宇宙のアクアリウム
この物語は、もしも
「科学的な要望より先に政治的な理由で日本が有人宇宙飛行船を運用」
というシチュエーションでのシミュレーション小説です。
2022年頃の各国をモデルにし、組織名もそのままだが、
個人や計画そのものにモデルはあっても、実在のものではない、
あくまでも架空の物語として読んで下さい。
「こうのす」は「如何に宇宙で快適に生活するか」がテーマとなっている。
いつの間にかそうなってしまった。
研究モジュールも、そういう意味では「リラックス出来る」設備になっている。
土壌農耕モジュールと水耕モジュールは、目に優しく心を癒せる「緑」が見える。
厨房モジュールでも、スプラウト栽培とかもやしの栽培をしていて、ここでも生きた植物を見られる。
そして水系モジュールでは、水草とか水棲動物という「自然」を常に見る事になる。
人間、どうにも殺風景な建物に長期間滞在すると、心を病んでしまう。
高緯度地域の冬、太陽が上らない時間が長くなると、自殺する人が増えるというデータもある。
潜水艦乗り、南極越冬隊なんかは、こういう「人工物の中に長期間留まり、変わり映えのしない景色を見続けるストレス」への耐性も求められるだろう。
それは宇宙飛行士も同様だ。
北極海で任務に就く原子力潜水艦乗り以上に、外に出る事が許されない過酷な生活である。
北極海なら、まだ浮上中にちょっと氷の上を歩くくらいは出来るかもしれない。
……仮想敵国に見つかるから、まずやらないだろうが。
しかし宇宙ステーションでは、精々船外活動で外に出るのがやっとで、それも宇宙服に身を包んでの事だ。
北極海に浮かぶ氷の上に素っ裸で飛び出しても、時期によってはしばらくは大丈夫だし、「あいつ、おかしくなった」くらいで済ませられるが、宇宙に素っ裸で飛び出したら1分未満で死ぬだろう。
……北極海の海中に素っ裸で飛び込んだら、季節問わず、まあ宇宙ステーションの場合と同じ結末になるだろうが。
「宇宙で快適な生活を」がテーマの「こうのす」では、そういうストレスを溜めないよう、広い構造となっている。
また、新型宿泊モジュールには造花が飾られていたり、壁面にデジタルではあるが名画が映し出されたりと、ラグジュアリー感を出している。
それでも本物に近いものにはかなわない。
本物の植物の緑、本物の水の音、本物の生物の動きなんかは、造花・録音データ・ロボット魚の動きに勝る。
期せずして「こうのす」のミッションスペシャリストたちは、自分たちの受け持ちモジュールの中でストレスを緩和していたのだ。
この件、先日まで短期滞在していたアメリカの飛行士たちは気づいていない。
もっと長期の滞在になれば、水を通して揺らめく光や、瑞々しい植物の葉、泳ぐ淡水エビたちとそれが巻き起こす水流で揺れる水草にヒーリング効果があると実感を持って気づいただろう。
しかし、なまじ「ISSでも長期滞在可能なように、閉鎖空間でも精神に異常を来さない」強さを持っていた為、2週間程度の滞在では「癒し」は必要無かったのだ。
彼等にしたら、第六次長期隊の3~4ヶ月でも疲れる事はなく、半年でも恐らく大丈夫、1年以上でやっと「ああ、こういう緑を見てると和むなあ」となるかもしれない。
某漫画で「サラダは栄養を求めて食べていない、食卓の華やぎを求めている」という話があった。
新鮮な野菜や、鉢植えでもそこからもいで食べるトマトやフルーツなんかにも精神を安らげる効果がある。
南極の基地でも、温室を作って野菜を育て、新鮮野菜を食べていたりする。
アメリカの飛行士たちは、そこはしっかり理解して自分たちにも取り入れようとした。
このように「こうのす」は精神の病みを防ぐものが、そこかしこに存在していた。
度々話したように、「こうのす」はISSに比べて敷居の低い宇宙ステーションである。
宇宙飛行士としての技能も、原付バイクの免許と、大型自動車二種免許ほどの差がある。
よって「こうのす」は先日のテレビ番組チームとか、七十代の老教授とか、アメリカの企業家とかを受け容れる事が出来た。
より一般人に近い者でも滞在出来る。
この場合、無重力かつ閉鎖空間でどうしても感じるストレスを和らげるものが多数存在する方が良いだろう。
「リラクゼーションを求めるなら、熱帯魚とかも飼った方が良いのでは?」
ルーチンワーク化した為、土壌農耕モジュールと水耕モジュールの両方を担当しながら、時間に余裕を作っている白石飛行士がそう話しかける。
彼は水系モジュールのビオトープ部分で、淡水エビの遊泳や巻貝が水槽の壁面を這い回っているのを見て和んでいる。
疑似的な潮の満ち引きで、干潮相当時には二枚貝が砂地に潜る様子も見える。
「却下」
水槽に手を入れて水質を測ったりしながら、勝田飛行士が答える。
「この水環境の第一の目的は、汚水の生物学的な浄水。
第二に食糧生産。
リラクゼーション効果はその次、というか副次的なものでしかない。
熱帯魚は食えん。
まだニジマス飼った方がマシだな」
「じゃあ、ニジマスを……」
「この水槽のサイズでは無理。
まだまだ基礎実験中なのだから、小型のものを数多くってのが常道ですな」
バッサリと、無責任な提案を否定する。
「食糧生産ねえ……」
そう言って、白石飛行士はエビを見る。
「これ、食べるんだよねえ……」
「その為の養殖です」
「なんか、見ていると愛着を持ってしまってねえ……」
「全くもって、本末転倒ですな。
白石さん、育てた豚とかを食肉に出来ず、泣くタイプでしょ」
「……うん、泣くね」
「人間食わずには生きていけない。
植物だろうが動物だろうが、手塩にかけていようが他人が育てていようが、命を頂いている事に変わりなし。
学者の端くれなんだから、もっと合理的に生きましょうよ」
そうは言っても、人間そうそう割り切れるものではなかった。
南極越冬隊では、育てたもやしを食べるのを嫌がる人も出たとか。
命があるものを見て和む心と、命を頂かねば生きられぬ原罪。
心なんてものがある分だけ、人間とは中々に面倒臭い生き物なのかもしれない。