んでるんだね?」
「え、あ、うん。まあ」
「ほー。そっかそっか。でも、さっき知り合ったばかりにしては、ちょっと、仲が良さげじゃありませんですかねえ」
「同じゲームをしているらしいから、意気投合しちゃって、ね」
「……へー」
謎の恐怖。
瞳が暗黒。
彼ビビる。
なにも悪くないのに。
「どうしたのミナモト? やっぱり何かあったわけ? 話しくらい聞くわよ」
「あ、ちょっと待ってね、アスカちゃん」
店員がやってきた。お冷を置いた。
「カフェシェケラートお願いします」
「畏まりました。少々お待ち下さい」
彼女が注文を済ませた。
少女がカフェモカに口を付けてから、聞いた。
「で、どうしたのミナモト」
「うん。まあ、なんというかね……」
口調は穏やかだが、眼はキレていた。
そんな彼女が言った。
「実は実は、私、きょうデートの約束をしていたのですよ」
「へー」
「……」
「それでそれでね、まあその、せっかくだしおしゃれして準備してそれなりに楽しみにして、彼との待ち合わせ場所に急いで向かったのです」
「ほー」
「……」
「ところがどっこい、待ち合わせ場所に約束した彼がいないの! 待ち合わせの時間は、とっくに過ぎているというのに!」
「ふむ」
「……」
「それでスマホとか見て彼の現在地を調べて、私はそこに移動したのね」
「うん」
「……」
そこで彼女は、テーブル上のお冷の入ったグラスを握り口元へ持っていき、ごくごくごきゅごきゅごっくん、とほぼ飲み干してから、怒鳴った。
「そしたらそしたら、そこで彼! 私とはべつの女の子と、仲良く楽しそうにお話ししていたのよっ! 私のことなんかすっかり忘れてぇ!」
「あの、皆元さん。店内なのでもう少しボリューム落して」
彼がやんわり指摘した。
「なにそれ! ふざけんじゃないわ。何やってんのよアイツ」
怒りで少女が怒鳴った。
「え、あ、アスカさん?」
「え、あれ? アスカちゃん?」
彼だけでなく状況説明をしていた彼女ですら唖然とした。
小さい少女は怒り心頭だった。
「そんな男だとは思わなかったわ! いいヤツだと思っていたのに……。だから、あたしわざわざ――てかミナモト、ちゃんと怒ってきたの? 文句いってきたの? 一発くらい殴ってやってもいいと思うわけだけど!」
「あ、いや、大丈夫です、はい。いや、それにそれに、そこまで怒ることじゃ……」
当人である彼女でさえ引いていた。
「怒ることでしょ! バカにされたら、悔しいじゃない!」
バァン! と。
怒れる少女はテーブルを叩いた。
ぐらり、と――
「あ」
彼女がほぼほぼ飲み干して軽くなったお冷のグラスが、テーブルから転げ落ちた。
落ちゆくグラス。
「あっぶなっ!」彼がぎりぎりキャッチ。「ふう。セーフ……」
「あ、ありがとう。真斗くん」
「あっ、そのごめん……」
ひと騒動で少女たちは冷静になった。
「その、悪かったわ。ごめん」
「いやいや、いいよいいよ。もともと、私がアスカちゃんをイライラさせちゃったのが原因だしね。それに真斗くんが受け止めてくれたから、グラスも割れなかったし、飲みきっていたから水もこぼれていないし、なんの被害も出ていないしね。気にしないでいいよ」
「皆元さん。スカートちょっと濡れちゃってるよ?」
彼が言いながらテーブルの紙ナプキンを抜き取った。
「ん。あ、ほんと……ちょっと濡れちゃったかぁ。――あ」
「どうしたの、皆元さん?」
「……あの、真斗くん、私、ちょっとだけ……濡れちゃった、みたいなの……」
「なぜ恥じらうように言いなおした!? 知ってるし。言ったじゃん」
「あはは。ま、大丈夫でしょ。お水だし、シミにもならないでしょう」
「そう? 皆元さん清々しいな……でも、いいの? 皮膚の方に滲みてない?」
「だいじょぶだいじょぶ。気にしない。――あ、真斗くんが気になるようなら、私のスカート、拭いてくれてもいいよ?」
「はあ……」
彼は溜息をついて、――
「うんうん。べつに大したことないし、ほっとけば乾くし――って」
――彼女のスカートに手を伸ばして。
「えっ、あのっ、ホントに拭いてくれるの、って、ソコふとも……うっ……あ、くっ……ちょっ、まっ、あのくすぐった…………あ、ん。……ああん!」
「ちょっ、おい! 皆元さん変な声出すなよ」
彼が手を止めた。
彼女の奇声で店員が様子を見に来た。
いいえなんでもないですよ、と本当のことを話した。
少女の方――対面の席に移動した彼女が、ジト眼を彼に向けていた。
「……………………ケダモノ」
「ええっ、いや、でも、拭いてくれと言ったのは皆元さんだろ?」
「拭いてくれとは言っていませんー。拭いてくれてもいいよって言ったんですぅー」
「え、同じだろ?」
「違いますぅー。ニュアンスが違いますぅー」
「はあ」
溜息をついた彼は、注文していたコーヒーを一口飲んでから、聞いた。
「ところで、アスカさん。僕に話があるんだろ? いったいなんだったの?」
「あ、そうだったわね……」
「あ、真斗くんめ。話しをそらしたな」
「もういいだろ。そろそろ本題に入らないと。昼までには帰りたいし。で、アスカさん話しって何? なにか困りごと?」
