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9時間目 ナギのばく進

 今日もショートホームルームが終わった瞬間、予鈴も鳴り終わらない内にユキが急いで教室を出ていく。

「また忙しないな、ユキは…」

 消えた友人のことを見送り、ルズは一言。すると、ごく自然にいつものメンバーが彼の元に集まった。

「あんだけ慌ててるってことは、例の噂ってマジなんだな。」

「ああ、手のつけられないドMがユキにつきまとってるってやつ?」

「そうそう。」

「それなぁ…」

 ルズは頬杖をつくと、納得がいかないというように息をついた。

「確かにユキは自分にも他人にも厳しいけど、決してSってわけでもオレ様ってわけでもないと思うんだけどなぁ。」

「まあ、どっちかっていうと攻めるより受け止める方が得意よね。」

 友人の一人がルズに同意すると、別の一人が「いや…」と口を開いた。

「あいつは受け止めた上で容赦なく攻めるだろ。」

「それは正論を叩きつけるの間違いでは?」

「でもドMって、どんな理由であれ怒られたり叱られたりしたら嬉しいわけだろ?」

「ユキは別に、それを楽しんでやってるわけじゃないだろ。キツいこと言った分、後からちゃんとフォローもするし。」

「それ、見る奴から見たらただのツンデレっていうか、鞭の合間にもらえる飴なんじゃね?」

「それは…否めないけど……」

 あれ、だんだんとこの状況が致し方ないものに思えてきたのは何故だろう。

 ルズを始め、彼らはうーんと唸る。

「ユキが困ってるのを見てるだけってのも忍びないけど、これはさすがに僕らも助けることはできないよねぇ…」

「そのドMにユキに近づくなって言ったところで、あっさりと引き下がるとも思えないしな…」

「えー…それでユキが変に覚醒したらどうするんだよ。」

 ルズが心底嫌そうな顔をするが、対する友人たちはもう仕方ないという諦めの境地に立っていた。

「いやもう、覚醒した方が早いんじゃね?」

「ユキって要領いいから、すぐにああいう奴の扱い覚えるんじゃないかな?」

「うええ、おれはやだよー。」

 遠い目をする彼らの中で、ルズだけが唇を尖らせた。

「ユキって、自覚して開き直ったらちょー怖ぇじゃん。この間だって堂々と理事長に電話してただろ。あいつがドMから見た自分を客観的に分析して、そういう奴らの扱い方を覚えてみろよ。次から容赦なくその手を武器にするぞ? ただでさえあいつの人心掌握術と他人の転がし方の上手さはやばいんだからさー。さすがにこれ以上レベルアップしなくていいって。ちょっと押したらわりとすぐに押し負けるくらいの今がちょうどいいのにー。」

「そう言われると…」

「確かに…」

 ルズの言葉を受け、皆は想像する。

 今のユキに頭が上がる二年生はほとんどいない。もちろん理事長という巨大な後ろ楯の影響は少なくないのだが、権力以上に彼という人間そのものに勝てないのだ。

 どれだけ頭を使ったって、彼の先読み技術の方が圧倒的に上。知略を巡らせたところで、最終的には彼のいいように操られて失敗する。

 そしてその失敗を恨みに変えさせないのが、彼の驚くべき能力の一つ。彼が疎ましくて彼を蹴落とそうとしても、それで彼と対峙してしまったらそれが最後。最初は彼の能力の高さに圧倒され、気づいた時には彼という人間に引き込まれて、いつの間にか自ら彼を慕うようになっている。

 今のところそういうユキが対処に手を焼いているのが、ナギやそのドMのように理屈も戦術もなく体当たりで突撃してくるタイプの人間。仮に彼がそういう迫られ方にも対処できるようになってしまったら、今度こそ彼は本格的に魔王として覚醒するんじゃないだろうか。

「怖えぇ…」

 ぞっと顔を青くする一同。

「でも……覚醒するに一票。」

 一人が手を挙げた。

「僕も。」

「オレも。」

「なんだよ、みんなして…」

 ルズはしかめっ面をしつつ、それでも皆と同じように手を挙げた。

「まあ、かくいうおれもそう思うんだけどさ…」

「じゃあ俺もそれでー。」

「じゃあってなんだよ、ナギ…。―――ナギ⁉」

 ルズが素っ頓狂に叫び、他の皆も思わず飛び上がる。

 いつの間にか、ルズの隣にナギがいたのである。

そこでしゃがんでいたナギは、机の上にちょこんと顎を乗っけて彼らの話を楽しそうに聞いている。

「お気になさらずー。」

「いや、気にするわ!」

 ルズたちは互いに顔を見合わせた。

 ユキとナギがよく行動を共にするようになってからしばらく。状況が変わってきつつあるとはいえ、自分たちがナギと話したことは数える程度しかない。

 どうする…?

