最終話
屋敷の門のインターホンを押すと登美子さんが応答してくれたので、自分の名前を名乗った。
「佐々木さん、いらっしゃい。ご苦労様です」
登美子さんが扉を開けてくれた。
「登美子さん、おはようございます」
「おはようございます?」
登美子さんがクビをかしげた。私はすぐに自分の失敗に気付いた。
「あっ、申し訳ありません。飲食店のバイトって、夜でも出勤した時の挨拶はおはようございますなんです。それでつい、おはようございますって言ってしまいました」
「そうなんですね。少しびっくりしてしまいました。世間に疎いところがありますので、わかりませんでした」
「いえ、おはようございますと挨拶するのは、居酒屋など夜勤があるところで、独特ですので、一般的には使われていないと思います」
「そうなのね。あまり気にしないでね。私なんか、テレビドラマなど見ていても時々聞き慣れない日本語が出てくるし。もう歳ってことね。さぁ、お入りになって。」
「おじゃまします」
私は屋敷の中に入った。相変わらずエントランスのシャンデリアは大きく迫力がある。
「さっそくお仕事の話なのだけれど、佐々木さんお一人で大丈夫?。慣れていない所も有るでしょうから、もしよかったら慣れるまでお手伝いしますけど」
「助かります。ありがとうございます。お金をもらっているのに、助けていただいて申し訳ないです」
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私と登美子さんに手伝ってもらい、コーヒーと紅茶を用意し、大木さんの部屋をノックする。昨日と同じように、大木さんは扉を開けてくれた。私は中に入り、昨日と同じ窓辺のテーブルにコーヒーと紅茶を置いた。大木さんも窓辺のテーブルに座った。
「佐々木さん、ありがとうございます」
「いいえ。あの、よろしければ、1つ伺ってもよろしいですか」
「ええ、どうぞ」
「このコーヒーは大木さんが飲むのは分かるんですが、この紅茶はどなたの為にご用意されているのですか?」
思い切って聞いてみました。だって気になるじゃん。
「このアルバイトを初めて40年経つけれど、この紅茶の事を聞いてきたのは、佐々木さんが初めてだよ。登美子さんと一緒に飲めたらと思って、用意をしているのだよ」
意外とあっさり答えてくれた。けれども、あっさりと答えるには、40年という月日は長く、普通じゃない。逆に殺されたイギリス人の供養の為と答えてくれた方がしっくりと来るように思う。
「ずっと40年も登美子さんと一緒にお茶を飲みたくて、紅茶を用意していたのですか?一緒に飲もうと言えば、きっと登美子さんも一緒に飲んでくれたと思います」
「私から誘う事はできなかった。私は、能動的に生きているというわけではないんだよ。何かのサイクルに乗って、ひたすら何かを待ちながら生きているんだよ。佐々木さんも、月曜日から金曜日は大学でお勉強をして、土曜日と日曜日はゆっくりと休む。一週間というサイクルに乗って生きているという具合にね」
「一週間とか、そういうサイクルには私は乗っていると思います。でも、いま私には好きな人がいますが、好きな人ができたときは、連絡先を聞いたり、ご飯に誘ったりします。ずっと40年もお茶を一緒に飲むチャンスを待っていたりはしないと思います」
「佐々木さんなら、自分から声をかけるだろうね。私の仕事は、土地の価格が下がったときに買い、土地が高くなったときに売る。土地の値段は、10年、20年という長い期間をかけて変動する。日本のバブル期のことは知っているかな?」
「知っています。私が生まれたくらいに、バブルが弾けました」
「よく勉強をしているね。土地の価格は、その時は今と比べて随分と高かった。私はその時に持っていた土地やビルを売った。父からこの会社を受け継いで、その時が初めての私の売りの経験だったんだよ。社長になってから15年目にして初めての不動産の売却をしたんだよ。私の生き方は、待ち一辺倒なんだよ」
