衣食住の住
この物語は、もしも
「科学的な要望より先に政治的な理由で日本が有人宇宙飛行船を運用」
というシチュエーションでのシミュレーション小説です。
2022年頃の各国をモデルにし、組織名もそのままだが、
個人や計画そのものにモデルはあっても、実在のものではない、
あくまでも架空の物語として読んで下さい。
日本独自の宇宙ステーション「こうのす」は快適な宇宙生活を目指している。
最早科学的な実験は従で、今後の長期の宇宙生活を見据えて、快適な生活をする事が主となっていた。
自給自足になるべく近づく食糧生産と、残飯の処理。
水と酸素も循環型を目指す。
酸素も可能ならば、内部で植物による生産を行う。
かつてアメリカではバイオスフィア2という完全自給自足を目指した設備を作って、実験を行った。
しかしこれは、土壌微生物の呼吸を計算に入れていなかったり、日照量不足による酸素生産の不足が起こったりして上手くいかなかった。
「こうのす」はここまで徹底した自給自足は目指さない。
バイオスフィア2でも、直射日光による温度上昇に対する冷却と、室内照明は外部からの電源供給に頼らざるを得なかった。
「こうのす」は酸素も水も燃料も食糧も、基本的には補給を得ている。
その上でなるべく消耗を無くしたい。
物質的には合理的な自給自足を目指す設備、農業モジュールが2棟と大規模水処理モジュールが1棟、大規模な生命維持装置付きモジュールが2機という構成になっている。
しかし人間、物質だけで満足出来る生き物ではない。
食事をするなら美味しく、良い香りで、適度な歯ごたえとのど越しがあり、更に言えば見た目も良いものを食べたいものだ。
「美食とは贅沢である、粗食こそ神の教えに沿ったものだ」
という思想はかつてあったが、ほとんど駆逐されてしまった。
メシマズで知られるイギリスなんかは、いまだに清教徒的粗食論を唱えたりするが、彼等とて美味いものを食べ続けられる国に来るとあっさりと陥落する。
ユダヤ教徒とイスラム教徒が仲良く豚骨ラーメンをすする日本というのが、ある意味魔境と言える。
そんな魔境の住人が、同様の価値観を持つフランス人やイタリア人と共に設計し、食事には一家言あるフランスが製作した厨房モジュールを備えた「こうのす」は、ある意味で宇宙飛行士をダメにする施設とも言われている。
粗食に耐えるとされるアメリカ人だって、コーヒーの味には拘ったりするから、もう食に関してはNASAでも無理をさせない事にした。
こいつら、無理を押し通したらいつまでも錠剤や歯磨きチューブ状の宇宙食から進化しなかっただろうから。
魔境の住人が作った「宇宙飛行士をダメにする宇宙ステーション」は、他にも浴室設備が充実している。
無重力ゆえの制限はあるにせよ、正直安ホテルのバスルームより充実していたりする。
それでも満足せず
「ジャグジーを実現したい、人工重力を使った大浴場を作りたい、檜風呂にしたい、硫黄の匂いのする温泉をかけ流したい」
とまだ向上させたかったが、NASAから「そろそろ自重しろ」と歯止めが掛かっている。
トイレも洗浄機能付である。
この方が実はゴミを減らせるから、ここは欧米各国も受け入れていた。
富豪が宇宙に行きたい世界各国の要望を受けて、宿泊施設も快適になった。
これは日米合同開発だが、アメリカの大手ホテルグループが関与して、カプセルホテルのような部屋の割にはかなりリラックス出来る居住棟が作られた。
その居住棟「アネックス」の個室がカプセルホテルなら、今までの「こうのす」の個室は「棺桶」と評されている。
もっともISSの個室は電話ボックスのようなものである為、棺桶とどっちが快適なのやら。
そして娯楽設備も改善する案が出された。
こうして食事・風呂トイレ・寝室・娯楽を兼ねたトレーニングルームと、もう宇宙ステーションにはこれ以上のものは不要とも思えた。
それでも更に、住環境を快適にすべく議論が重ねられている。
「酸素供給と目の保養の為に観葉植物を」
「それは、観葉植物自体の世話をしないとすぐに枯れるし、取れた葉の処理とかあるから却下。
アネックスにある緑だって、結局は造花や模造品で、見た目の緑だけにしているわけだし」
「美術品を置くというのは?」
「絵画は余計な可燃物だから置いてはならない。
彫刻とかは邪魔なだけ」
「じゃあ、初代艦長のレリーフとかは?」
「宇宙戦艦じゃないし、大体艦長っていませんから」
「和室とか、茶室とか……」
「デッドウェイトになります。
国際宇宙計画での月基地や火星有人飛行の為のデータ集めなのだから、日本人にしかウケないものはアメリカが嫌がるでしょう」
「カラオケボックスとか、ダーツとかビリヤードをする場所……」
「歌いたいなら軟式拡張室を締め切って歌えば良いでしょう。
ダーツとかビリヤードは無重力では滅茶苦茶つまらんでしょうよ」
「ペットを飼う」
「ペットに食わせる餌も持っていかないとダメですよね。
それとペットが出す糞の始末も」
「それで養鶏モジュールの開発がペンディングとなっているんでしたっけ」
「そうです。
卵を採れるし、残飯でも処理してくれる鶏を飼うのは魅力的ですが、糞の始末をどうするかがまだ定まってなくて」
「じゃあ、ウズラとか……」
「あの鳥、重力下でもやたら動き回ってケージの天井に頭ぶつけたりするし、鳴き声うるさいし、気性が荒いしで、卵を得るよりデメリットの方が多いですよ」
等々議論だけはされていた。
住環境を更に改善したい、いやそれに留まらずまだ改善出来る筈だと思うのは、日本人の特徴でもあるだろう。
細部に拘り過ぎるという性質。
この件は今後も継続して検討していく事になった。
そして海外でも不毛な討論をされている。
「妻/恋人と2人きりで過ごせる部屋が良い。
音漏れせず、外から覗かれる事もない。
男女2人なのだから、何をしたいか分かるだろ?」
「宇宙飛行士のメンタル確認上無理です!
絶対に死角は作れないのです。
それと、宇宙での生殖行為は本当に妊娠した際にどうなるか不明です。
胎児を危険に晒さない為にも、謹んで下さい」
「確か、あのスパイアクション映画の第11作で、スペースシャトルの中で事に及んでいたではないか」
「あれは我が国の映画のお約束です!
実際にはやらないで下さい」
NASA他、アメリカの宇宙開発部門も、無茶な要求への対応に手を焼いていた。