日系人と日本人の差
この物語は、もしも
「科学的な要望より先に政治的な理由で日本が有人宇宙飛行船を運用」
というシチュエーションでのシミュレーション小説です。
2022年頃の各国をモデルにし、組織名もそのままだが、
個人や計画そのものにモデルはあっても、実在のものではない、
あくまでも架空の物語として読んで下さい。
地上で日米首脳及びダミーとなる他の政治家が、最低限宇宙に出る為の訓練と、宇宙で可能な範囲での機能的な執務室の開発がされている頃、軌道上の宇宙ステーション「こうのす」は平穏な日々を送っていた。
そんな中、日本人がちょっとした禁断症状を発症する。
「お茶漬け食いてえ……」
日系人のマツバラ料理長は「茶漬け」という料理に詳しくない。
寿司・天ぷら・すき焼き、なんていう外国人の典型的和食感ではないにしても、白米・味噌汁・漬物という基本までが彼等の和食であった。
最近、「卵かけご飯」という外国人視点でのゲテモノ料理は覚えた。
だが日本にはまだまだ想像の斜め上をいく料理が存在している。
「茶漬けとは、漬物の一種か?」
「違う違う。
漬けは、液体に浸す事だ。
お茶に浸したご飯を、ガーって掻き込むものだよ」
「おかゆ(rice porridge)のようなものか?」
「ライス・ポリッジ?
ちょっと待って(調べる)、まあそんな感じだね。
とりあえず、白米をパックに詰めてくれれば良いよ。
あとはこっちで何とかする」
そう言って、私物の永〇園のお茶漬けを取り出す。
「あ、持って来てたんだ」
「私物として許可は取ったからね。
たまにこれが無性に食べたくなって」
「ちょっと待った」
日本人同士の会話に割り込む日系人。
「さっき、お茶に浸すって言ってたね?
それは何だ?
緑茶なのか?」
「何って言われても、お茶漬けの素なのだが」
「だから、それはお茶なのか?」
「まあ、お茶だよね。
これにお湯をかけてお茶漬けにするけど、お茶をかけても良いよね」
「お茶にお茶をかけるのか?」
「専門じゃないから分からん。
とにかく、こういうものだって思っておいて」
歌舞伎模様の紙袋を手に取り、まじまじと見つめるマツバラ料理長。
アメリカのアジアンマーケットで見た事はあるが、正直良くは知らなかった。
「お茶漬けとか見てたら、自分もアレを食べたくなってしまったなあ。
料理長、ねこまんまって知ってるかい?」
「キャットフードだと?」
「違うわい!
そうか、ねこまんまを知らんか」
「味噌汁をぶっかけるご飯って言った方が意味は通じるかな」
「ご飯と味噌汁は別々に食べるものだ、自分は両親からそう教わった」
意外に日系人は海外において、保守的で厳格な事を言っている場合がある。
ミルクをかけたコーンフレークのような食べ方を「礼儀がなっていない」と叱ったりもする。
それなのに……
「ああ、確かに品のいい食べ方じゃないね。
でも、たまーに食べたくなるんだ。
1年に1回くらい。
それが今日来たかな。
お茶漬けに刺激されてしまったよ」
「お茶漬けはまだお茶を使っているから分かる。
だが、これは意味が分からない。
猫を使っているとでも言うのか?」
「猫用の食事みたいなものだから、ねこまんまだよ」
「日本の猫は米と味噌汁を食べるのか!?」
それもまた驚きであった。
「どうだろう?」
「今の猫は食べるかな?
もっと美味いキャットフードの方が好きだと思うけど」
ちょっとした議論が始まる。
「盛り上がってるところ悪いけど、僕にもパック詰めご飯下さい。
あと乾燥シイタケを戻して、カンピョウは自分のを使うから良くて、あと薄焼き玉子を作ってくれたら嬉しいです」
「それは可能です。
ただ、私混乱してます。
ちょっと日本食に対して自信が無くなって来ました。
貴方のアレンジする料理は何て言うのですか?」
「ん?
ばら寿司だけど」
「ローズ・スシですと?」
「薔薇じゃないよ」
笑いが起こる。
バラバラと散らす寿司なのだが、郷土料理という事もあり、マツバラ料理長は知らないようだった。
なお、ちらし寿司と言えば通じる。
ただ、寿司と言いつつ生魚の無い(もう消費した)宇宙ステーションにおいて、刺身も焼き魚のほぐし身も使わない野菜だけのものであった為、寿司の概念がちょっとひっくり返った感がある料理長である。
そして混乱する日系人料理人をさらに混乱させようと、船長がとどめを刺しに来た。
「蕎麦……はすすれないから、宇宙じゃ作れなかったな。
よし、たぬきそばならぬ、たぬき飯で行こう」
「何ですか、それ?」
「船長、自分たちも知らないです。
何となくの想像は出来ますが、そんなのあるんですか?」
「船長のオリジナルでは?」
たぬき飯は存在する。
一般的にはたぬき丼、あるいはハイカラ丼。
滋賀県甲賀市信楽町のご当地グルメでもあるが、早稲田大学近くの弁当屋が元祖とも言われている。
想像通り、天かすを乗せたご飯に、蕎麦の出汁をかけて食べるものだ。
船長にはちょっと意外であったのは、マツバラ料理長の反応が薄かった事である。
日本人の方にも、そんなの有ったか? って反応をされて残念だったが。
だが、ねこまんまで「猫!」と騒ぎ、ばら寿司で「薔薇!」と驚いたのに、たぬきに対して何の反応もない。
無理も無い。
アメリカに狸は棲息していないのだ。
船長渾身のネタは、見事に不発に終わった。
だが、この場合は船長も良くない。
仮にたぬきに反応された場合、
「それでどうして、このフリッターの余りを乗せたものが狸なのか?」
と聞かれるだろうが、それに対する明確な回答を用意していなかったのである。
「昔から赤いきつねに、緑のたぬきって言うからなあ」
……それは商品名であり、答えではなかった。
おまけ:
一説では、天ぷら蕎麦の「タネ抜き」が「たぬき」蕎麦になったとか。
具は無くとも、天かすの油の具合が、蕎麦の出汁に良い味付けになるようで。