「お仕事では、土地の価格が上がったり、下がったりするのを待つのはわかります。市場の値動きは自分ではコントロールできないものなので。ただ、人をお茶に誘うのは、待つ必要はないと思います」
「私は40年待った、そして佐々木さん、あなたが初めてこの紅茶は誰が飲むのかと聞いた。そして、私は登美子さんの為に準備していると答えた。今迄誰にも言ったことはなかった。私の人生のサイクルに変化があったと思う。佐々木さん、あなたはこのことを知ってどうされるおつもりですか?」
「登美子さんに伝えます。大木さんが、登美子さんと一緒にお茶を飲みたいから、部屋に来てほしいと」
大木さんは、そうですか、とだけ言うと庭を眺め始めた。私との会話はもう終わりということなのだろう。大木さんの両手は膝の上に置いてあるままで、コーヒーコップへと動く意思は感じられなかった。
「それでは、失礼します」
私は、軽く大木さんに頭を下げて出口へと向かった。
大木さんがなにか私に呼びかけるのではないかと、耳を澄ませながら歩いた。出口までの10歩がとても長く感じた。
扉を空けて、失礼しますと言って部屋を出た。大木さんは、窓を眺めたまま微動だにしていなかった。今日のコーヒーは、登美子さんが来る迄飲まずに待っているということなのだろうか。
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大木さんの部屋を出ると、キッチンの方で水が流れる音がしたのでキッチンに向かうと、登美子さんがコーヒーメーカーを洗っていてくれていた。
「登美子さん、すみません。洗い物までしていただいて。」
「いいえ。佐々木さん、ご苦労さまでした。片付けは済ましちゃったから、部屋で時間迄待っていてください」
「ありがとうございます。あの、登美子さん」
私は、大木さんの事を伝えた方がよいのかが分からなくなり、言葉が続かなくなった。登美子さんは、水道の蛇口をひねり、水を止めた。
「ごめんなさい。洗い物の音で、よく聞こえなかったわ。何か私におっしゃった?」
登美子さんは、自分がなにか聞き逃したのかと勘違いをしたようだ。
「いえ、あの。大木さんが、登美子さんと一緒にお茶をしたいと。紅茶は登美子さんの分です」
それ以上は、言葉が続かなかった。
「あら、じゃあ行かなくちゃね」
登美子さんは、それだけを言って、エプロンを外し始めた。登美子さんは、ずっとこの紅茶は誰の為に用意されているのか、ずっと、ずっと前から気付いていたのだろう。そして、登美子さんもずっと待っていたのかもしれない。
「それでは、少しお茶してきます。有沙さんは、お部屋で待っていてね」
そういって、登美子さんはキッチンから出ていった。私は登美子さんが大木さんの部屋に入る音を聞いてから、控え室に向かった。少しお茶してきます、だなんて登美子さんなんかうれしそうだったなぁなんて考える。
控え室でも二人の事が気になり、大木さんの部屋まで行って二人の会話を盗み聞きしたい衝動に駆られた。ソファーにも座ってられず、部屋をうろうろしていた。部屋に飾られているヨーロッパの農村かなにかを描いた油絵を眺めて、この絵画はもしかしたらゴッホの描いたものかも知れない、そうだったら高いのだろうなとか、棚に置いてある高そうな茶碗の中を覗いて、茶碗の中にしこしも埃が入っていないので、登美子さんの行き届いた掃除に感心したりして、時間を過ごした。
そんな事をしている間に、部屋がノックされ登美子さんが入ってきた。
「お待たせしましたわ。今日は私がコップは片付けておきますから、佐々木さんは、お帰りになっても大丈夫ですよ」
「登美子さん、ありがとうございます。何もしていなくて申し訳ないです」
「いいえ、いいのよ。楽しい時間を過ごさせていただいたわ」
私と登美子さんは、控え室を出て、屋敷の玄関まで行った。
