何としても天空の湯
この物語は、もしも
「科学的な要望より先に政治的な理由で日本が有人宇宙飛行船を運用」
というシチュエーションでのシミュレーション小説です。
2022年頃の各国をモデルにし、組織名もそのままだが、
個人や計画そのものにモデルはあっても、実在のものではない、
あくまでも架空の物語として読んで下さい。
「わざわざ宇宙ステーションに湯舟のモジュールとか、正気の沙汰ではない」
アメリカにそう言われる事など、企画した者たちは既に認識している。
宇宙ステーション「こうのす」には既に2ヶ所の浴室がある。
コア1のものと、女性飛行士が多く使うコア2のやや広い浴室である。
もうこれ以上必要無いとは、日本のスタッフですら思ったりする。
仏教には「方便」という便利な言葉がある。
便利とか言ったら「本来の意味を履き違えている」と文句を言われそうだが、表す言葉として最適なのは確かだ。
「宇宙でも湯にしっかりつかりたい。
首だけ出す形ではなく、呼吸用のレギュレーターを咥えて入ったりせず、地上と同じように入れるものだ!」
という目的の為に
「宇宙でも快適な生活には、多少なりとも重力が必要である。
農業でも動物の育成でも、重力下で進化した生物にとって無重力は害悪なようだ。
将来を見据えて人工重力の実験モジュールを作りたい」
という名目を作った。
この名目自体は日米ともに文句は無い。
人工重力の研究は必要と思われる。
だが、何度も立ち上がっては頓挫したこの人工重力モジュール、今でも全く課題は減っていない。
「遠心力に代わる人工重力は、現在実現出来ない。
その遠心力は半径に比例し、回転速度の2乗に比例して強くなる。
現在、1kmもの長大な回転半径を取る事は出来ない。
半径1km程で、1分で1回転という速度になるのに、せいぜい2.5m程度のモジュールでは長高速回転にせざるを得ない。
それが1Gでなく、0.1Gでも大した差はない。
人間は重力の快適さ以上に、振り回される事で目を回してしまう。
到底無理だ」
何度もこの結論に達しては、打開策を考え、コストと見合わないから現実的なレベルに落とし込む、やはり計算しては同じ結論に……、というのを繰り返している。
ちなみに、「こうのす」には既に人工重力装置は搭載されている。
調理器具として。
実験器具としての遠心分離機を応用したものだ。
人間とか生物でなく、試薬や食材ならば秒速何回転させようが問題は無い。
どうしてもチャーハンのパラパラを再現したくて開発したのではあるが、
「別に宇宙に来てチャーハンを食べたいとは思わない。
むしろ普通の白飯で良い」
「パンで構わない」
「どっちかと言ったら、自分が重力環境にあって麺をすすりたい」
という声によって、数える程しか使用されなかった。
遠心分離調理器がもっとも使用されたのは、コーヒーを淹れる時であった。
無重力でも水圧をかける事でドリップ式のような効果は得られるが、
「サイフォン式を望む」
「じっくりと淹れるベトナムコーヒーが良い」
等という嗜好が勝った為だ。
最近では回転速度をわざと遅くして
「地球と同じ1Gではなく、0.5Gくらいでゆっくりと淹れ、より豆の味を濃くしたい」
なんてやり方まで編み出している。
「宇宙でわざわざ湯舟は必要ない。
現に、使わない飛行士、シャワーだけで済ます飛行士、ウェットティッシュだけで済ます飛行士だっている」
「必要なくても、趣味だからこそ是非必要。
現在でも年長の飛行士ほど湯舟を使う傾向にあるし、不要という事は無い。
無重力の不便さを解消すれば、湯舟の利用率は上がるだろう」
この2つの意見がせめぎ合い。
そして「天空の湯」推進者は、もはやなりふり構わってられなくなった。
ここで「方便」の活用である。
「人工重力」の必要性は、JAXA内のISS運用部門も理解している。
むしろ彼等が先駆者であった。
かつて生物学的試料を、0.01Gから2Gの人工重力環境に晒す実験モジュール「セントリフュージ」が計画されていた。
ISSのハーモニーの天頂側に設置される予定であった。
残念ながらISSの費用超過と、当時運搬に使われていたスペースシャトルの飛行スケジュールの問題からキャンセルとなった。
これを復活させる提案をする。
かくして、一番「湯舟とか、そんな遊びでしかないようなものは不要だ」と言いそうな部門と、人工重力の実験をするという方便で手を組む。
さらに、駆け込み乗車的に自分も宇宙に行きたい政治家とも手を組んだ。
政治家たちは、如何に「若手」でも四十代、普通は五十代、六十代である。
彼等は湯舟が恋しい。
「もし宇宙に行けるようになった時、ドラム式洗濯機から顔を出すような形の風呂ではなく、手足をゆったりと伸ばせる湯舟は欲しいですよね?」
と言ったら、色々理屈は捏ねるも、頷いていた。
「今回は間に合わないかもしれませんが、将来の為の研究は必要ですよね?」
そうけしかけると、
「君たちの要望は理解した。
まあ、ただでは協力せんよ。
分かるだろう?
ギブアンドテイクだ。
もちろん金を寄越せなんて言うつもりはない、誤解しないようにな」
と言って来た。
要は
「わしが宇宙に行けるよう、JAXA内で環境を作れ」
という事だ。
政治家によっては、じっくり進めている宇宙港とか研究施設の誘致を求める。
さらにアメリカの企業家や富豪たちにも意見を聞き
「ジャグジーとか有ったら良いだろうね」
という言質も貰っていた。
彼等はアメリカの宇宙ビジネスにおいて、顧客となる層である。
NASAとて軽視は出来ない。
こうして彼等は外堀、内堀を埋めてから秋山を再度説得にかかる。
ここまでやられて、秋山は呟いた。
「目的の為に手段を選ばず……。
私の苦手な言葉です」




