2021年も最後の日
この物語は、もしも
「科学的な要望より先に政治的な理由で日本が有人宇宙飛行船を運用」
というシチュエーションでのシミュレーション小説です。
2021年頃の各国をモデルにし、組織名もそのままだが、
個人や計画そのものにモデルはあっても、実在のものではない、
あくまでも架空の物語として読んで下さい。
太陽暦の12月31日は、中華の世界では意味を持っていない。
しかし、いくら中華の料理人とはいえ、南原厨師は日本人である。
大晦日には蕎麦を食べたい。
食べさせる、というより自分が食べたい。
「蕎麦は……
中華麵とは……
打ち方が違うからっ……
中々面倒……
っすな……」
蕎麦粉から蕎麦を練り、無重力だから練るのに苦労しながら、途切れ途切れに南原厨師が話す。
加水し、蕎麦の塊を作るまでは簡単だ。
それらを纏めて、力を込めて練り、そして麺棒で伸ばしていく。
地に足がついていればそれ程難しくなく、素人でも出来る。
だが、反動で体が浮いてしまう無重力では、中々の難作業のようだった。
「南原さん。
他人の仕事に口出ししちゃ悪いと思うんですけど……」
「なんですか?」
「小麦粉使いましょうよ。
繋ぎを使えばもっと楽に出来るのではないかと、思うのですがね」
急遽、調理アシスタントを任された森田副船長がボヤく。
厨房ユニット「ビストロ・エール」には、体が浮かないように足を引っ掛ける部分がついている。
また、ベルトでもって体も固定出来る。
だが「ビストロ・エール」はあくまでも作ったフランス人の基準で考えられている。
パイ皮練ったり、パスタ生地捏ねるくらいの力を想定している。
蕎麦粉100%とか、ちょっと難しいのかもしれない。
木鉢とか無いから、代用品を急遽作成し、練る時にそれが動かないよう抑える役が必要であった。
「自分がっ……
生粉打ちをっ……
食べたいんです!」
保存してある蕎麦粉が、更科粉ではなくもっと荒い(皮の残った)ものであった為、上手く纏めるのに苦労している。
その粉もまた、ガレットとかを作るフランス人の基準で選ばれていた。
余り粒子が細かすぎるものは、密閉された機械の中で調理するには不適とされた部分もあるが。
なお、ガレットの場合、卵も加える為、こんな苦労はしない。
卵でなくても、小麦粉とか場合によってはジャガイモもつなぎに使える。
だが頑なに十割そばに拘る南原厨師であった。
「ああー、無重力じゃ『おろし』が作れないのか!」
苦労の末、蕎麦切りまでを終えた厨師が頭を抱えた。
大根おろしは、すりおろした後に、おろし金の下に大根の実と汁が溜まっていく。
しかし無重力だとそれが出来ず、飛び散ってしまう。
だから大根おろしは作りにくい。
「よし、カブをおろしてみよう。
カブだと汁気が少ないから、おろし金の所に付着する。
それを掬い取れば、時間は掛かるけど、カブおろしが作れる。
暮坪カブなら抜群に美味しいんだけどなあ……」
「……南原さん。
貴方は中華の料理人でしたよね?」
「何料理だろうと妥協はしません!」
残念ながら、ネギは妥協せざるを得ない。
連作障害対策で、カブの次に植えた為、まだ収穫出来てはいない。
保存されていたスライスネギを使用せざるを得なかった。
そして出汁を作る調理酒も。
宇宙ステーション内で酒は作っていない。
出来合いの調理酒を使う事になる。
出汁を作る上で、醤油も必要である。
鰹節は流石に宇宙では無理だから、地上から持って来た。
これは日本人基準(そもそもフランスには無い)で、上物が保管されていた。
出汁昆布もである。
そして醤油だが、宇宙ステーション産の大豆を使って醸造されたものも存在する。
第二次隊の石田さんが、任期の最後の方で収穫された大豆で仕込んでおいた。
9ヶ月目になり、搾り時であろう。
だが、味が良いかどうかは分からない。
石田さんは色んな料理は作れるものの、醤油とか味噌を作る職人ではない。
実際のところ、どんな出来になっているかは不明なのだ。
「うむ、不気味ですね」
無重力では上澄みも沈殿も無い。
ただ混ざり合ったのがあるだけ。
それを絞らないとならない。
「搾り機は……」
「そんなもん有りません。
無いものは作らないとなりません」
「じゃあ、なんで醤油と、あと味噌も仕込んだんですか?」
「実験用ですよ。
宇宙ではまだ、人類の生存については試行錯誤の段階ですから」
ここから絞って、更に火入れしないと、簡易ながらも麹やイースト菌を入れて隔離してある場所から、生活空間に持ち込む事が出来ない。
完全に容器に入れて密閉したもの1つは、第四次長期隊の前半隊が地球に持ち帰った。
この調査結果が出てから、搾り機なり火入れ装置なりを短期隊の荷物と一緒に持って来るが……
「それでは大晦日に間に合わない!」
仕方無いから、醤油も保存してあるものを使用する事となった。
かくして、妥協せざるを得ない所は妥協しつつ、凝る所は凝りまくって支度が進んでいた。
「だが……」
森田副船長は呟く。
「今日は12月30日!
蕎麦を食うのは明日じゃないか」
「明日ぶっつけ本番は怖すぎるんです。
明日になって、あれが無い、これが無いでは間に合いません。
出汁の仕込みも今日やっておいて、明日完成したのを使います」
「蕎麦は打ち立て、茹で立て、というじゃないですか」
「だから、今日の蕎麦は今日食べますよ。
麺つゆは市販品ですが。
明日は明日の蕎麦を食うのです!」
(私は明日もアシスタントなのか!?)
結局翌日もアシスタントとして空き時間には滅菌着を付けて厨房モジュールに入り、蕎麦打ちの手伝いをさせられる森田副船長であった。
「苦労した分、蕎麦が美味い……」
パックの中から啜る味気ないものだが、蕎麦の味は人一倍味わえた気がした。
今作は次回で4年目に入ります。
お付き合いいただきありがとうございます。
終わりの形は決めてますが、それに何時なるかは決まっていないので、これからもよろしければ読んでいただければ幸いです。




