アメリカ人料理人最後の試練
この物語は、もしも
「科学的な要望より先に政治的な理由で日本が有人宇宙飛行船を運用」
というシチュエーションでのシミュレーション小説です。
2022年頃の各国をモデルにし、組織名もそのままだが、
個人や計画そのものにモデルはあっても、実在のものではない、
あくまでも架空の物語として読んで下さい。
世界の味覚では、大きな区分がある。
辛い物が好きな部類と、辛い物が全く駄目な部類に区分される。
辛い物が駄目な人たちは、想像以上に本当に口に出来ない。
例えばフランス人なんかがそうだ。
ちょっとした唐辛子で悶絶する人が多い。
まあ例外はいくらでもいるが、傾向としては。
逆に辛い物が好きな人たちは、エスカレートしていく傾向にある。
激辛を超えた、最早舌と翌日の肛門が痛い物もあるが、更に上の「一口食べただけで胃痙攣」とか「耳かき一つ分だけで胃潰瘍」というレベルのものさえ愛用する。
辛さも種類があり、マスタード系の辛さ、唐辛子の辛さ、山椒の痺れる辛さ、そして別枠っぽいワサビの鼻にツンと来る辛さがあって、各国で個性となっている。
一方、甘い物が好きかどうかは千差万別と言える。
甘い物が全く駄目という人は、居ないわけではない。
ただ基本的に人間という生物は甘い物が好きだったりする。
その甘さだが、世界には「口の中がベタベタして来る、胸焼けがする」くらいの甘さが好きな国民も存在する。
例えばアメリカ人とか、アメリカンとか、米国人とか。
日本人も甘い物は好きだが、どうも糖尿病に対する耐性の弱さから、どこかリミッターが掛かってしまうようだ。
それに比べれば糖尿病因子が少ないアメリカ人、特に白人は「たっぷりの激甘生クリーム乗せパンケーキ、メープルシロップ掛け」とか「フルーツのシロップ漬けにアイスクリームを合わせたもの」とか「思いっ切り甘いチョコケーキに、銀箔砂糖をたっぷり振りかけ、更にホイップクリームを乗せ、これとコーラを一緒に飲む」とかをする。
ここまで来ると極端だが、練乳コーヒーが好きとか、蜂蜜大好きとか、紅茶にはジャムを入れて飲むものとか、様々な「甘いではない、甘ったるい」のが好きな国民が存在している。
それら様々な味覚の人たちが、政治的な思惑で統一感無く宇宙に集まってしまった。
今回の「こうのす」での短期滞在は、人数だけでなく「一つの宇宙施設で生活する中で最多国籍」という記録も作っていた。
そしてこれらの人たちの中で、長期の宇宙勤務に耐えられるような人材として選抜され、訓練を受けたのは長期隊の船長・副船長と、短期隊の宇宙船船長の3人だけである。
ノートン料理長は世界各国の料理を研究している米国料理芸術学研究所(カリナリー・インスティテュート・オブ・アメリカ)、通称「CIA」の卒業生である。
色んな味の料理を作る事は出来る。
だが、限られた食材と制限のある厨房で、全員の嗜好を満たす料理を作るのは至難の業だ。
それをするには、彼は能力が足りないのでなく、経験が足りなかった。
17人の飛行士たちは、パン食に不満を言わなかった。
日本人は唾液の量が少ないので、柔らかくてしっとりしたパンを好むが、他国はむしろ硬めで歯ごたえがある方を好む。
ノートン料理長は、厨房モジュール「ビストロ・エール」内のベーカリーを使って、今回ゲストの日本人以外の飛行士向けのパンを焼く。
このパンにハムやチーズ、宇宙ステーション内で生産されたレタスを挟んだものは好評だ。
これに気を良くしたのが良く無かった。
「もう帰還まで日が少ないし、リクエストしてくれたら、その料理を作りましょう。
無論、材料が有れば、ですが」
と余計な事を言ってしまう。
人間、頭を使っての疲れでは、無意識に糖分を欲する。
更に頭を使っての疲れでは、我がままな部分を出してしまったりもする。
この一週間、無重力への適応で苦しんだ、スケジュールが詰まっていた、寝床が狭い、眠っていても目の奥で光がちらつくような感じがする、生活空間広めとはいえ、そこに17人も居る事で窮屈さを感じた、等等のストレスもあって、味という原初の欲が支配的になって来る。
まあ「好きな物を作る」なんて言って、スイッチを入れたのはノートン料理長だったが。
とりあえず飛行士たちは、無茶な事は言わなかった。
正規の飛行士ではない、簡易訓練の短期滞在者とはいえ、その辺の事を理解出来ないような人は到底来られない。
だが、ちゃんと気を使った分だけ、実現されていないと文句が口から出てしまったのだ。
「辛い!」
「いや、全然辛くない。
ただ酸っぱさが足りない」
「もっと辛いのが良い。
ブートジョルキアとか無いのか?」
「いや、プリッキーヌゥとか……」
「そんな辛い唐辛子は催涙スプレーと同じで、持ち込み禁止!」
「辛くても良いけど、ちょっとだけ辛過ぎる。
ピリ辛くらいでないと味が分からない」
リクエストされた通りに味付けをした筈だが、微妙な違い、違和感を感じられた。
コーヒー、紅茶も
「生クリームをもっと濃厚に使って欲しい」
「馬鹿舌め。
これはこれくらいの渋さで良いんだよ」
「コーヒー自体は美味しいけど、ブラックは胃に悪いでしょ。
砂糖とミルクをもっと使わせて欲しい」
「砂糖とか残念な人だな。
こういう時はジャムじゃないか」
「お前ら糖分取り過ぎ。
人工甘味料にしておけ」
こんな感じで、添加するもので言い合いとなっていた。
デザートは
「甘さが足りん」
「甘さは良いが、濃厚さがもっと欲しい」
「甘さは良いが、もっとキレの良いスッキリした甘さで。
これはちょっと重い」
「フルーツ系のちょい酸っぱい甘さの方が好みだな」
「ちょっと甘過ぎないか?」
とやはり色々な意見が出る。
スープとコーヒー、紅茶は、基本の物に提供前の味付けで調整出来るし、提供後も砂糖や辛味が足りなければ足せる。
しかし焼き上がったデザートはそうもいかない。
大体全員共通、若干ホイップクリームで甘さを足したりはしたが、ほぼ同じ味であった。
その為、甘さに対する意見が出まくる。
ノートン料理長は、NASAから「アメリカの超長期宇宙滞在における食事提供の為、様々なデータを現地で収集する」という任務も帯びている。
その彼は、嵐が去った後に本国にこう報告を入れた。
「嗜好品は現場で作るのではなく、最初から好みに合った物を持ち込むべき。
疲れて来る程我がままになっていく為、ちょっとした味の違いで揉める可能性有り。
さもなくば、一切の嗜好品を我慢させるべきである。
或いは、同じような好みの飛行士で統一すべきである」
と。
やがてNASAは一番最後の但し書きを重視し、同じような嗜好の飛行士でチームを組ませる事になる。
その方が食材とかの備蓄や生産で効率的だからだ。
結果、あるチームは超甘党が勢揃いしてしまい、飛行士には厳密なバイタルチェック(特に血糖値とHbA1cの計測)及び、料理に加えてパティシエとしての訓練までする事になるが、それは未来の話である。