「本当に申し訳ないのだけれど、今日でこのアルバイトは終わりということでかまわないかしら」
玄関先で、登美子さんは話を切り出した。
「私、バイト、クビということでしょうか」
私は俯いた。
「いいえ、そういうことではないわ。これは私のわがままなの。好きな人と一緒に飲む紅茶とコーヒーを自分で淹れたいの」
私は、その言葉を聞いて、顔を上げ登美子さんを見つめた。
「登美子さん、大木さんのことを好きだったんですか」
「ええ、有沙さんが生まれる前からね」
「そうだったんですか」
私が生まれる前からという言葉に、重みを感じた。
「好きとか、そんな恋愛話をするには歳を取りすぎてしまってりるから、恥ずかしいわ」
「そんなことはないと思います。バイトの件は、分かりました。」
「勝手なことを言ってごめんなさいね。有沙さんには、本当に感謝しているわ」
「いえ、私は何もしていません。むしろでしゃばったりして申し訳ございませんでした。」
「私と大木の止まった時計を動かしてくれたわ。本当にこんな日が来るなんて思っても見なかったわ」
「そう言っていただけると、ありがたいです。短い期間ですが、大変お世話になりました」
「助けられたのは、私たち二人よ。これは今日のバイト代と大木からのお礼よ。大木も感謝しているわ」
そういって、登美子さんは、封筒を私に手渡した。昨日もらった封筒の感触より少し封筒が分厚い。
「ありがとうございます。それでは、失礼致します。」
「有沙さん、本当にありがとうね。卒業旅行も楽しんでくださいね。それと、加藤さんにもよろしくお伝えくださいね」
「はい、わかりました。それでは失礼致しました」
そういって、わたしは屋敷を後にした。おそらくもう二度とこの屋敷には来る事はないのだろう。
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私は、屋敷を出て封筒の中身を見た。1つの封筒には、五千円札が1枚と100円玉が4枚入っていた。もう1つの封筒には、1万円札が10枚入っていた。卒業旅行のお金が貯まってしまった。そして、円山駅へ向かいながら、携帯で玲子に電話し、事の顛末を伝えた。
「有沙、お疲れさま。私もこれで小説が書き上げられそうよ」
「そうなの?特にこのバイトは玲子の小説とは関係がないと思うのだけどね」
「とても深く関係しているわ。今書いている小説は、美人の友達から屋敷での不思議なお茶汲みバイトを紹介された女の子が、そのバイトに隠されている謎を、解決するお話よ」
「なんかその内容に心当たりがあるのだけれど?」
「あら、偶然ね。ちなみにその小説の主人公もアリサっていうのよ」
「それって、思いっきり私じゃん!」
「あなたの有沙とは違う漢字のアリサだけれどね。私は、結末を書かなければならないから、また今度、ゆっくり話しをしましょう。またね。」
そう言って、玲子は一方的に電話を切った。玲子の言葉に唖然としながらも、どこまでも玲子らしいなとも思う。
そして、徹に無性に会いたくなった。徹は今、居酒屋でのバイトの時間だ。
「今日、どうしても会いたい。札駅で待っているね」
と徹にメールを送った。
もうバイトが始まっているだろうから、このメールを徹が読むのはバイトが終わってからになるかもしれない。徹ならバイトで疲れていてもきっと会いに来てくれる。
読みかけの小説の続きを読みながら、駅のカフェで徹を待っていよう。徹はいつもデートに遅刻してきて、いつも私が待たされる。
だけど今日は、とにかく徹を待っていたい。
時間がかかってしまいましたが、この話はここで完結です。中途半端な部分もありますが、処女作ということでご容赦いただけたらと思います。また、つたない文章ながら、読んでくださったかた、誠にありがとうございました。途中で投げ出そうかと思ったことが何度もありましたが、読んでくださる方が一人でもいるならと思い、なんとか書き続けることができました。ありがとうございました。




