すっぱ抜き
この物語は、もしも
「科学的な要望より先に政治的な理由で日本が有人宇宙飛行船を運用」
というシチュエーションでのシミュレーション小説です。
2022年頃の各国をモデルにし、組織名もそのままだが、
個人や計画そのものにモデルはあっても、実在のものではない、
あくまでも架空の物語として読んで下さい。
ネットでは既存マスコミへの不満がそこかしこに散らばっている。
記者が取材しない、取材は外注、思想が偏り過ぎ、報道しない自由等等。
そういう記者や編集者がいる一方、キレ者もまた存在する。
ただ「結果として正解になるなら、裏は取れてないが、先に記事として出してしまえ」という特ダネ体質はどこにもあるようだ。
故に今回の「前総理が宇宙に行く」という極秘計画が、とある新聞社によってすっぱ抜かれる事になる。
トバシ記事の類かもしれない。
記者の推測でものを語っていたのだから。
だが真実を元にした推測であった為、読みは相当に当たっていた。
まずアメリカが「前大統領が宇宙飛行に挑戦」を発表する。
これからの宇宙ビジネスに弾みをつける、というニュアンスでの発表であった。
ただ、そこに
「同盟国の首脳もこの行動に同調してくれる事を望む」
という文言が入っていた事から、ある記者が深読みする。
こんな事を言うからには、実は既に話がついているんじゃないか?
→個人的に前大統領と仲が良いのは日本の前総理だ
→そういえば日本の有人宇宙飛行は前総理の肝煎りだった
→同業者に聞いたが、先日衆参与野党の有志がJAXAを視察して、体験訓練をした
→日本から行くのは間違いなく、現総理が行くのは無理があるから本命は前総理だろう
→よし、他社に先を越されるよりも先にうちから記事にしよう
という事で、議員の視察も時機を見て報道という紳士協定も、JAXAへの「記事にしますよ」という一報も確認もせずに、記事が世に出てしまう。
トバシに近いのは、後に全員への聞き取りで分かるのだが、誰にも取材していなかったのに「関係者の話では」という文章が挟まっていたり、実際は逆の「前総理が自分が行きたいから、前大統領をけしかけた」経緯が「アメリカの強い要望で引きずり回されている」と創作されたところにあった。
ではあっても、実際に前総理が前大統領と会うべく宇宙に行く事に変わりはない。
そこだけは事実である。
JAXA広報にも、総理官邸にも、前総理の事務所にも取材問い合わせが殺到する。
「機密保持契約を交わしましたよね。
一体どうなっているんですか!」
前総理の事務所からはそうクレームを付けられるが、局員は一切その記者の取材を受けていないと判明。
更に家族にも知人にも、それどころかJAXA内の他部署の者にすら自分が何をしているかを話していないと皆が言っていた。
そうこうしているうちに、記事の真実を決定づける重要な話が、現総理から発せられる。
「記事にあった内容ですが、詳細を申し上げる訳にはいきませんが、大体事実です。
アメリカ前大統領のカウンターパートとなる人物を調整中です。
正式な発表は、調整が済み次第になります」
推測記事が飛び交うのを防ぐ為に、現在言える範囲の事を言った上で、後で政府の方で正式発表する事を約束し、面倒事を最小限にしようという考えだ。
合理的な判断に見えるが、一方で「前総理の案件なのだから、こっちの知った事じゃない」とボールを現場に渡した部分も無きにしも非ず。
兎に角、今は余計な事をするな、と言う事だろう。
だが余計な事をするのが報道陣の性であろう。
JAXAに張り付き、人の出入りを監視し始める。
そんな中、堂々とやって来る前総理。
「あの人、ある意味怖いもの知らずだな……。
突撃取材されるのが分かっているのに……」
そう感心する人もいるし、一方で
「正直迷惑なんですよね。
報道陣がこうして大挙して押し寄せてるのですらうざったいのに。
なんで焚火にガソリンぶちまけるような行動取るかなあ」
と文句を言う者もいる。
そして秘書から
「ちょっと迷惑をかけますが、もう一回最初の訓練を、復習って形でやって欲しいと先生が仰ってます。
それと、その訓練の様子を報道陣にも公開して欲しい、と」
というメッセージが来た。
とりあえず他のスタッフとも相談し、またしても宇宙服の着脱や、着たままでの行動、脱出の訓練を繰り返す事とした。
報道陣はそれを取材する。
この中には、先日超党派議員連の訓練の様子を取材した顔もちらほら見えた。
その者たちは、正直退屈な表情をしていた。
無理もない。
必要性はともかく、初歩的でやれて当たり前にしか見えないものなのだ。
本日の訓練時間が終わって、前総理は会見を開く。
「会見を行うって言っても、会場をセッティングするのは我々なんですよね」
「いいから黙って机を運べ!
あと控室にジュースでも置いておいて」
「ジュースはどこに?」
「売店で買って来て。
あ、領収書はしっかり貰って来るように」
裏方が準備を終えると、会場に前総理と報道陣が入る。
「これは某紙が報道した、アメリカ前大統領と宇宙会談する為の訓練なのでしょうか?」
この質問に前総理は
「そうですが、ただ私が行くと決まった訳ではありませんから」
そうシレっと答える。
「しかし、前大統領と同格の政治家と言えば前総理しか居ないのではないですか?」
そう食い下がられても
「それは今の総理が決める事ですよ。
総理が行けと言ったら行きますしね」
とボールを現総理に投げ返してしまった。
そして
「私だけでなく、同様の訓練を受けた政治家も居るんじゃないですか?
だったら私が行くとは限りません。
皆さん、横一線です。
私が有利なのは、前職の総理大臣で、前大統領とは親交がある事くらいですね。
何にしても、JAXAの方で適性無しとされれば、他の方が選抜されるでしょう」
と言った事で、マスコミ内部でも意見は分かれるようになる。
そう言えば、確かに他の政治家も同様の訓練をしていたし、前総理もそれと異なる事をしてはいない。
であるなら、訓練というレベルでは横一線なのは確かだ。
その様子を見て、自分も体験したメディアと、今日初めてここに取材に来た社で対応が分かれてしまう。
(よくやるわ)
秋山は2通りの意味で感心してしまった。
いけしゃあしゃあと「行く資格があるかはJAXAが決める、行くかどうかは現総理の命令次第」なんて言ったが、事実上決定しているからJAXAも現総理も頭を悩ませていたのに。
そして、与野党議員を動かして訓練を見せた事で、発覚した後の衝撃を和らげた。
今、他の議員同様に訓練を始めた態ならば、いくら「前大統領と会うなら、前総理に決まってるよな」という思いがあろうと、不平不満は弱まる。
これが「既に宇宙行きは決まっていて、後から公表された」とあらば、
「宇宙飛行士は、選抜・訓練・運でごく僅かしかなれないものだ。
行きたくても行けない多くの落選者がいるのに、前総理だからと言ってこれで良いのか!」
と言われるだろう。
とりあえず、「十中八、九は前総理で決まりだろうが、訓練次第では行けないかも」という事で、半公表状態となった。
そして、前総理の布石は続いていた。
翌日、秋山は前副総理兼財務大臣からも連絡を受ける。
「ああ、なんだ、俺も訓練受ける事になったよ。
俺は歳だから行けねえんだけどよ、前総理が他の有力者も欲しいって言って来ててな。
まあ面白そうだから、よろしく頼むわ。
どうせ宇宙には行かねえんだから、楽しませてくれよ」
しばらく訓練所には政治家の出入りが続きそうである。