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SHR  答えなんて、最初から――

「ナッギせっんぱ~い♪」

 翌日の放課後、堂々と二年生の教室に飛び込んできたエヴィンに教室中がどよめきたった。

「な…何?」

 ナギ本人もさすがに眉をひそめてしまう。

「ちょ~っとお話ししません?」

「………」

 にこにこと笑うエヴィンの物言いに、ナギが気分を害した顔をする。

 ナギの表情を見た一部の生徒が微かな悲鳴を上げる。それは主に、ユキに関する事件で後に痛すぎる仕返しを受けた面々がする反応だった。

「んもう~、つれないですねぇ~」

 ナギの態度に大袈裟な仕草で肩をすくめ、エヴィンはそっと耳元に口を寄せた。

「せっかく負け宣言をしにきてあげたのに。」

「―――っ」

 密かに伝えられたエヴィンの用件。

 ナギは慌ててエヴィンの顔を見つめる。

「……ね? 来るでしょう?」

 ここまで言えばナギが断るわけがない。

 そう分かり切っているらしいエヴィンは、ナギと目が合うとくすりと含み笑いを浮かべた。

「……分かった。」

 ナギは頷き、先を行くエヴィンを追って教室を出る。

「テキトーに歩きながら話しますか。どっかで落ち着いて話したら、ギャラリーが集まっちゃいそうですもんね。ナギ先輩もユキ先輩も、注目度高すぎっすよ~。」

 おちゃらけてそんな軽口を叩きながら、エヴィンは昇降口で靴を履き替えて外へと場所を変えた。

「さっきの、どういうこと?」

 それなりにこちらへ注目する人の気配がなくなってきたところで、ナギは意を決して口を開いた。

「どういうことも何も、そのまんまっすよ。ユキ先輩のことは諦めます。」

 エヴィンはあっさりと結論を告げた。

「ま、初めっから自分に勝ち目なんてなかったですけどねー。最後にとびきりいい思いさせてもらったんで、ようやく諦める踏ん切りもついたって感じっす。」

 やれやれと肩を落とすエヴィン。

「初めから…?」

 ナギは怪訝そうに首を捻る。

 すると。

「うっわ、やっぱり分かってないんすね。」

 エヴィンが呆れたような顔をした。

「この間のレストランでのこと、忘れたんですか? 正直、自分はあの時から負けを覚悟してたっすよ。」

「ええ、なんで? だってあの時、ユキはエヴィンのことばっか構ってたじゃん。」

 負けどころか、あれは完全に勝ちを確信するような場面に見えたのだが…

 不可解そうなナギに対し、エヴィンは余計に顔を歪めるだけ。

「だーかーらー。自分を厄介払いしたいから、とっとと要望叶えて満足してもらってバイバイしようって魂胆でしょ、あれは。それにはっきりと言ってたでしょう? ただでさえ手間なもん抱えてるから、これ以上は無理だって。」

「え……」

 ナギは固まる。

 脳裏にパッとひらめく〝もしも〟。

「手間なもんって…もしかして、俺のこと?」

「当たり前じゃないっすか。」

 エヴィンが間髪入れずにそれを認めた。

「最初から、ユキ先輩は迷わずナギ先輩を選んでましたよ。なんでそんな簡単なことに気づかないんすか?」

「だ、だって…そんなのちゃんと言われないと分かんないよっ」

 ナギは思わず自分の頬を両手で覆う。

 ユキは昨日、自分のことが心配だからひやひやして説教っぽくなってしまうのだと語った。

 今になって冷静に考えると、ユキの態度はエヴィンの出現前後でそこまで変わっていない。多少避けられた時があったのは、単純にユキが自分たちの相手に疲れていたからだ。

 そして彼の態度が大して変わらなかったのは、そもそも初めから迷う必要もなかったから?

『他人事みたいに笑って「頑張れー」とか、そんな無責任に突き放せねぇよ。』

 あれが最初から変わらない、ユキの答えということ?

「え…もしかして……俺が一人で空回って勝手に落ち込んでただけ?」

 現実が見えた瞬間、一気に顔が熱くなった。

「そうっすよ。ようやく把握しました?」

 エヴィンの肯定がさらに羞恥心を煽る。

「うううっ…」

 恥ずかしい。

 死ぬほど恥ずかしい。

 勝手に落ち込んで散々ユキに心配をかけた挙句、追いかけてきてくれたユキにあんなことやこんなことをしてしまっただなんて。

「まあ最初からどっしり構えられてても癪ですし、自分としてはよかったっすけどね。ただ!」

 エヴィンはびしっとナギに指を突きつけた。

「このまんまだとあまりにもユキ先輩が可哀想ですから、自分から一つお節介っす。」

「お、お節介…?」

「そうです!」

 心底気に食わない。

 まるでそうとでも言いたげな態度で、エヴィンはあるものをナギに差し出した。

 それは超小型のメモリーカードだ。

「人を信じるってのがどういうことなのか、それが立派なお手本っす。感謝してください? それ、本当なら門外不出の家宝にしておきたいものなんですからね?」

「えっと…う、うん……」

 返品不可とエヴィンが態度で語るので、ナギは戸惑いながらもそれを受け取った。

 その時だ。

 

