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帰路 子どもたちの夢と悲しき現実

 帝都からの帰路。

 兄の暁久(あきひさ)は聯合艦隊司令部旗艦がある柱島まで弟の一二三(ひふみ)に万が一のことがないよう、数人の護衛をつけようかと提案したが、一二三は丁重に断った。

 見た目も実年齢も十七歳の少年が帝国海軍の軍人たちに囲まれてはかえって目立つし、これでも十五のころから付きまとう暗殺未遂や誅殺未遂を拳ひとつで黙らせてきたのだ。

 それに携わり、一生車椅子の生活を余儀なくされた帝国陸軍の闇部隊もひとりやふたりではない。

 だいたい、東京の駅から岩国の駅までは鈍行や夜行に乗って一日以上はかかるし、そこから柱島までは海軍関係者でなければ運搬船にも乗れない。

 その長旅すべてを同行されていたら、息が詰まる。


 ――一二三は道中、ひとりで周囲の会話をそれとなく聞いていた。


 すでに戦時中だったが、暗いようすはなかった。

 とくに帝国海軍の活躍が目覚ましく、もたらされる戦果で人々の表情は明るい。声も弾んでいる。

 だが――。


「海軍が戦争をはじめてくれたおかげで、今年は景気もよくなるだろう」


 とか、


「何もかも聯合艦隊司令長官さまのおかげだよ。町工場に軍需の仕事が戻ってきたし、戦争で稼がせてもらうぞ」


 などと嬉しそうな話をしている男たちの会話を聞くと、胸が酷く痛む。

 誰のせいで戦争が金の卵を産む、それが当たり前になったのだろう?

 帝国海軍の快進撃は国防のためだというのに、それを金稼ぎの……先の欧州大戦――別名、第一次世界大戦――で経験した未曽有の大好景気の再来だと喜ぶ声が、恐ろしくて堪らない。

 一二三は耳を塞ぎたかったが、陸から離れた戦艦暮らしばかりしていると帝国民の声も聞こえない。

 どんな嫌なことでもそれが現実なのだと受け止めようと、一二三は寝たふりをして、それを耳に寝入っていく。



■ ■



 軍装の上に外套を羽織っていたおかげで、一二三は外見からすぐに正体を悟られることはなかった。

 汽車を乗り換えるたびに重い荷物を運ぶ乗降者を手伝い、駄賃だと言われて握り飯や漬物を差し出されて、それを食べる。

 ときにはどこかで見たことがある顔だと思われているが、まさか、目の前の少年が聯合艦隊司令長官――時の人だと誰が見抜けよう?

