新しい料理人
この物語は、もしも
「科学的な要望より先に政治的な理由で日本が有人宇宙飛行船を運用」
というシチュエーションでのシミュレーション小説です。
2022年頃の各国をモデルにし、組織名もそのままだが、
個人や計画そのものにモデルはあっても、実在のものではない、
あくまでも架空の物語として読んで下さい。
日本独自宇宙ステーション「こうのす」には専任の料理人が配属される。
専任と言いつつ、倉庫の備蓄管理もするし、滞在隊の生活支援も行う。
料理人自身も被験者の一人であり、自身のバイタルも計測される。
また当直の時は船長の席に座って、宇宙ステーションの安全運航に努める。
このように料理一本で他に何もしなくて良いという訳ではないが、それでも研究者や操縦士ではない滞在者として、料理人として参加するのは世界でも珍しいだろう。
初代料理長ベルティエ氏はフレンチの料理人であった。
現在はフランスで副料理長を勤めながら、NASAの宇宙料理についての顧問をしている。
二代目料理長の石田さんは、和食を中心に様々な料理を作れた。
彼女は地球帰還後は、宇宙とは関係の無い普通の生活に戻った。
元々彼女は、ミッションスペシャリストに参加した女性飛行士たちが強固に推薦した人で、本人もまさか宇宙に行くとは夢にも思っていなかった。
三代目料理長のアントーニオ氏はイタリアンの料理人だ。
イタリアンを中心に、やはり様々な国の料理を作れる。
現在はESAの宇宙料理に関して顧問として参加している一方、自分の店を開きたいと準備を進めている。
四代目料理長の牧田氏は日本人のフレンチの料理人である。
まあフレンチを中心に、やはり様々な料理を作れる。
彼は南極と宇宙という2種類の過酷な環境で料理を作った経歴を持ったのだが、現在は地元に帰って、結婚して洋食屋を開いて生活している。
風来坊な生活には終止符を打ったようだ。
五代目料理長は初の中華料理人、南原氏である。
中華料理メインだが、和食も洋食もそれなりに作れた。
そして現在の、六代目の料理人がノートン料理長である。
彼はアメリカ料理研究所(CIA)の卒業生で、ここで世界各国の料理について学んだ。
なのでアメリカ料理(ハンバーガー、サンドイッチ、ホットドッグ)だけでなく、他国の料理もある程度作れるのだ。
こんな感じで、初代のベルティエ氏はドッキングしたばかりのフランスが開発した厨房モジュール「ビストロ・エール」の立ち上げ期で、慣れ親しんだ料理を作ったのだが、以降は様々な料理を作れる人が選ばれる傾向にある。
ベルティエ氏の場合、フレンチに拘ったわけではない。
無重力ゆえに「炙って油を落とす」とか「鍋を振るって食材を空中に飛び出させてかき混ぜる」といった手法が使えず、また密閉空間だけに大火力、炎、高圧蒸気を使った調理法も禁止され、更に無菌室である為に発酵や熟成をさせる為の空間が限られている、そんな中での手法を開拓していった為、自然と慣れ親しんだ料理を選択せざるを得なかったのだ。
この四苦八苦して編み出した「無重力ならではの料理の仕方」ベルティエ・ノートは、「こうのす」の歴代料理人の助けとなっただけでなく、NASAやESAでも取り入れられる程の貴重なノウハウとなっていた。
現在のノートン料理長は、このベルティエ・ノートに次ぐ資料を作る為に派遣されたと言って良い。
「ビストロ・エール」はフランスが設計・製作をしたものである。
日本からの要望も入れていた事もあり、遠心分離機を応用したチャーハン製造機とか、生ハムや干物を作るラックとか、そこまで必要か? という器具も置いてある。
NASAでは、日本とフランスから得た仕様書及び設計図を見て、モックアップを作り、それを元に要・不要を判断してアメリカなりのキッチンを設計していた。
だが「こうのす」のように独立したモジュールになどせず、宇宙ステーションなり長期航行する宇宙船なりの一角に設置するものなので、よりスリム化が重要であった。
故に、大体の構想は出来ていたものの、実際に無重力で器具を使ってみる、実際に宇宙ステーションではどのような料理が好まれる、というものを知る必要があった。
例えばコーヒーなんかは、一見「そこまでするか?」という器具でも、娯楽が少ない宇宙での生活では「色々な淹れ方が出来る方が、飛行士のストレス軽減にも良い」為、アメリカも「こうのす」のものと同じものを用意しようと判断した。
そんな感じで、ノートン料理長は生のデータを取る役割を負っていたのだった。
このような任務があった為、彼は本来第六次隊で宇宙に来る予定の料理人を押しのけてしまった。
NASAの方からのゴリ押しであったのだが、当然こうなると「本来行く筈だった料理人」に迷惑がかかる。
元々の第六次隊で行く筈の料理人は、延期になった事で宇宙行きを辞退した。
宇宙には3ヶ月滞在の予定だった。
だが六次隊ではなく七次隊になると、3ヶ月を待った後に今度は半年滞在となり、9ヶ月もこの方に関わる事になる。
ちょっと予定としてはズレ過ぎだ。
こんなに長引くのなら、もう諦めて料理人として別の職場を探した方が良い。
そう判断するのも無理からぬ事であった。
その為、新たに料理人を選抜した結果、日系米人のダン・マツバラが抜擢された。
得意ジャンルは日本料理。
アメリカの日本料理店でキャリアをスタートした後、来日して和食の店で修行。
ロール寿司、テリヤキソース、ラーメンヌードル、といった感じのアメリカン日本食ではなく、きちんとした和食も作れるようになった。
「半分日本人だからなあ」
と相変わらずアメリカの味覚を馬鹿にした日本人も安心させる出自も、飛行士たちを安心させていた。
半分が日本人なら、半分はアメリカ人、英語がペラペラなのも交信は英語が使われる宇宙ステーション滞在では心強い。
このマツバラ飛行士がやって来て、ノートン料理長と任務を交代する。
お互い英語で話せる為、引き継ぎも楽であった。
そしてノートン料理長は呟いた。
「君が来るっていうなら、私は無理して予定者の代わりに来る必要は無かったかもな」
マツバラ新料理長はそれに対し、
「私も同じ合衆国人ですから言わせて貰いますが、
それって我が国のいつもの事じゃないですか。
強引に何かをやって、軋轢を生んでしまう。
今回は相手が同盟国で、お人よしの日本だから良かったのですがね」
と皮肉っぽく答えていた。
ともあれ、アメリカ人からアメリカ人に厨房担当のバトンは引き継がれた。
日系米人、これが後に妙な形で効いて来る事になる。