アメリカ人シェフ、宇宙ステーションへ
この物語は、もしも
「科学的な要望より先に政治的な理由で日本が有人宇宙飛行船を運用」
というシチュエーションでのシミュレーション小説です。
2022年頃の各国をモデルにし、組織名もそのままだが、
個人や計画そのものにモデルはあっても、実在のものではない、
あくまでも架空の物語として読んで下さい。
我々は誤解していたかもしれない。
アメリカにはハンバーガーとピザとホットケーキしか存在しないと。
実際のところ、アメリカは全50州もある。
イタリア料理やアジア料理のテイストが入っているカリフォルニア料理。
ロブスターやクラムチャウダー等のボストン料理。
植民地時代にフランス系住民が食べたルイジアナ州のケイジャン料理。
メキシコ風味が入ったテキサスや南カリフォルニアの料理。
パシフィック料理に日本の影響も加わったハワイのポリネシア料理。
サーモンや鹿肉を使ったアラスカ料理。
等等。
また人種が多彩なアメリカにはベーグル好きなユダヤ系、タコスのメキシコ系の他に中華デリの華僑、ふやけたスパゲッティに人知れず文句を言うイタリア系等の他にも、日系、インド系、アラブ系等多種多様な食文化が入って来ている。
ニューヨークは特に「美食の都」というわけではないにせよ、ニューヨークスタイルという料理が有ったりと、世界から人が集まるだけに食文化もそれなりに充実している。
アメリカ人とはファット族やスイーツ族ばかりではない。
イギリスの末裔ばかりでもない。
まともな味覚の人の方だって多いのだ。
全人口の3割くらいは、標準体型で食事もきちんとしたのを食べている。
(残りはファット人か、スーパーファット人かだったりするが)
アメリカは宇宙食にも見栄えと味を要求している。
宇宙食の味がモチベーションに影響すると最初に言い出したのはアメリカなのだ。
宇宙食の規格をきっちり決め、その範囲でより美味いものを求める、これはメシマズを良しとする人間の発想ではない。
彼等は食の禁欲主義者ではなく、むしろ快楽主義者であろう。
そのアメリカにしても、市販されているレトルト食品すら一定以上の味の水準を満たし、衛生管理や栄養面、保存性等で「あと少しで宇宙食の基準も満たす」国は良い刺激になっている。
日本の宇宙ステーションで、世界最初に「専属宇宙料理人」を勤めたベルティエ氏を招き、宇宙食を研究しているのは、本気になった証であろう。
ノートン氏の腕前を、JAXAの面々も疑ってはいない。
それでも試す訳ではないが、一度彼の料理を見てみる事となった。
味以上に、制限された環境での手際なんかを見て、もしも問題があるなら少し打ち上げ時期を遅らせてでも再訓練を課した方が良いだろう。
一緒の訓練をしていないという事で、一抹の不安はぬぐえなかったのだ。
杞憂に終わった。
ノートン氏は、日本の宇宙ステーションで仕事をしたベルティエ氏の指導も受けた為、厨房モジュール「ビストロ・エール」の使い方も心得ていたのだ。
本人の希望で2回に分けて試食会が開かれる。
最初は、アメリカンテイストの日本風料理である。
魚の切り身をグリルにし、照り焼き風の味付けとする。
宇宙ステーションでも生産されている野菜を使って、おひたし風の煮野菜を作る。
煮過ぎてクタクタにはならず、生煮えで硬いわけでもない、絶妙な茹で加減であった。
これは和風とは言えないが、クリームソースで和えている。
そして味噌汁。
きちんと出汁を取っていた。
具材は玉ねぎ。
総じて
「ゴリゴリの和食って期待するとちょっと違うって思うが、普通に海外にある日本食レストランとして見ると良い方の味かな」
という感想である。
次の試食会は、朝食という設定でサンドイッチが振る舞われた。
「これはベーグルか。
ベーグルに玉子とハムが挟まっている。
ベーグル、彼が作ったんですね」
「へえ、バゲット使ったサンドイッチか」
「ライ麦パンも彼が焼いたのか」
「具材も良いが、パンが更に良いから、どんどん進みますね」
間違いなく、こちらの方が本領発揮の料理である。
つまり前回は「日本人に向けて、日本食を作るならばこれくらいまで出来る」というアピールであり、今回は「日本人でも十分美味しく食べられる、アメリカ人の普段の食事」を見せたのだ。
そして手際の面で問題はない。
日本風料理の時、ご飯を炊く時間が掛かったが、それは日本人でも同じ事である。
パンは予め焼いておいて、提供時に軽く再加熱した。
食材も基本的に「こうのす」に接続されている2機の農場モジュールで生産される野菜や、備蓄されている食品と同じものを使っていた。
これから3ヶ月を共に過ごす飛行士も納得し、
「これからよろしくお願いします」
と握手を交わす。
その様子は既に先行して宇宙に行った3人の飛行士にも伝えられ、ほっと一安心していた。
娯楽の少ない宇宙生活で、食事の不安は重大事である。
その不安が解消された。
これで心置きなく宇宙生活を送る事が出来る。
この報告はNASAにもされ、彼等は
「我々の中でコンテストを行い、勝ち抜いた男だ。
どうだ、中々のものだろう」
と胸を張っていた。
ノートン氏は基本的には自分が得意とする料理を作る。
それは日本人の好みからもそう離れてはいない。
アメリカの米料理も出来るから、米の味の禁断症状を出す事もないだろう。
どうしても和食が食べたくなったら、どうにか及第点の日本風料理で我慢して貰おう。
3ヶ月の期間中なら、それで十分だ。
ノートン氏は、この経験を元にアメリカの「宇宙での食材からの料理」をより効率的にしていく事になるだろう。
基本、じっくり作るベルティエ料理長を始めとしたこれまでの料理主任に対し、パパっと作る料理主体となる為、今後のアメリカの宇宙での料理を見据えた人選と言える。
このノートン料理長も乗り込んだジェミニ改が打ち上げられ、ついに第六次長期隊の全員が揃った。
第六次長期隊の任務が始まる。