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8時間目 嵐の前触れ

「ユッキせ~んぱ~い♪」

「うわぁ⁉ 早速来やがった⁉」

 翌日の昼休み。

 屋上の扉を勢いよく開けて登場したエヴィンに驚き、危うく弁当を引っくり返すところになるユキだった。

 周囲が何事かと注目する。

 皆の視線を浴びたユキは、弁当を隣のナギに渡してその場から逃げた。

「お前…性懲りもなく……」

「ふへへ。一度見つかったんだから、もう遠慮なんかしませーん! さぁ、ユキ先輩! 全力の罵倒を! そして踏んでください‼」

「てめっ…公開処刑とはいい度胸じゃねぇか……」

 ユキは頬をひきつらせる。

 ざわざわと動揺している周囲の目が痛い。

「ユキ先輩には、公私ともにご主人様になってもらいたいっすからね。外堀から埋めるのも手だと思いまして。」

 なんと。

 昨日の様子からただの馬鹿だと思っていたら、案外賢くていらっしゃる。

 ユキは思わず奥歯を噛み締めた。

「埋めさせてたまるかよ。」

「ふへへへ。それはどうっすかね?」

「その気色悪い笑い方やめろ。」

 後ずさるユキと、その距離を詰めようとするエヴィンの駆け引きは続く。

「どうしたんすか、ユキ先輩。いつもの蔑みが足りないっすよ。」

「それで喜ぶって分かってて、誰が思いどおりに動いてやるか。」

「そうっすか…。でもまぁ、顔にはばっちり出てるんで自分はおいしいっすけど。」

「くっ……」

 早くも限界を感じ、ユキは顔を青くするしかない。

「つーか、お前さ…追い詰められる方が好きなんだろ? オレを追い詰めて何が楽しいんだよ…っ⁉」

「今はご褒美までの待ての時間っすよ!」

 エヴィンが両手の指をわきわきと動かす。

「ユキ先輩のドSっぷりはもはや性格っす。いつまでも我慢できるなんて思ってません。こうして迫っていれば、その内体が勝手に動く時が来るに決まってるっす。」

「ぐっ…」

「ふへへ。その時が最後っすよ。自覚がないのなら自覚させればいい。目覚めてないなら、目覚めさせればいいだけっす。」

「逆調教やめろっ‼」

「自分は、諦めないっすー‼」

 ユキがフェンス際に追い詰められたタイミングで、エヴィンが見事な跳躍力で彼に飛びかかる。

 だが、エヴィンよりも身体能力はユキの方が上。

「来るなーっ‼」

 絶叫するユキはあっという間にフェンスを駆け上がり、そのフェンスを蹴って空中でくるりと一回転。華麗にエヴィンから離れた位置に着地すると、一切の隙を見せない動きで地面を蹴った。

「くっそ! ゆっくり飯食ってる暇もねぇのかよ‼」

 ナギの元に戻ったユキは弁当箱からサンドイッチを取り、それをかじりながら屋上の出入り口へと向かっていった。

「ユキ先輩、待ってくださいー‼」

 続いてエヴィンも屋上から消えていく。

 後に残されたのは、弁当を託されたままのナギと状況についていてない他の生徒たちだけ。

「ユキ…」

 ナギは茫然とユキの名前を呼ぶ。

「なんで…俺の時みたいに怒らないの……?」

 ふと心を襲ったざわめき。

 それは、これから襲う嵐の前触れだった。

 

 ★

 

「トモーッ‼」

「うおおぉっ⁉ どうしたーっ⁉」

 放課後、ショートホームルームが終わるやナギに抱きつかれたトモは、状況についていけずに目を丸くした。

「……あら、ナギったら。とうとうこんな頼り方までしてくれるなんて。犬冥利に尽きるったらもう。」

「トモー、どうしようー…」

 すぐにいつもの調子を取り戻すトモに構わず、ナギは彼を締め上げるだけ。

 トモはきょとんと瞼を叩いた。

 変なこともあるもんだ。放課後、真っ先にユキの元ではなくこちらに飛んでくるなんて。

 不思議に思ってユキの席を見ると、ユキの姿はもうそこにはなかった。

 これまた妙な。計画的なユキは何か不測の事態があっても大丈夫なように、事務のバイトまでに必ず一定の時間を置く。今日は誰かの手伝いに行くとも言っていなかったし、てっきりナギの相手をするか仮眠を取るかのどちらかだと思っていたのに。