「んー、あー、いやそういうわけじゃ――……いや、そういうわけよ!」
「ん? どういう訳なんだ?」
「え、なに、アスカちゃん。真斗くんに話しがあるの?」
「ええ、せっかくだからミナモトも聞いて考えてほしいのよ。――事件なわけよ」
「私も? 事件?」
「何かあったの?」
ようやく本題に入る。
そこで少女は、困ったような照れたような、そんな表情をした。
「実はね、あたし宛にラブレターが届いたんだけど、差出人がわからないのよ」
「……」
「……」
彼と彼女は、何とも言えぬ顔をした。
「お待たせいたしました。カフェシェケラートです」
店員が彼女に飲み物を運んできた。
「あ、どうもありがとうございます」
店員が去ってゆく。
「…………」
「…………」
「ねえ、ちょっと、なんで2人とも一言もしゃべらないわけ?」
「えっと、ね。……いやいやこの事件って前にやったんじゃないの、というデジャヴ……みたいな感覚に、襲われているところだったの」
「なに言ってんのミナモト」
「あのさ、アスカさん」
「ん? なに真斗」
「その手紙、落し物だから」
「は?」困惑。
「んで、無関係の第三者が手紙を拾って、間違えてアスカさんに届いたんだ」
「へ?」混乱。
「じゃ、事件解決で。帰ってもいいかな?」
「納得いくかぁ! どういうわけよ!」
少女が吠えた。
「いやいや真斗くん。さすがに先週の事件とマルマルぜんぶ同じってことはないと思うから……話を聞いてあげようよ」
「まあ、うん、そうだろうけれど……はあ」溜息をついてから訊ねる。「で、どういうことなの、アスカさん」
「ふふふ。いいわ。このあたしが説明してあげるわ」
「なんかコレ、馴染みのある展開のような気がするんだけど……。いまって平日の放課後だったっけ?」
「土曜日の午前中だよ、真斗くん。あとココは3年2組教室ではなくて喫茶店です」
小柄な少女が説明を始める。
「事件は3日前ね」
「水曜日か」
「あ、めちゃ寒かった日ね」
「そうね。寒い中、あたしが学校に登校したところ――」
「靴箱かな?」
「うむうむ。定番だね」
「勝手に決めるんじゃないわよ! 違う。あたしの学校は校内も土足だから靴箱ないし」
「ふーん」
「そうなんだ。じゃあじゃあ、ラブレターはどこにあったの?」
「机の中、本に挟まっていたの。21ページと22ページの間に」
「ん」
「ほほうほうほう。――で、で、でぇ、なんて書いてあったの?」
彼女が楽しそうに訊いた。
「え、だからその、『あなたのことをずっと見ていました』とか『あなたが好きです』とか、その、あ、『愛しています』とか……そういうことが、書かれていたわけよ」
少女はテレながら答えた。
「ぴゅうー」彼女の口笛である。
「で、まあ、そういう手紙だったわけなんだけど、『今はこの気持ちを知ってもらいたかっただけです』って書かれていて、差出人の名前が書かれていなかったのよ」
「ほほー。なるほどねー。付き合ってくださいという、お手紙じゃなかったのか。ただあなたが好きです、という告白だけの文章だったんだね」
「でも気になるわけじゃない? そんな手紙をもらったら。だから、アンタ達にちょっと考えてもらいたいわけよ。ミナモトって日曜日も賞品がなくなった件について推理していたわけだし。今まで結構、そういう謎を解いてきたんでしょ?」
「え、……ええ。まあねまあね。任せてよ」
「ん? 皆元さん。今までって――」
「さあさあ、アスカちゃん続き、つづき!」
彼女がごまかした。
「ま、つづきと言われても、これで全部なんだけどね」
「なるほほなるどど。でもでも、私たち、アスカちゃんの学校のヒトとか知らないし……」
「ええ。まあ、そうね……」
「ちなみにアスカさん。それ、受取人の名前は書かれてた? フルネームで」
「あったりまえでしょう! ちゃんとえ――本名が書かれていたわよ! 可児江明佳さんへ――って!」
「なるほど。じゃあ、受取人の間違いじゃないのか……」
「真斗。あんた、失礼じゃない?」
「あ、はい。すいません」
「気にしないでアスカちゃん。真斗くんはデリカシー無し男だから」
「まったく!」
「んー。でもでも、どうしよっか。……それじゃあ、その手紙を見せてもらう――わけにもいかないよね。プライベートなことだもん。書いた本人も、アスカちゃん以外には見られたくないだろうし……」
「そう、ね。ありがとね。配慮してくれて」
「いえいえー。当然のことだよ」にこりと笑む。
「…………」彼が彼女を見ていた。無言で。
「え。なにかな? 真斗くん」
「いや、別になんでもない」
そう言った。
「んー。それじゃあ、この件はもう推理できないかぁ」
「アスカさん。水曜日、学校に到着した時だけど、クラスメイトの様子はどうだった?」
「え、あたし、ほぼ毎日、教室へ一番乗りだから、誰もいなかったけれど……?」
「ええーっ。そうなの? すごいね。アスカちゃん」
「ん。そう? あたし、家から学校まで遠いから電車通学なんだけど、混雑がキライだから朝は早い時間に出ているのよ」
「へー、へえー。電車通学なのかぁ。中学生の電車通学ってめずらしいね」
「いや、それ、おかしいって」