 それでも熱心な信者ともいえる男が新聞とよく似た顔の一二三に気がついて、


「あんた……いや、あなたさまはもしかして聯合艦隊……」


 心底おどろいて、馴れ馴れしかった声を途端によそよそしくしながら恐縮してくるので、一二三はいつものように笑い、


「やだなぁ。そういう偉い人はのんびり鈍行で移動なんかしないって。ああいう人たちはきっと、特別な車や船に乗っているんだから」

「ですが……」

「よく似ているって言われるけど、ボクのほうがもっと美少年じゃない」


 ね、と言って笑い、その場を得意技ともいえる適当でごまかすが――乗り合わせた子どもの目だけはごまかせなかった。



■ ■



 外套を緩めたところで首もとの階級章が目についたのか。

 いつの間にか膝を合わせるように座っていた向かいに男の子がふたり、無遠慮に身を乗り出して、物珍しそうに階級章を覗いている。

 ハッと目を覚ましたとき、子どもたちが好奇に目をかがやかせていた。


「――ねぇ、お兄ちゃんは海軍の人なの?」


 そのていどの問いなら隠す必要もないと思えたので、そうだよ、と答えると、まだ七、八歳ほどの子どもたちはさらに目をかがやかせながら、


「その首――正確には立襟の部分にあたる――についているの、カッコいいね」

「俺、知っているよ。階級章っていうんでしょ? 父ちゃんもおなじ服着ているけど……何か、模様がちがうな」


 そう言って、首をかしげてくる。

 子どもの話を聞いていると、どうやら彼らの父親の階級章は中尉だと思われた。

 一二三の階級章は大将なので、すでに八つも階級差があることになる。


「お兄ちゃんの模様はどういう意味なの?」


 さらに問われて、一二三はわずかに考える。

 率直に「帝国海軍のなかでいちばん偉い人の模様だよ」と言ってしまえばわかりやすいだろうが、そんなこと言えるはずもない。


 ――それに……。


 階級章が上がれば上がるほど偉くなれるのだ。

 一二三もそんなことを思っていた時代もあったが、頂点に立ったいま、それは偉さではなく、背負う重みの違いだと考えるようになったので、


「――そうだね。現実的なことを言えば、艦橋で支持する人たちよりも甲板で現場を直截指示し、それに奮闘している人たちのほうがよほど立派だと思うよ」


 その現場には、階級章を持つ者たちはいない。

 彼らはひたすら汗水流して軍役を全うしようと働いている。

 その存在は重油よりもはるかに貴重だ。


「ボクのこれはねぇ……帝国海軍の水兵さんたちが精いっぱいがんばれるように環境を整えたり、怪我をしないで済む作戦を考えたり、そういうことをする人の模様なんだ」


 わかる? と問うと、


「よくわからない」

「でも、お兄ちゃんの桜は三つだよ? 父ちゃんはふたつしかないんだ」

「え……っとぉ」


 階級の区分はまず、尉官、佐官、将官の区分があって、さらには大中小と階級も細かく分けられている。

 それは目印となる黒線の太さだったり、桜模様なら「少尉」ならひとつ、「中佐」ならふたつ、「大将」なら三つと定められている。

 その仕組みを説明して、わかるかどうか。

 だが、父が中尉らしき子どもたちは数が多いほど偉いのだという仕組みは知っているので、まったくわからないでもないようすだった。

 話を熱心に聞く子どもたちは可愛い。


 ――きっと、大和(やまと)……。


 あの子が生きていたら、ちょうど似たような年ごろだろう。

 大和もこんなふうに興味を持って、「一二三兄ちゃん」と呼んで慕ってくれただろうか……。

 そう思うと、一二三の口は過剰に過激に止まらない。


「ここだけの話。――聯合艦隊には宇和島(うわじま)サンっていう怖いおじさんがいてね。いっつもボクを叱ってくるんだ。いい人なんだけど、その叱り方が尋常じゃなくて……」


 炎天下の砲身に縛りつけるわ、高速艇に引っぱらして瀬戸内海中を走らせるわ、写経に海軍五省を延々と書かせるわ……。

 とにかくやること成すこと狂気の沙汰だ。

 そして、それを生き残る一二三も只者ではない。

 そんなことを適当に……だが事実として語り、一二三は子どもたちと笑い合う。

 通路を挟んだ反対側の席では寝落ちしていた私服の男がハッと目を覚まし、一二三を見て驚愕する。

 きっと、子どもたちの父親なのだろう。

 あわてて席から立ち上がり、子どもたちを制そうとしてくるので、一二三は頭を振って自分の口もとに人差し指をそっと当てる。

 そして――。


「俺、大きくなったら父ちゃんとおなじ海軍さんになるんだ」

「へぇ、カッコいいね」

「それでね、戦艦に乗って、米国に大砲を撃つんだ。ドカーンって」

「――え?」


 今度は子どもたちが語る番となった。


「僕はね、飛行機に乗りたい。空、飛んでみたいんだぁ」

「俺も! 船に乗る飛行機に乗って、それで大砲も撃つんだ」

「……」


 そうやって子どもたちは無邪気なようすで夢を語る。

 連日のように新聞で取り上げられる華々しい戦果、艦艇や戦闘機の写真を見れば、確かに憧れるものもあるだろう。――だが。

 一二三は思わず目を見開いてしまう。

 この子たちはいま、何て……?