「この馬鹿がーっ‼」

 

 そんな怒号が響いたかと思うと、エヴィンの頭に視認できないスピードで何かが落ちてきた。

「ふぎゃ‼」

 エヴィンがナギの胸に飛び込む形でバランスを崩す。それをナギが圧巻の反射速度でかわすと、彼の体はそのまま地面にべたりと叩きつけられてしまった。

「いたた…。え、ユキ先輩、なんで? バイト中じゃ…?」

 箒を片手に仁王立ちになるユキを見上げ、エヴィンが驚きを隠せずにそう問いかける。

「お前がナギを連れ出したからどうにかしろって、さっきから着信が鳴りやまねぇんだよ‼ 事務室まで押しかけられたもんだから、掃除ついでに面倒見てこいって追い出されたわ!」

 言葉のとおり、まだバイト中らしいユキは事務員のジャンパーに身を包んでいる。

 ユキの言葉を聞いたエヴィンは目をぱちくりと叩き、とても意外そうな顔でナギに目をやった。

「へえぇ…ナギ先輩、案外色んな人に心配されてるんですね。正直、めっちゃ意外っす。」

 そんな感想を漏らすエヴィンだったが。

「はぁ? ちげーよ。みんなが心配したのはお前の方だっての。」

 他でもないユキがそれを即座に否定する。

「え、自分すか?」

「そう。ナギが色んな意味でお前を抹殺する前に止めてくれとよ。まったく、ほんとにお前は前の事件で何をしたんだ?」

「………」

 呆れ顔で問われ、ナギは思わずその目から逃げた。

 言えない。

 多分、あの時にやったことを話したらユキは相当怒る。

「あれ?」

 ふとそこでエヴィンが首を傾げた。

「ユキ先輩、首んとこどうしたんすか? 絆創膏貼ってありますけど。」

「………っ」

 そこで顔色を変えたのはナギの方。

 ユキはというと。

「課題中に寝落ちして、そん時にペンで引っ掻いたんだよ。」

 顔色一つ変えずにさらっとそんなことを言う。

「ふーん…」

 きらりと光るエヴィンの瞳。

「ちょっと失礼します。」

「うおっ⁉」

 エヴィンは隙のない身のこなしでユキの懐に入ると、まじまじとその首筋に目を凝らした。

「あ、ほんとだ。ちょっと血が滲んでますね。なーんだ。てっきりキスマークかと思ったのに。」

「……、………っ」

 ナギは出そうになる呻き声を必死に押し殺した。

 昨晩寮に戻って確認してみたら、ユキの首筋には綺麗に赤い痣ができていた。素肌の白さも相まって、それはもうくっきりと、その存在を大いに主張するレベルで。

 ―――仕方ない。

 そうぼやいたユキは、迷うことなくシャーペンでそこを血が出る程度に傷つけたのである。

 どうせ下手に疑う奴が出るだろうから、本当に怪我でもしておいた方がいい。

 あの時はさすがにやり過ぎじゃないかと思ったが、こうしていらぬ憶測を吹っかけるエヴィンを見ると、ユキの推測とその対処の正しさがよく分かる。

「色気がない事情で残念だったな。満足したなら離れろ。」

 ユキは邪魔くさそうにエヴィンを押し返す。

 なんでそんなに堂々としていられるの?

 動揺の一片も見せないユキに、心底驚かされるナギだった。

「えぇ~。どうせだからもうちょっと♪」

 転がり込んできた好機を逃すまいと、エヴィンがユキにぴったりと張りつく。

 さっき、その口でユキのことを諦めると言ったくせに!

 焦ったナギがエヴィンを止めようと足を一歩踏み出したが、それよりも何倍も早くユキが動いた。

 ユキは乱暴な手つきでエヴィンの後頭部を掴むと……

「―――おすわり。」

 彼の耳元にそっと息を吹き込んだ。

「はい‼」

 体に染みついた癖なのかと思える早さで、エヴィンが地面に正座をした。

「え…え……?」

 ついていけないのはナギばかり。

「ユ、ユキ…? まさか、エヴィンのこと本気で下僕にでもすんの?」

 今のやり取りを見ると、どう見てもそうとしか思えないのだが。

「まさか。誰がこんなド変態の主人なんかやるかよ。」

 ユキは即でエヴィンのことを切り捨て、次に冷ややかな目で彼のことを貫いた。

「でもまぁ、この駄犬が勝手に尻尾振ってオレの言うこと聞く分にはいいんじゃねぇかと思ってな。飽きたら消えんだろ。オレは知らん。こいつに無駄な気力割くほど暇じゃねぇんだからよ。」

「あああ、ユキ先輩…っ!」

 うっとりと頬を緩めたエヴィンが悦に入って震えている。それを見ても、ユキはもう片眉一つ動かすことはなかった。

(え、ユキ…なんか目覚めてない⁉)