「え。真斗くん、なにが? 電車通学の中学生くらい普通いるでしょ。希少だけど」
「いや、そっちじゃなくて、教室に一番乗りって方だよ」
「え?」彼女が首を傾げる。
「机に手紙が入っていたんだ。それなら、アスカさんよりも先に――早い時間に『差出人』は学校に来ていなければならないだろ。手紙を机に入れるところを見られたら、差出人がわかってしまうんだから」
「ああ、そうねそうだね。たしかにたしかに……」
「あ、」少女は気がついた。
「アスカさん。よく思い出してみてくれ。おそらくアスカさんよりも早く登校していた人がいたはずだよ。その人が『差出人』だ」
しばし眼を閉じて黙考していた少女がついに瞳を見せた。
「……うん。思い出したわ」
「どおどおどーなの、アスカちゃん。先に教室に来ていたクラスメイトはいた?」
「ええ、思い出した。その日はあたしよりも早く学校に来ていたクラスの人、いたわ」
「やはりやっぱり! やったやったよ。これでわかる」
「ええ、3人いたわ」
「え、3人もいたの?」彼が少し驚く。
「いやいやいーや、3人に絞りこめたと考えましょう。――それで、アスカちゃん。差し支えなければ、そのヒトたちのこと教えてもらってもいい?」
「そうね。じゃあ、ちょっといっしょに考えてもらえる?」
少女が各人物の説明を始める。
「1人目は宇郷ね。たしか日直だったはず。教室の鍵をあける仕事があるから、おそらく一番最初に教室に来ていたはず。でも、花瓶の水を換えたりとかするし、ずっと教室にいたわけじゃないと思うけど」
「なるほどぉ。で、そのウゴーってどんな人なの?」
「運動神経がいいかな。バスケ部でけっこう背が高い。――あ、でも、このまえ体育の授業で話したときは『好きな人はいない』って聞いていたわけなんだけど……」
「ふむふむ」
「2人目は佐々川ね。あたしよりもほんの少し先に教室に到着したみたいだった。あたしが教室に入ったとき、荷物を置いて上着を脱いでいたから」
「うんうん。で、そのササガワはどんな人?」
「えっと、よく知らないというのが本音。たしか陸上部で短距離だったはず。筋肉質。たぶん部活で朝練があるから早く来ているんだと思う。朝、よく見るし」
「うむうむ」
「3人目は大谷、ね。いつ学校に来たのかは、ちょっとわからない。あたしが学校に到着した時に1階ですれ違っただけだから。あいさつしたわ。それから大谷が教室にやってきたのは、クラスのみんなが教室にそろって、SHRが始まる直前だったわ」
「なるなるぅ。で、そのオータニはどんな?」
「直接話したことはあまりないわね。でも、話しているのはよく聞くわ。眼鏡をかけている。リーダーシップを発揮してクラスをまとめてるわ」
「クラス委員ってことだね。オータニは」
「いや、クラス委員じゃないんだけどね」
「へー、そうなんだ。まあ、そういうタイプってことだね」
「ええ、まあそういうわけよ」
「……なるほど」
彼が口から漏らした。
「なるほなるほ。つまりアスカちゃんにラブレターを送った人物は、宇郷、佐々川、大谷。その3名のうちの誰かの可能性が高いってことか。うんうん」
「で、どうよミナモト。なにかわかった?」
「ふふふ。そうだね」彼女が笑う。
「え、まさか」少女が驚く。
「さっぱりわからん!」
彼女が胸を張って、あっけらかんと宣言した。
少女がガクッと姿勢を崩した。
「いや、あれは、笑ったのは、なにかわかったっていう雰囲気じゃなかったわけ?」
「えーっと、いやいや、ついつい、やっちゃったんだよ。不敵に笑ってみたいじゃん?」
「そ。……ま、でもこれだけで差出人はわからないわよね。フツー」
「ええ、ええ。そだね。これだけじゃ、ちょっとねー。――うだー」
べたー、と彼女がテーブルに身体を乗せて脱力した。胸部が天板に押し付けられて潰れて形を変えた。そんな彼女が頭をあげて、彼を見た。
「でもでも、みんなで意見を出し合えば、なにか閃くのではないかと私は思うよ。だからどうだい、なにか気がついたかいワトソンくん」
「え、急にフってきたな。皆元ホームズ……」
「ずっとしゃべっていなかったし、考えている感じだったし、なにか思うところがあるのではないかなー、と思いましてね」
「いや、別に……なにも思いついていないけれど……」
「ふーん。あ、でもでも、男子目線なら気が付けるという謎もあるかも。『差出人』の気持ちになって考えてみて。真斗くん自身がラブレターを書いたとして、机の本に挟んだとして、その後にどういう行動をするか。どおどお?」
「んー。そう言われてもなぁ。そんな経験ないし」
「……真斗くんよ。別に、私に書いてくれてもいいんだぜ?」にやり。
「え。必要ないだろ?」
「……ぷくー」
「わっ。ミナモトの頬が超ふくらんだ! めちゃ張ってる」
「ああ、皆元さん名物、唐突に始まるハムスターのモノマネだよ。クオリティ高いよね」
「へー。すご。ちょっとさわってもいい?」
「話がそれてるから! 今は事件の話でしょ。アスカちゃん、私の頬を人差し指で触れてこようとしないで。考えましょうよ。ちょっとはなれて……はなれて…………あ。」
「ん。皆元さん、どうしたの?」
彼女が上体を起こして、言った。