 目だけで相談し合う彼らの顔には、払拭しきれないナギへの苦手意識がありありと表れていた。

「ど、どうしたんだよ。ナギがこっち来るなんて、初めてじゃん…?」

 友人たちの圧に負けたルズがぎこちなく声をかける。

「んーん? ユキのこと話してるのが聞こえたから、俺も聞きたくなって。」

「そ、そう…なんだ……」

「うん。」

 ナギは無邪気に頷き、子犬のように円らな上目遣いでルズを見上げた。

「ユキと仲いいよね?」

「―――っ‼」

 ルズたちはびくりと身をすくませた。

 け、消される⁉

 ナギのユキ好きを感じ取っている手前、反射的に怯えた彼らだった。

「いいなぁ…」

 ルズたちの恐怖に気づかないまま、ナギは拗ねたように机を見つめた。

「みんな、ユキのことたくさん知ってるんだね。俺、全然ユキのこと知らないんだ。教えてって言ってもユキは教えてくれないし、遊びに行こうって言っても全然付き合ってくれないしさぁ。」

「あ……待った、ナギ。」

 不満げに頬を膨らませたナギを、ルズがとっさに止めた。

「ユキのために言っとくんだけど、あいつが遊びに誘っても付き合わないのって、別に相手がナギだからってわけじゃないから。」

「え…」

 目をしばたたかせるナギ。

「そうなの?」

「うん。オフモードのユキの引きこもり度はやばいよ? おれも過去に一回しか外に連れ出せたことないもん。」

 ルズが言うと、周りの人々もこぞって首を縦に振った。

「一回ありゃ十分だって。僕なんか一度も遊びに行けたことないよ?」

「オレもだわー。ってか、ルズ! お前、いつの間に抜け駆けしてんだよ!」

 責められるように言われたルズは、ぶんぶんと首を振りまくった。

「いや、遊びに行ったわけじゃないんだよ⁉ ユキが持ってた参考書が欲しくて本屋に行ったはいいんだけど全然見つからなくて、マイナーな本だったからタイトルもうろ覚えで、思わず電話して泣きついたら買い物ついでにって来てくれたの!」

「で?」

「……まぁ、ついでにご飯食べて服は見たけど。」

「十分遊んどるわ!」

「い、いいじゃん! ついでだったからユキも怒らなかったし!」

「お前なぁ~」

「あああ、そういえば! 買い物といえば!」

 ルズが無理に話題を変えようと手を叩いた。

「基本休みの日は部屋に引きこもってるユキだけど、疲れがピークになると気晴らしに買い物に出かけてるはずだよ。」

「あー…そういえば、たまにキッチンに長くこもってることあるもんな。」

 初めは流されまいという態度だったルズ以外の面々だったが、彼のその言葉を聞くとあっさりと話に乗った。

「あったあった、そんなこと。そういう日は大体夕飯作りすぎるから、おすそ分けが回ってくるもんな。」

「そういや、ここ最近それ来ないな。ぼちぼち時期なんじゃね?」

「そうなんだよね。だからどうしても休日のユキを捕まえたいってんなら、そういうタイミング狙えばって思ったんだよね。偶然会っただけなら、ユキも怒りは…しない……んじゃ…」

 ルズの言葉が尻すぼみに消えていく。

 話を聞くナギの表情が、今までにないほど輝いていることに気づいたからだ。

「そっかぁ。うん! ありがとう、ルズ!」

「お、おう…」

 戸惑うルズに手を振り、ナギはスキップで教室を出て行った。

 しばらくその場には無言の時間が流れ。

「なんか…案外、普通だった、な…」

「うん。」

 誰かが呟くと、全員が同時に頷いた。

「とうとう消されるかと思ったわ…」

「あの天才にも、普通に話って通じるんだな。」

「おれなんて、初めて名前呼ばれちゃったよ…。」

 話題がユキのことだったが故に普通に会話していたが、思えば自分たちはさっきまで、住む世界が違う人間と接していたわけだ。

 無邪気に話して終わっただけの時間に、未だ状況の整理が追いついていないルズたちだった。

「……ってか、今さら思ったんだけど…おれ、余計なこと教えちゃったかな?」

 ルズがぽつりと一言。

 あのナギの笑顔。絶対にユキの動向を探って外出のタイミングを見計らうつもりだろう。

「かもな。ユキに絞られる覚悟はしとけよ。」

 ユキのことだ。外でナギに会っても怒りはしないだろうが、彼が誰かに言い含められたことはすぐに察するだろう。ユキに事情を聞かれた時、純粋無垢なナギが嘘をつくわけがない。

「やっぱり、そうなるよねぇ…」

「うん。」

 友人一同に言われ、とほほと肩を落とすルズだった。

 

 ★

 