「……ははーん? 何かありましたな?」

 察したトモが訊ねると。

「ううー…」

 それを肯定するようにナギが唸った。

「おー、よしよし。トモさんに何があったのか話してみなさい。」

 ナギをなだめ、話を聞くこと五分。

「ははは、ついにそういう猛者が出てきたか。もう、あの天然アメムチ使いったら…。」

 いつかはこういう日が来るんじゃないかと思っていました。

 空笑いをするトモの前の席に座るナギは、それはもう不満そうだ。

「あいつ、色んな意味で消しちゃだめ?」

 真顔で恐ろしいことを言うナギ。

「だめよー。そういうこと、ユキは嫌いだからね。」

「うう…だよね……」

 ナギがもどかしそうに唇を噛む。

 いやぁ、ユキの名前って便利だ。普段はあまり話を聞かないナギが、ユキの名前を使うだけでちゃんと言うことを聞くのだから。

 それにしても弟の次はライバルの出現とは、ナギもついていない。

(まあ、一番ついてないのはユキよね…)

 こればっかりは同情を禁じ得なかった。

 同性の同級生と後輩に迫られてどちらかを選べと言われても、自分だって困る。おふざけなら喧嘩両成敗で殴って解決も手だろうが、エヴィンという一年生がナギに堂々と宣戦布告をしたという話だからそうもいかない。

 ユキが逃げるのも仕方ないだろう。いくら彼が臨機応変とはいえ、根がくそ真面目だ。きっと今はナギから向けられる恋愛感情に自分の価値観がついていかず、ただでさえ頭を抱えている時期。そんな時に下僕志望の後輩が出現ともなれば、ユキでなくとも頭がパンクする。よく通常モードでバイトに向かえたものだ。

 いっそくっついてしまえとユキにナギを意識させ、ナギをユキにけしかけたのは自分。あの時はちょうどいいと思ったのだが、ここまで事態がこじれると胸中は複雑にならざるを得なかった。

(いっそのこと、ユキに超絶可愛くて将来を誓い合った幼なじみの女の子とかがいれば、ある意味話が早いんだけどなぁ。)

 トモはそんな夢幻を思い描くが……

(あ、無理だ。きっとあのくそ真面目のことだから、自分の発言に責任も取れないくせに、そんな安く誰かの将来を請け負っちゃだめとか言いそう。)

 即座に自分の人間分析結果が夢幻を破壊した。

(案外チョロいくせに難攻不落なんだから…。)

 トモは思わず溜め息をついた。

「消しちゃだめなら、俺はどうすればいいの?」

 それは正直おれにも分かりませーん。

 ……なんて言えるわけもないから。

「逆に、ナギはどうしたいの? エヴィンを消したい以外で。」

 ひとまず、ナギにそう問いかけてみた。

「え…?」

 ナギはパチパチと目をまたたくだけ。

 なるほど。まずはそこからか。

 トモは苦笑を呈する。

「ただ漠然とエヴィンが邪魔なわけじゃないでしょ? 不満があるってことは、何か希望があるってことだと思うよ。ユキとやりたいこととか、ユキにしてほしいこととか。それができなくなるかもしれないから、エヴィンが邪魔に思えるんじゃない?」

「……ユキと、したいこと…」

 ナギが考え込む。

「キスしたい、とか?」

「⁉」

 第一声にそれかーい⁉

 トモは笑顔のまま固まった。

「………とか。」

「あ、ナギ…」

「……、………とか。」

「待って。」

「…………、……、………とか。」

「うおぉぉぉい! ストッープ! もうちょっとソフトなことでお願いできないかな⁉ トモさんもユキさんもついていけないよ、それはぁ‼」

 ユキ逃げて!

 今すぐ学校から逃げて!