「わかったかも……アスカちゃんにラブレターを送った『差出人』が」
「え、うそ……」少女がつぶやいた。
「うーん」彼が唸った。いつもの展開だ、という気がしたからだ。
彼女が考えを話す。
「差出人の気持ちになって、考えてみたの。ラブレターを渡したり、どこかに入れたりした後、どういう行動をするか」
「ええ」
「うん」
「普通さ。照れくさいと思うんだよね……。あたりまえだけど」
「え? まあそーね」
「ああ、まあそうだね」
「想いを込めて書いた手紙。それを必死の思いで渡すんだよ。恥ずかしい。それに、『差出人』はアスカちゃんに自分の正体を隠しておきたいはずだよね。今は気持ちを知ってほしかっただけ、と書いているんだし。――だからだから、アスカちゃんにバレないために、できるだけ現場から離れたいと思うはずだよね。犯人は」
「皆元さん、なんかノリで犯人とか言っちゃってるけど、犯人ではないから」
「でも、皆元の言うとおり、そういうわけかも……」
「ええ、だから――アスカちゃんの机に手紙を入れたのは、その後に教室から離れていた人物、1階をうろついていたという、大谷だぁ!」
「おおーっ」少女が驚く。
「あ、ああ……」彼は渋った返事だった。
「うんうん。ででも、どうした真斗くん。なんだか納得がしていないような感じだけど」
「あー、いや、なんでもないよ」
「いやいや、なになに、絶対なにか不満があるでしょ? ちゃんと言ってよ。意見は出し合ってこそでしょう。否定意見でも、とりあえず聞くよ、私は」
彼は渋るが、ようやく話した。
「んー。それじゃあ……――もしも、その3人の誰かが手紙を入れた差出人だと仮定して、皆元さんの意見である『照れくさかった』という意見を加えて考えても、……それでもまだ3人の中の誰でも『差出人』たりうると思うんだ。『差出人』を絞り込む要素としては弱い」
「え、なんで? ふつう現場から離れたいと思うでしょ」
「ああ、僕もその考えは正しいと思うよ」
「うんうん。だから大谷だよ」
「いいや、それは、わからないよ」
彼はさらにわかり易く例える。
「例えばだけど、2人目の佐々川さんを手紙の『差出人』と仮定するだろ」
「うんうん」
「佐々川さんは、手紙を机の中の本に挟む。でも、それからすぐにアスカさんが教室に来ている。だから急に教室を離れるのはアスカさんに不自然と見られる、と考えたのかも」
「あー、たしかに。あからさまだもんね」
「同じことが1人目の宇郷さんにもいえるんだよ。手紙を机に入れた後、その場を離れたいと思ったのかもしれないけれど、日直の仕事がある。だから教室周辺から離れられなかったのかも」
「なるほどーそういうこともあるかぁ」
「うん。その場から離れたいという感情は理解できるけれど、実際にそれを行動に移せるかどうかは別だよ」
「たしかになー」
うんうん、と頭をたてに振り、彼女が納得した。
少女がとつぜん呟いた。
「そういえば、あれは、なんなのかしら……。なにかわけがあるのかしら……」
「え、なにアスカちゃん。もしかして、なにか気になることでもあったの?」
「ええ、まあ、大したことじゃないんだけど……」
「なになに、聞かせてよ。そういう大したことないっていうことほど、重大な事柄だったりすんだよ。ぜひ聞かせてよ」
「ん。それじゃあ――」
少女が思案顔で上を見た。
「――あの天井で回っているプロペラ、いったい意味があるわけかしらね?」
彼女がガクッと姿勢を崩した。
「えー、いやいや、事件に関することじゃないの?」
「ふと気になったから。それに聞かせてって言ったのミナモトでしょ」
「まあそうだけど。でもでも、たしかに、アレなんだろね。オシャレかな?」
彼が答えた。
「名前は知らないけど、ファンじゃないかな。空気を拡散させて冷暖房の効率をよくしたりできるんじゃない?」
「あー、そうかも。そーいうわけね」
「あ、そうだね。そうらしいよ。――シーリングファンっていうらしいよ。今スマホでググったよ。やっぱりカッコつけの意味もあるって」
「ふーん。ま、喫茶店って雰囲気が大切なわけだしね」
「そだねそうだね。たしかにそうだ。――あー、シェケラートおいしー」
「その分お値段も張るけれどね……。おいしいけれど。一般中学生の僕には、お財布へのダメージが心配だよ」
「そだねそーだねぇ、私もだ。今月はちょっと大きい買い物しちゃったし」
「あたしも同様だわ。だけどこういう良い雰囲気のお店ならリラックスして集中して、色々できそうなわけよね。課題とか読書とか、厳選作業とか」
「ん? 厳選作業ってなに、アスカちゃん」
「そういうことを強いられることがあるわけよ」
「ああ、高みを目指す以上、避けては通れない道だね……」
「ふ、ふーん」
遠い眼をする彼と少女に、彼女は表面上だけ納得した。
「ところでミナモトは、明日もテニスコートに行くわけ?」
「え、――うん。もちろん」
「ふーん。よくやるわね。……辛くない?」
「べつに辛くないよ? ちょっと寒くなったけど、動いていればあったかくなるし。場所は遠いし不便だけれど、歩いて行けない距離じゃないし」
「あたしは、人間関係的な意味で聞いたわけだけど……今日あんなことがったわけだし……ま、いいわ」