 狼狽えるナギに構わず、ユキはエヴィンを睨む目に力を込める。

「さて、ちょうどいいからこのまま事情聴取といこうか。なんのためにこいつを呼び出したのか、要点絞って簡潔に三十字以内で答えろ。」

「はわわっ…」

「無駄口叩くな。言い訳も禁止。まさか、逆らう権利があるなんて思ってないよな?」

「はい! はい! それはもう‼」

「ねぇ待って! 俺は何を見せられてるの⁉」

 やっぱりついていけない。

 ナギはユキの肩を揺さぶった。

 これをプレイと呼ばずしてなんと呼ぶのか。

「いいんだよ。こいつの場合、これが一番言うこと聞くんだから。」

 ユキの目には迷いや葛藤を振り切った清々しい光が宿っている。

「はい、さっさと言う。」

「和解に来ただけです!」

「和解ぃ?」

 エヴィンの答えを、ユキはいまいち信じていない風だ。

「嘘はついてないっすよ。」

 露骨に疑いの目を向けられているにもかかわらず、エヴィンはものすごく生き生きと輝いた顔をしていた。

「誓って、もうナギ先輩に意地悪はしません。ユキ先輩には天国見せてもらいましたし、嫌われたくないっすからね~。」

「天国…?」

「やだなぁ、もう。分かってるくせにー。」

 エヴィンは胸ポケットに手を入れると、そこから音楽プレーヤーを取り出した。ぐるぐる巻きにしてあったイヤホンをほどき、何やらにやにやした顔で画面を操作。そして、ふとその場で立ち上がってイヤホンの片方をユキの耳に差し込んだ。

「………?」

 突然のエヴィンの行為に顔をしかめるユキ。

 しかし。

「なっ…⁉」

 次の瞬間、ユキの顔が瞬く間に朱に染まった。

「おまっ……それ、いつの間に…っ」

 先ほどまでの鉄壁な態度はどこへ消えたのか。真っ赤になったユキは唇を戦慄かせている。

 エヴィンはほう、と興奮を伴った息を吐いた。

「ご馳走さまでした。これでしばらくはいい夢が見られそうっす。」

「ば、馬鹿! 今すぐ消せ‼」

 ユキが大慌てで音楽プレーヤーを取り上げようとするが、そこでエヴィンはくるりと体を捻らせた。その最中、手際よくユキの耳からイヤホンを取り上げていく。

「嫌っすよー♪ 大体、これからデータを消したって意味ないっすからね。パソコン、メモリーカード、ハードディスク、その他諸々! バックアップ体制は万全っす!」

「ふざけんな! マジで殺すぞ‼」

「本望っす~♪」

「待て! てめえぇぇっ‼」

 花を周囲にまきながら走り去っていくエヴィンを、ユキが必死の形相で追いかけていく。

「………」

 残されたナギは、しばらくまばたきを繰り返すだけだった。

 これは追いかけた方がよかったのだろうか。

 かなり時間が経ってからそんなことを思ったが、その時にはすでに二人の姿は消えた後。今頃どこに二人がいるかなんて分からない。

(……どうしよう?)

 そう思った時、すぐに手の中にある固いものが目についた。

 人を信じることのお手本。

 エヴィンは確かそう言っていたか。

 ナギはポケットから携帯電話を取り出し、そこに差してあったメモリーカードをエヴィンから渡されたものに入れ替えた。

 データを見てみると、あるのは音声ファイルが一つだけ。

 すぐさま通話用の小型ヘッドセットを耳に取りつけ、そのファイルを再生してみる。

 流れてきたのは、昨日のキッチンルームでのやり取りだ。どうやら、エヴィンがキッチンルーム入るちょっと前から録音が始まっていたらしい。

 ナギは時おり赤くなったり青くなったりしながら、流れてくる会話に耳を傾ける。

 ここまで怒ったユキの声は久々に聞いた。相変わらず、誰が聞いても腰を抜かしそうなくらいに怖い。

 でも、聞かずにはいられなかった。

(ユキ……俺のこと、そんな風に思っててくれたんだ…。)

 ユキの言葉の一つ一つが、飛び上がるほどに嬉しかった。

 

 

『急がなくても、今のあいつならきっと、大事だと思えたものを大事にできるようになる。今はそう信じられるから。』

 

 

 穏やかなその言葉が脳内に響いた瞬間、ナギは泣きそうな顔で口元を覆った。

 ずるい。

 こんなのずるい。

 いっつもユキは怒って説教してばかり。案外短気だから、ちょっとのことですぐキレる。

 遊びにも行ってくれないし、我が儘を言うと絶対に嫌な顔をする。

 どれだけしつこく聞いたって、必要に迫られないと自分のことを話してくれない。

 そんな彼の裏側に、こんなにも優しい想いが隠れていたなんて。

(ちゃんと、言ってよ……)

 目頭に熱いものを感じながら、ナギはそっと目を閉じた。

 

 

 やっぱり、自分はユキのことが大好きだ。

 

 

 改めてそれを実感した胸は、外の寒さなんて感じなくなるほどに温かかった。

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