 このままだとあなた、近い内に確実にナギに襲われる‼

「ソフト…?」

 大慌てのトモに言われ、ナギは難しそうに虚空を睨んだ。

 ああもう、感情がついていかないまま知識ばかり先行するとこうなるんですね⁉

 話が聞こえる範囲に人がいなくて本当によかった。こんな会話、ユキ本人どころか誰にも聞かせられない。

「な、なんかあるでしょう⁉ そもそも、エヴィンだって必ずしもそういうことが目的でユキに近づいてるわけじゃないと思うよ⁉ もっと単純! ユキとずっと一緒にいたいとか、ユキの気持ちを独り占めしたいとか、そういうことなんじゃないかな⁉」

 余計な知識はリセットして‼

 そう訴えるトモに、ナギはさらに顔をしかめた。

「……独り占めしたい…ってのは、あると思う。」

 ぽつりと呟くナギ。

「だって、ユキの隣は俺の場所だったじゃん。トモだって、他のみんなだって、譲ってくれてた。ユキだって最近は全然怒らないもん。」

 そりゃ、あなたを敵には回したくないし、ユキに面倒を見させていた方が色々と都合がいいからなぁ。

 そんなクラスの連中の本音はともかく、トモは黙したままナギの心に耳を傾ける。

「おんなじクラスっていっても、ユキはバイトとか先生の手伝いばっかだし、俺だって大学とか色んな所に行かなきゃだし……一緒にいるようで、一緒にいられる時間って全然ないんだよ。ユキと話せる時間なんて、一日の十パーセントもない。そんな少ない時間くらい、ユキのこと独り占めしちゃだめなの? みんなには他にも仲良しがいるでしょ? 俺には……ユキしかいないのに。」

「ナギ…」

 トモは眉を下げる。

 今とっさに思ったことを正直に伝えるべきか否か。

 ちょっと迷った。

 初めて”嫉妬”という感情を覚えたナギは、きっとまだ自分の気持ちにもついていけていないだろう。そんな時にこの考えを伝えても、ナギは余計に混乱してしまう。

 いくら天才の頭脳をもってしても、一筋縄ではいかないのが人の心。

 …いや。明晰な頭脳を持ったが故に人付き合いを切り捨てたナギだからこそ、こういった心の問題は人一倍難しく感じるかもしれない。

 本当ならもっとゆっくりと進ませてやりたい。

 でも、状況がそんな余裕を持つことを許してくれるとも思えなくて…。

「ナギ、ちゃんと聞いてね。」

 トモは椅子の上で膝を抱えるナギと対峙する。

「それじゃあ、ユキが疲れちゃうよ?」

 あえて、その一言を告げた。

「………っ‼」

 驚いたナギが顔を上げる。

 トモは真剣にその双眸と向き合った。

「ユキを独り占めしたいって気持ちが悪いってわけじゃないよ。でもその気持ちは、一方的にユキに押しつけていいものじゃない。ユキが怒らないからって、それに甘えてもたれかかり過ぎちゃ…ナギの〝好き〟って気持ちが重すぎて、ユキが潰れちゃうよ。」

「そんな…」

 ナギが泣きそうな顔をする。

「ユキのことが好きなら、ちゃんとユキのことも考えてあげないとだめだよ。」

 トモはゆっくりと、それでも力強くナギに語りかけた。

「ユキは厳しいけど、優しくて情に厚いよね。本当に、みんなのことをよく見てるよ。だからね、今のナギにはユキだけだってこと、ユキはきっと気づいてると思うんだ。だからナギが一緒にいようとしても怒らなくなったんだよ。ナギから、たった一つだけの特別を取り上げないために。」

「………」

「ユキはそういう奴だよ。ちゃんとナギのことを見て、そしてナギの気持ちを理解しようとしてくれてる。だからナギも、そんなユキが大好きなんでしょ?」

「…………うん。」

 ナギは顔を赤くして小さく頷いた。

「じゃあ、ナギはユキの気持ちをどれくらい知ってる?」

 静かに問いかける。

「なんでおれがユキが疲れちゃうよって言ったのか、理由分かる?」

「………」

「考えてなかったでしょ?」

「………」

 穏やかに指摘すると、ナギはそっぽを向いてしまった。

 答えなんて分かりきっていた質問だ。

 トモはナギに答えることを強要はしなかった。

「ユキってね、誰かと過ごす時間と同じくらい、自分の時間を大事にするタイプなんだよ。だから四六時中誰かと一緒だと、ユキはすごくしんどくなっちゃうんだ。周りを気遣って、極力顔には出さないけどね。ほら、ユキって、ちゃんとした理由がないと部屋に入れてくれないでしょ? あれはそういうこと。」