「ん? 人間関係は良好だけど……」
先週のメンバーでも険悪だったのは、この小柄な少女とあの天然少年の二人だけなのだが、わざわざ言う必要がないので彼女は口にしなかった。
「アスカちゃんは? 明日は参加できるの?」
「え、まあ、明日は大丈夫なわけだけど……てかあたし、行ってもいいわけ?」
「もちろん。正志くんやエビヤくんも言っていたと思うけど、あそこは公共のテニスコートなんだから、みんなのモノなんだし。ある程度は人数がいた方が、いろんな対戦が出来て楽しいと思うよ。だから、ヒマならぜひ来てよ!」
彼女が笑顔でさそった。
「ま、まあ考えておくわ」
少女はすこしテレながら、そっけないように聞こえる返事した。
「真斗。ところでアンタは参加しないわけ?」
「ん。……僕はいいよ。行かないよ。……明日は自宅でげんせ――受験勉強をしないといけないからね。いそがしいんだ」
「アンタ、厳選作業って言おうとしなかった?」
「あー、コーヒーうまいなぁ」
彼はすっかり冷めたコーヒーで、お茶を濁した。
「アスカちゃんは普段、どんな本読むの?」
「ラノベとか……ストーカーアンドデッドライン、ってやつを読んでみたわけだけど、なかなか面白かったわけよ」
「ん? あれあれ、そのタイトル、どこかで聞いたことあるような……」
「僕が読んでいたからね」
「あ、そうだそうだったね。思い出した」
「へー、アンタも読んでるんだ真斗」
「まあね。でもアスカさんなら電車通学で、登校中に電車の中で読めるから、それはメリットだよね」
「いやあたし、電車の中では読まないわよ。電車の中では厳選さぎょ……英単語の復習とかしているわけだから。中3で受験生だしね」
「厳選作業って言ったよね。最後の2文字まで言っておいて、ごまかすのは無理だから」
彼が一応ツッコミした。
「しかし、よ? 通学中の電車で本を読むってけっこう大変なわけよ。教科書の詰まった鞄を持ちながら読まなきゃいけないわけだし」
「電車の中でゲームも同じようなものだと思うけどなぁ……なかなかの苦行だと思うよ」
「厳選作業は……ほら、ずーっとやっていると、なんか、こう、しんどさの中に、気持ちよさと楽しさが生まれてくるのよ」
「このひとヤバい俳人だな。けれども…………わかりみが、すごい……」
「でしょー。そして、最強の個体が出てきたときの感動。そして――」
彼と少女が、空虚な顔をして――
「「――ああ、やっとおわった……という虚脱感……」」
なぜかハモった。
「なにこの二人。私の置いてけぼり感が、すさまじいわ。……さびしい」
彼女がぐちった。
「てか正直あたし、本はあまり読まないのよ。ゲームや動画ならプレイするし見るわけだけど。本を読むよりもラクなわけだし」
「最近の子だなぁ……」彼がぼやいた。
「同学年でしょアンタ。――学校で読書の時間が設けられているから、そのとき読むくらいなわけよ。読書用の本は、基本的に学校の机に入れっぱなしなわけ」
「なるほど」
「ええ。そういうわけよ」
「ならならならば、アスカちゃん宛てのラブレターは、そのストーカーアンドデッドラインというライトノベルに挟まれていたんだね?」
「え、」少女が、唖然とした。
「ん? どしたどーしたアスカちゃん。ちがった?」
「あ、いえ、なんでそう思うわけ?」
「うんうん。さっき電車の中で『教科書の詰まった鞄』って言っていたから、教科書を学校に置いて帰らないよね。置き勉するタイプじゃない。それなのに『本』にラブレターが挟まっていたなら、それはいつも置いて帰っているそのラノベに挟んであったってことだもんね」
「え、まあ、そういうわけだけど……そうだけど……」
「なに、どしたのアスカちゃん?」
「いや、その、ミナモト、まだ考えていたんだ……って思ったわけ……。もうずいぶん別の話題だったから、もう忘れたものかと……」
「忘れないよ」彼女はあまりにも自然に言った。
「…………」
「だって、アスカちゃんは困っているから、真斗くんや私に相談したんだよね」
「…………」
「ならば、だから、私は一生懸命考えるよ。友達が困っているわけだし」
「とも、だち……」
「ええ、そうでしょ。いっしょにテニスして、いっしょに喫茶店でおいしいもの飲んで、いっぱい雑談して。――もう友達でしょ?」
「そ、そっか……。まあ、でも困っているってほどでもないわけだから。大丈夫よ」
「でも、気になるでしょ? なら私も考えるよ。今すぐに答えは出ないかもしれないけれど、少しでもなにか気がついたことがあったら、また言うからね」
「…………」
そんな真っ直ぐな彼女に、少女がすこしだけ後ろめたい顔をしていることに、彼は気がついていた。
「でもさ、皆元さん」
「ん? なにかなにかな、真斗くん」
「タイムアップ。もうすぐお昼になってしまうから、このあたりで解散にしよう」
「え、ええぇっ! ちょっと、いま私、事件解決がんばるよって話題で――」
「でも時間になってしまったんだから、仕方がないだろ」
「でも、でもでも……」
「それに皆元さん、今日は午後から鷲尾さん達と勉強会するって言っていただろ」
「むー」彼女がむくれた。