「キミたちは……米国に大砲を撃ちたいの?」


 なぜ、こんな子どもが平然とそれを言うのだろうか?

 尋ねる声が震える。

 だが、子どもたちは構わず、


「だって、米国は悪い奴らなんだろ? そいつらが意地悪ばっかりするから戦争になったんだ。だから、俺がやっつけるんだ」

「……」

「戦艦ってすっごく大きな大砲を撃つんでしょ? カッコいいなぁ、見てみたいよ」

「ええ? 僕は飛行機に乗って、それで戦艦を撃つんだ。ババババって」

「飛行機より戦艦のほうがカッコいいって」

「そうかなぁ」

「……」


 空に憧れてパイロットを夢見るのはかまわない。

 戦艦だってそうだ。

 大きくて、迫力があって。間近で見れば誰だって興奮する。

 でも……。

 こんなにも幼い子どもの口から米国に大砲を撃つ、それを言わせる世間と実情があまりにも恐ろしい。


 ――もし、大和がおんなじことを言ったら……。


 一二三は馬鹿な事を言うなと叫び、反射的に可愛い頬を叩いてしまうかもしれない。

 それほどまでの衝撃があった。

 子どもたちのはしゃぎように、傍らの父親はすっかり顔面蒼白になっている。


 ――駄目だ……大和……。


 大和にそんなことを言わせるわけにはいかない。

 海軍の兵器に目をかがやかせながら大砲を撃ちたいだなんて、誰が言わせるものかッ!


 ――そんなこと、絶対にさせるわけにはいかない!


 だからこそ、やらなければ……ッ。

 させるものかと、一二三は脳裏に明確な意志を始動させる。


「ありがとう。キミたちが帝国海軍の軍人さんになる日を楽しみに待っているよ」


 一二三は言って、それぞれの頭を愛しげに撫でる。


「でもね、キミたちの時代まで戦争はつづけさせない。――絶対に終わらせてみせる」


 ――いまだったら、理解できる。


 父の死を――責任というかたちの公開銃殺刑に処されたあの日を目撃したことをきっかけに、自分も帝国海軍軍人になるのだと言って、それを生涯の目標に定めてしまった自分。

 長兄と次兄は目立つ反対をしなかったが、三兄の十七郎(とおしちろう)だけが酷く反対して、ときには手を上げて一二三と大喧嘩したこともある。

 あのときはショックだった。

 乱暴な一面もあったが、優しく頼りになる十七郎がどうして自分を殴るのか。まったく理解できなかった。

 でも……。

 大和とおなじ年ごろの男の子たちが楽しそうに海軍を夢見て語ると、一二三も大和を叩く衝動を抑えずにはいられない。

 それぐらいのショックがあった。

 同時に、いまになってやっと当時の兄の心情を理解することができた。

 大人がやるべき正しい道を、子どもが誤って夢に持つのはこんなにも恐ろしいことなのだと。

 だからこそ、やらなければならない。


 ――子どもたちに戦時の時間を長く与えてはならない。

 ――それが当たり前だと思わせてはならない。

 ――何より……。


 誤って築いてしまった世界を子どもたちに渡すわけにはいかない。

 護らなければ……ッ。

 それが戦争をはじめてしまった、ボクの責任――。


「何があっても、キミたちが大きくなれるよう、それを育む帝国を護るから」


 ――だから。


「キミたちはまず、何でもよく食べて、喧嘩してもすぐに仲直りして遊んで、ちゃんと物事を知るためにきちんと勉強するように」


 だから、絶対にミッドウェーは必要な作戦になる。

 裁可を絶対にあきらめるものか……ッ。


 ――長くあるよう名付けた、大和のために!

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