「んんんー…だめだ!」

 日曜日の昼下がり。ユキは両耳から外したイヤホンを机に投げ捨てた。

「全然集中できねぇな…」

 机に広げた教科書とノート。そこに並ぶ文字列が、意味のあるものとして身に入ってこない。

 やらなければならない課題に向き合っているのがいけないのかもしれない。

 そう思って本棚から参考書を数冊見繕い、三年生の頭で習うだろう範囲の予習をやってみる。

 身に入らないわけではないが、じっくり集中できそうにはなかった。

 それならば好きに思えることなら…。

 枕元に置きっぱなしになっていた経済新聞を取り上げ、それを読みながらパソコンへと向かう。

 これはある程度の効果があった。最近始めたこの趣味は、勉強とはまた違う部分の頭を使う。慣れないことも多くて四苦八苦しているが、やはり嫌いじゃない分野だからか手が止まるということはない。

 ユキはものすごい速さで作業を進める。忙しなくマウスを動かしていたかと思ったら、次には携帯電話の画面を見ながら、パソコンで開いた表計算ソフトに数字を叩き込んでいく。かと思えば椅子を立ち上がり、本棚から次々と本を取り出して付せんが貼られた部分を流し読み。

 元来の几帳面な性格からか、ユキは至るところから物を取り出しては、無意識の内に片づけるまでをセットで行っていた。故にこれだけ大量の調べものや計算をしているにも関わらず、ユキの机も部屋も小綺麗なまま。今この場に誰かが足を踏み入れたとして、彼が今まさに勉強をしているとは思えないだろう。

「うげ……マジかよ。」

 ひととおり満足したユキは携帯電話の画面を見つめ、思い切り顔をしかめた。

 これはいい感じに時間を潰せたのではないかと思ったのに、時間は午後二時を回ったばかり。日が落ちるにはまだ早い。

「どうすっかな…。掃除も洗濯も終わってんだよなぁ。」

 ぼやき、考えること数秒。

「ん、買い物行くか。」

 結んでいた髪をほどき、ユキはすぐに身支度を整える。

 これはもう身についた習慣というか性格というか、自分はただ無為に時間を過ごすというのがとかく苦手だ。今ここでただ時間の潰し方を考えるよりも、とりあえず簡単な目的地を設定して動いていたい。

 今ストックが足りない生活用品。

 今度作ろうと思って溜めていたレシピの数々。

 読みたい本や課題に必要な資料。

 目的地を設定すればやることは自ずと出てくる。

 考え事や悩み事は、やることを潰しながらするのが一番効率的だ。というか、最近は常に複数の物事を同時にやっていないと気持ちが悪くなっている。

 我ながら器用貧乏というか、なんというか。暇な方がストレスになるのだから複雑だ。何度友人にもっと遊べと言われたことか。

(オレにとっては料理とかあれが遊びの一環なんだけど、多分理解されないよなぁ…。)

 画面を落としたパソコンを一瞥し、ユキは部屋を出ていった。

 おそらく今日の料理に使う時間は最大で二時間。十九時くらいには食事にありついていたいから、十七時には寮に戻ってくるつもりで動く必要がある。

 今日作るレシピを選びながら時間の逆算を始め、それと同時に最短時間で必要なものを買い揃えるルートを頭に思い描く。

 さて、計算では三十分ほど空の時間ができるのだが、その三十分はどう埋めようか。

 そんなことを考えながらショッピングモールの自動ドアをくぐり抜けると、そこには思わぬ光景が待ち構えていた。

「なんで君がここにいるのさ?」

「先輩こそ。こんな所に来るなんて意外っすね。」

 火花を散らしている同級生と後輩。

 あの、なんでこんな所に頭痛の種が勢揃いしてるんです?

 もしかして部屋に盗聴器でも仕かけられてる?

 ただでさえ外は寒いってのに、こいつらのおかげで体の内側からも熱が引いていく気分だ。

(帰ろ…)

 ユキはくるりと踵を返す。

 しかし。

「ユキ、逃げないで!」

「ユキ先輩、逃げないでください‼」

 双子もびっくりな息ぴったりの二重奏がユキの足を止めた。

「お前らな…」

 頬をひきつらせるユキ。

 二人揃って名指ししないでくれないだろうか。せっかく他人の振りで見なかったことにしようとしたのに。こんなに周囲の視線を集めてしまったら、今さら他人面などできないじゃないか。

「―――はぁ。」

 ユキは溜め息をつき、前に落ちていた髪を耳にかけた。

 仕方ない。ここはさくっと気持ちを切り替えよう。ここに来る前からちょいちょい色んな人に見られてはいたし、今さら自分に向けられる視線が増えたところで、だからなんだという話だ。

「ほら、お前ら。ひとまず場所を変えるぞ。」

 自らナギとエヴィンの元に向かい、二人の頭を軽く叩く。

「いいか、常識ってやつを考えろよ? 文句は後回し。黙ってついてこい。」

「……はい。」

 威圧感全開でユキに見下ろされてナギはしょんぼりと眉を下げ、片やエヴィンは水を得た魚のごとく輝いた目をした。

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