「それに、アスカさんだって、自分の事情で皆元さんの予定を狂わせてしまったら、申し訳ないと思っちゃうだろ?」
「まあ、そうだけどさー」
「ええ、そうよ。ミナモト、用事があるなら行かなきゃダメよ。時間と約束はちゃんと守らないとダメなわけよ」
「うっ……。はい。そうですね……」
彼女が申し訳なさそうな顔をしていた。
「あ、でもでも、ちょっとだけ待ってね。シェケラートまだ残ってるから。いま飲みきるから」
彼女がグラスを傾ける。
ちなみに残りの二人は、もう飲みきっていた。
「うむー。ちべたい……頭きーん……」
「この寒いのに、冷たいもの注文するからだよ……」
彼がげんなりしていた。
「ねえ、ミナモト」
「ん。なになに、アスカちゃん」
「その、あの……ミナって、呼んでも、いい?」
「ん?」
「ほら、その、あたし、友達との間には、やっぱ愛称とか、大事だと思うわけよ。だから――」
「あ、なるほどね。おっけー。じゃ、それで!」
彼女の返事は軽かった。あっけらかんだった。
「それじゃ、私もアスカって呼び捨てにしちゃうけど、いい?」
「ええ、そうね。それでいいわ。それがいいわ。――よろしくね。ミナ」
彼女達が笑いあった。
うーんぬーん、と彼女がシェケラートと戦っていた。
「ところで真斗」
「ん。なに、アスカさん」
「アンタ、用事はよかったの? 予定あるって言っていたわけだけど」
「ああ、問題ないよ」
「あ、なるほどね」
「あ、いや、たぶんそういうことじゃないんだけど……」
「ま、いいから。あたし、わかってるわけだから。気にしなくてもいいから」
少女が理解者のように、彼に話した。
が、やはりわかってはいなかった。少女は、やはり次元の違う話だと思っていた。
会計を済ませて、喫茶店を出た。
「うわうわっ、さっむ」
「そうだね。風が強いな」
「そうね。アンタ達、飛ばされないように注意しなさいよね」
「ああ、うん。せやね」
「真斗、なんで関西弁なわけ?」
もっとも飛ばされそうな少女が言ったので、調子が狂ったのだ。
「あと、アンタ達、さっきの手紙の件は、あまり気にしなくていいからね。もう忘れてくれて大丈夫なわけだから……」
「ああ、わかった」
「でもでも、なにか気がついたことがあったら、ちゃんと言うから。安心してね」
「あ、うん、ありがとね。――じゃ帰るわ。ミナはまた明日。じゃあね」
「うん。じゃまた明日ね。アスカ」
少女が背を向けて、歩いていった。
彼と彼女が道を歩く。
「さてさて、アスカとは連絡先を交換したし、これで気づいたことがあればいつでも言える。――ではでは真斗くん、さっきの手紙の件で、気がついたことがあったら、私に話してくれてもいいんだぜ?」
「…………」彼、無言。
「ほらほら真斗くん。事件の話しのとき、なんだか一人で納得している顔をしていたから、やはりこれはもしかして、今回の件について、自分の中で答えが出ているのではないかと。お気づきの点があるのではないかと思いまして……」
「…………」無反応。
「いつもなら、ここからは解決パートの始まりで……あの、真斗くん?」
「…………」無視。
「えっと、あの、やはり、怒ってらっしゃいまする?」
「…………ああ、あたりまえだろ」
「あの、えっと、その……」
彼女は言い淀むも、ついに言った。
「――約束の時間に遅刻してしまい、大変申し訳ありませんでしたっ!」
彼女が低身低頭、謝った。
そんな彼女に、彼はさらに言う。
「うん。それだけじゃないよね?」
「あ、えっと、はい、……アスカの前で、あたかも彼が悪くて私は悪くない、みたいな言い方をして、ごめんなさい!」
「ああ、うん。なかなかの表現力だったよ」
彼はイライラしながら言う。
彼女の発言を思い出す。
「まず『待ち合わせ場所に急いで向かった』。そうだよね。遅刻しているんだから。――それと『待ち合わせの場所にいない。時間はとっくに過ぎているというのに』。そりゃそうだよね。すでに遅刻してんだから。――『スマホを見て彼の現在地を調べて』って、僕が喫茶店にいると皆元さんのスマホにメッセージ送っていたんだ。見ればわかることを調べてって……間違ってはいないけれどさ」
「…………ええ、はい。見栄を張って、すいませんでした」
「そもそも、駅前のクレープを食べに行こうと誘ったのは皆元さんだしさ」
「……」
「これでキレないほど、僕も仏のような精神構造をしていないからね。アスカさんの前では、みっともないし、感情を隠していたけどさ」
「ええ、はい。ごめんなさい。」彼女は素直に謝り、それからぼそぼそ小声でいう。「でもでも、向かった喫茶店で2人仲良く話していたら、怒りたくもなるでしょ。好きな人が、誰か別の子とイチャイチャしていたら……」
「ん。皆元さん、なにか言った?」
「いいえ。なんでもありません。今回の件は、私が全面的に悪うございました!」
彼女が全面降伏した。
「でもでも、言い訳みたいだけど、これでも、がんばって急いで走って向かったんだよ。待ち合わせ場所には。誠意を込めて精一杯に急いで。――まあ、真斗くんが信じてくれるかどうかは、わからないけどさ……」
「ああ、それは信じてるというか、わかってるよ」