「そう、だったんだ……」

「そうなの。それにね、案外ユキは……人付き合いに臆病なんだ。」

「え?」

 その一言に、ナギが意外そうに目を丸くした。

「分からないでしょ? 分からないよ、あれは。多分本人も分かってないもん。」

 トモは一度おちゃらけて笑って見せ、次に寂しげな表情を湛えた。

「ユキは誰とも一定の距離を置くタイプなんだけどね、それは自分の心に近づかれすぎるのが怖いからなんだと思う。嫌なんじゃない。怖いんだよ。」

「なんで……」

 訊ねるナギに、トモはゆっくりと首を振った。

「それは、ナギが自分で答えを見つけてごらん。ユキのことをよく見て、よく知って、よく考えて。それが誰かを気遣うってこと。ユキがいつもナギにしてくれてることだよ。」

「………」

 またナギが黙りこくってしまう。

 そんなこと分からない。

 弱った顔が、まるでそう言っているようだった。

「ねぇ、ナギ。ユキの隣にいて、ユキのことを独り占めできれば、本当にそれだけでいいの?」

 トモはさらに問いを重ねる。

「邪魔な奴を消して、ユキのことを独り占めして、自分が満足できればそれで十分? それでユキが疲れちゃったとしても、自分がよければ全部オッケー? 疲れちゃったユキはきっと、ナギのことを怒ってもくれないと思うよ?」

「それは…」

 ナギが言葉に詰まる。

「それは…それは、やだ……」

 絞り出すように彼が告げたのは否。

「怒ってくれないの、やだ。だってそれって、一緒にいても俺のこと見てくれてないってことでしょ?」

「そうだね。そうかもしれない。」

「やだ…っ。ちゃんと俺のこと見てくれなきゃやだ。説教したり、叩いたり、なでてくれたり、顔真っ赤にしたり……笑ったりしてくれなきゃやだ…っ!」

 次々と吐き出されるナギの気持ち。

「……あ…」

 その瞬間、ふとナギが何かに気づいたようだった。

「笑ってほしいんだ?」

 トモは微笑んでナギに訊ねた。

 嬉しかったのと同時に、とてもほっとした。

“ユキに笑ってほしい。”

 ナギの口から、一番それが聞きたかったのだ。

「……ルキアと一緒にいた時だけ、ユキが俺に向かって笑ってくれたの。」

 自分でも自分の気持ちに気づいたばかりでびっくりしているのだろう。ナギはどこか茫然と語っていた。

「しょうがねぇなって……ルキアにだけじゃなくて、ちゃんと俺にも笑ってくれたの。俺びっくりして……でも、今までで一番嬉しかったの。」

「…………そっか。」

 トモは破顔する。

 ユキには悪いと思うけど、やはり自分はナギの傍に彼がいてほしい。

 ナギの世界はユキを通じて広がって、そしてユキを通じて彩りを得ている。今さらどうにもできないと半ば諦めていただけに、一人の人間として心を豊かにしていく幼なじみの姿が本当に嬉しくてたまらないのだ。

 ユキが道を作ってスタートラインにナギを立たせてくれたのなら、自分は全力でその背中を押してやりたい。

「じゃあやっぱり、もっとユキのこと知らなきゃね。たくさんユキのことを知って、ユキがどんなこと好きなのかとか、ユキがどんなことされたら喜ぶかとか、たくさん考えよう。本気で好きなら、そういうことを考えるのも楽しいよ。」

「……そうなの?」

「そ。なんたって、おれはナギやユキのことを考えてる時、めちゃくちゃ楽しいもん。」

 トモは自信たっぷりに断言した。

 そんなトモを見つめて。

「………」

 真剣に何かを考えるナギだった。

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