10 君らみっつの正義が
「まだ、彼を殺してはいけないよ」
館長は、上崎君にそう言いました。穏やかな、テノール歌手のような声です。上崎君は、返答をせずに、ずっと床を見つめていました。
「十三番さんは貴重な人材だ。その埋めあわせをするために、君はこれから働かなければならない。彼を殺したいのなら、その後の不利益がこの会社に無いと判断するまでの利益を、この会社にもたらさなければいけない。分かるね」
上崎君はこくりと頷くと、しっかりとした声で言いました。
「僕は、人を殺すことができます」
私は、彼の言葉を黙って聞くほかありませんでした。彼の決意は固いのです。何を言ったところで、きっと無駄なのです。
「どんなに危ない仕事でもします。これから先、この会社に忠誠を誓います。死ねと言われれば死にます。その前にどうか、あいつをこの手で殺させてください。できるだけはやく、今すぐにでも」
館長が、機械を通して長い長いため息をつきました。上崎君の右手には包帯が巻かれていましたが、彼が強く拳を握っているために傷口が避けたのでしょう、赤く染まってしまっています。
「事前に報酬をくれ、ということだね」
「そうです」
「分かった、考慮しよう。しかし、今すぐにはだめだ。本当に君は人が殺せるのか、本当に忠誠を誓う気があるのか、本当に一歩間違えば死ぬような仕事でもできるのか、これから判断させてもらう。
こちらがそれを確信したとき、君に報酬として、十三番さんを殺害する機会を与えよう」
「ありがとうございます」
「しかし、いいかい。あくまでも機会だからね」
強い口調で、館長は言います。
「確実に君が殺せるとは言っていない。あらゆる可能性を考えて望むことだ。十三番さんは自分の身を守るために君を殺しにかかるかもしれない。どこかに逃げてしまうかもしれない。あくまでこちらからは、機会を提供するしかできない。君の横にいる四番さんは、君と同じように機会を与えられ、それをモノにしたんだ。分かるね」
「はい。承知しています」
「君の覚悟は理解した。まずはその両手をすぐに完治させなさい。それが、君の仕事だ。下がりなさい。四番さんは、次の仕事の話がある、残りなさい」
上崎君が静かに部屋を出ていった後、館長はまた、深いため息をつきました。
「こんなことになるとはね」
はい、と答えるとき、私は泣いてしまいそうでした。
「間違っても」
館長がすべてを言い終わる前に、私は返事をしました。
「間違っても、二十番を殺すようなことはしません。彼をこの世界に連れてきたのは私です。その責任は取ります、どんな形でも」
こくり、と館長が頷きます。私は、先ほどの上崎君と同じように、右手を強く握りました。強く握った右手から血が出て、そのまま大量出血で死んでしまえばいいのにと思いましたが、そんなことは起こりませんでした。
「責任は取りますから、ひとつだけ」
言いかけた私の言葉を、今度は館長が察してくださいました。
「二十番さんに、殺しの仕事を頼もうとは思っていないよ」
その言葉に、私は救われました。黙って頭を下げるほかありません。
「人を殺すことは特殊だ。二十番さんはね、敵である十三番さんを殺すことはできるだろう。しかし、自分とまったく関係の無い人を、仕事だからといって殺すことができる人はそうそういない。
正確には、殺し続けられる人、だろうね。物理的に殺せたとしても、精神的に持たない。このことは、もしかしたらこの会社の中では君が一番理解しているかもしれないね」
「はい………………私の、正義のために、お願いします」
「分かっているよ。君の正義がなくとも、二十番さんに殺しをさせようとは、思わないから」
私はもう一度、深々と頭を下げました。
「私も、たくさん働きます。どうか、そのときが来ましたら、二十番さんに同行させてください」
「もちろん」
楽しげに、館長は言いました。
「君らみっつの正義がぶつかるんだ」
はっきりとした声に、私は館長が必ず約束を守ってくれるだろうと思うことができました。
「私の正義を実行させてくださり、ありがとうございます」
自分を恨んでいる人をかわいそうだと思い、その人の心の平穏のために殺さねばと思う、イチサン。
そのイチサンに罪の無い姉を殺され、なぜ姉を殺したのかという理由を追求したいと願うと共に、彼を殺すために何でもするという、上崎君。
そして、イチサンの仕事にいつも同行し、人を殺したいまでの恨みを持った上崎君を、この世界に引きいれた私。
そんな私の正義は、間もなく、実行されようとしていました。