「え?」
「どうしたの、皆元さん」
「どうして? わかってるってことは確信しているってことでしょ。どして?」
「ああ、皆元さん喫茶店に来てから、すごい勢いでお冷を飲んでいたから。のどが乾いていたんだなって思って」
「……それだけ?」
「注文したのも冷たいものだったしね。この寒い中で、店に入ってきて即座に注文したにもかかわらず。それは、急いで来たから、暑かったんじゃないかと思ってね」
「そ、そっかそうか、なるほどね」
よかった汗のにおいがしたからとかじゃなくてよかったほんとに、と彼女が安心した。
「それに――」
「そっ、それに?!」彼女焦る。
「お冷がこぼれた時、僕は皆元さんのスカートを拭いたけど、そのとき触れた足が――ふとももが張っていたから――硬くなっていたから、やっぱり走ってきたんだって」
「…………」
「ん? どうしたの皆元さん」
「…………えっち……」
「ええっ!?」
ジト眼でにらんでくる彼女に、彼は対応できなかった。
すこし時間が経って、落ち着いて。
「まあ、ともかくとにかく、アスカのラブレターの件だよ。真斗くん、なにかわかってるんでしょ? おしえてよ」
「…………」
「なんで無言なの?」
「やめておこう。皆元さん」
「へ? なにが」
「これは、パンドラの箱だ。開けちゃいけない……」
「ん? パンドラの箱って、なに?」
「あ、知らないのか。今どき知らない人いるのか……。あとでググればすぐわかるから。――いや、そうじゃなくて、それよりこの件は、もうこのままでいいよ。解決してはいけない……」
「え、なんで」
「なんででもだよ。解決したところで、誰も幸せにならない……」
「でも、アスカは気になってるんだよ。ほうっておくなんてできないよ」
「…………」彼は、やるせない。
「それに、もう真斗くんは、何かしら答えを掴んでいるわけでしょ? それを黙っているのは、誠実じゃないよ……」
「いや、今回の場合は、絶対に黙っていた方が……」
「私だって気になるの! アスカにラブレター送った人。だから、答えがわかるのに、そのままなんて納得できないよ。こんなにモヤモヤしているのに! なんで教えてくれないのよ!」
「つい先日、15分で解決できなければ永遠に迷宮入りという暗号問題をけしかけてきた人物の言葉じゃないよな……」
彼がげんなりする。
「あ、じゃあ、わかった。真斗くんに提案があります!」
「うわっ! 出た。ピンポンダッシュかっ」
「違う。毎回おなじと思わないことね!」
「そうなんだ。で、提案って?」
彼女が仰々しく両腕を広げた。
「真斗くんが私に答えを教えてくれないなら、今からこの場で、思い切り抱きつきます」
「は?」彼、唖然。
「だ、だから、あなたにハグをします」
彼女が赤い顔してどもりながら言った。
「答えてくれるまで解放しません。話してくれるまで放しません。ここは駅の近くのぼちぼち人目のある通りです。さあ、どうする。私に抱きつかれたくなかったら――あ、間違えた。私に抱きつかれたかったら、そのまま何も答えるな」
「なんか目的が変わってませんか!?」
「そんなことないよ。私はいつも揺るぎないよ」
警戒態勢の彼に、彼女がにじり寄ってゆく。
「さあさあどうする? どないする? ちなみに真斗くんに抱きついたら、私は脳内から幸せ物質がドバドバ放出されて、ちょっとヤバい感じになると思うけれど。まあ気にするな」
「なんだこれ、なんだこの脅し?」
「さあ、真斗くん。諦めるがいい」
「え、これ、どっちの意味?」
彼女が迫る。
彼が諦めた。
「はあ」いつもの溜息。「……わかったわかったよ。おしえる、おしえるよ。答えるから。だから、狩りをするライオンのように忍び寄ってくるのをやめてくれ……」
「…………ぷくーっ」彼女がふくれた。
ライオンがハムスターになった。
彼と彼女は、ひとまず公園のベンチに腰掛けていた。
「で、答えると皆元さんに話したわけだけど、なんで僕の左腕を拘束してるの?」
彼女は、彼の左腕を両腕で抱きしめていた。
上腕にあたる柔い感覚にドギマギしながら訊いた。
「いやいや、掴まえておかないと真斗くんが逃げちゃう可能性もあるかと思ってね」
「コレ、約束破ってない? 僕は答えるといったのに……」
「まあまあ、気にすんなよ。真斗くん。答えを聞いたら解放するから」
「いや、契約違反だろコレ。ならば、こちらもヒントしか出さないからな」
「えー」
「えー、じゃないよ。なら放してくれよ」
「真斗くんが逃げそうなので嫌です。逃げるでしょ?」
「…………」彼は眼をそらした。
「さあさあ、答えて。じゃあ、もうヒントでいいよ。早く解決しないと、寧々香との勉強会に遅れちゃうし」
「…………はあ」
やはり彼は溜息をついた。
彼女は楽しそうだった。
「ではでは、あの3人――宇郷。佐々川。大谷。その誰がアスカの机の中の本に、ラブレターを挟んだのか。ヒントちょうだい!」
「……まず、あの3人の中で絶対に違う人物がいるんだけど、それはわかる?」
「わからん!」
堂々と彼女が言い放った。なんかテンションが高い。
「…………ヒント。あの日はとても寒かっただろ。手が、かじかむよね」
「あ、そっか。佐々川は違うんだね。寒い中で、教室に到着したばかりだもんね」
「うん。そうだね」
「冷たくなった手では、本が開けない。ページに挟み込めない。だから、彼じゃない!」
彼が頷いた。
「それじゃそれじゃ、宇郷と大谷、この2人に絞り込めるわけね。……でも、これ以上は……」
「……ヒント。アスカさんと宇郷さんは、いつ、話しをしたって言っていた?」
「ん? 『好きな人はいない』って……」
「それは、『なにを』だよ。――僕が聞いたのは『いつ』のほう」
「えーっと、たしか体育の授業のときに話したって……なにか、おかしい?」
「……中学の体育って、ふつう男女別だろ?」
「え、あ。ああっ!」
「わかるよね。つまり?」
「――宇郷ってヒトは、女の子ってことぉ!」
彼が頷いた。
「ヒント。クラスのみんなが席についてSHRの直前に教室に入ってきた。当てはまる人物は?」
「え、大谷ってヒトでしょ?」
「うーん。……ヒントを変えるよ。あの日は寒かったって話だけど、大谷って人は教室にはいなかった。1階にいた。学校の1階にあって、ほぼ確実に暖房が入っている場所といえば?」
「んー。そんな場所、いったい…………あ。職員室とか? んー、でも無関係だろうし」
「それ」
「え。職員室? でもでもいったい何の関係があるの。大谷って人は職員室にいたってこと? たしかに寒さを凌ぐのにはいい場所だけど、生徒には居心地のいい場所じゃ――ん?」
「加えてアスカさんが言っていた言葉。リーダーシップを発揮、クラスをまとめている、話しているのはよく聞く、直接話したことはあまりない。すれ違ってあいさつをする。――はい。思い当たる人物は?」
「――大谷ってヒト、もしかして、先生なのっ!?」
彼が頷いた。
彼は、うんざりしていた。
「だから、もうわかったよね? ――これは、そういうことなんだよ……」
「ラブレターを書いたのは、宇郷さんか大谷先生。そうか、だから気持ちを知ってもらいたいだけ、と書かれていたんだね。女の子同士、教師と生徒、どちらもあまり世間的に認められづらいカップルだものね……」
彼女が真剣に話す。
「でもでも、それは世間体の話しだよ。本当に大切なのはアスカの気持ちだから――」
「あ、そっちに行ったか……」
彼が、右手で額を押さえた。がっくりきた。
「え、そっちとは……どっちのこと? いやどういうこと真斗くん」
「いや、そうじゃないんだけど……」
「え、え? でも、それ以外、思いつかないし……」
「ヘッポコ探偵・皆元さん。まずいって。……このままでは探偵の文字が消えて、ただのヘッポコになるよ……」
「え、なになになに、どゆこと?!」
「……ただ僕は、手紙を仕込んだ人物なんていない、そういうルートにもっていきたかったんだけど……」
「え、なんで? それじゃアスカはなにか勘違いをしたってこと? わけわからないよ。意味わからないよ。アスカは、ちゃんと手紙の挟まっていたページ数まで言っていたのに?」
「はあ」
彼は溜息をついて、上着に入れていたモノを彼女に渡した。
「ん? これは文庫本?」
「うん。以前に貸すって約束していたやつ。持ってきていたから。――これでアスカさんの言っていた21ページと22ページ。開いてみなよ」
彼女は受け取って、パラパラとページを開く。
「えーっと、あ、ずいぶん前の方なんだね。えーっと、えと。……んんっ?」
「うん。わかったよね?」
「あの、これ、挟めないんですけど?」
「ああ、そうだね」彼が同意した。
「21ページと22ページは、表裏の1枚のページなので、挟めないのですが……」
「ああ、そうだよ。ふつう文庫本――ラノベは右側が偶数、左側が奇数、そういうページの順番なんだ。なにか特殊な本だったらわからないけれど、アスカさんは手紙が挟まっていたのは、ストーカーアンドデッドラインってラノベだって言ってしまったからね……」
「え、つまり、これ、どういうことでしょうか? いや、わかってるんだけど……認めるのは、ちょっと虚しすぎて……」
「わかってるんだろ? ――つまり、この手紙の件は、アスカさんの創作。ぶっちゃけちゃえば、ただの嘘だよ」
「やっぱりかぁああああああぁぁああ!!」
彼女があんまりな結末に、声を上げた。
依然、動揺する彼女が訊ねた。
「ええぇー……でもでも、なんで?」
「皆元さんが、今日はデートだという話しをアスカさんにしていたからだろ。皆元さんが」
「なんで私を強調するの?」
「だからそれに触発されて『あたしだってモテるんだからね』ということを、主張したかったんじゃないかな……。だからつまりは――」
彼が、身も蓋もない、少女の本音を暴露した。
「――意地をはったんだろうね。皆元さんとおなじように……」
あまりにも虚しいパンドラの箱が開いた。
彼女は友のためにこの話を、永久に封印することを心に決めた。
お読みくださりありがとうございました。
お疲れさまです。
今回はいっぱい「はり」ました。
はっています。はれています。いろいろ。
天気。
喫茶店のお値段。
彼女のふともも。
などなど。
まあ1番張ったのは「伏線」ですかね(ニヤリ)




