宇宙ステーションでの漬物
この物語は、もしも
「科学的な要望より先に政治的な理由で日本が有人宇宙飛行船を運用」
というシチュエーションでのシミュレーション小説です。
2021年頃の各国をモデルにし、組織名もそのままだが、
個人や計画そのものにモデルはあっても、実在のものではない、
あくまでも架空の物語として読んで下さい。
漬物は、生物学的には2種類存在する。
乳酸や酵母によって発酵させるものと、発酵を伴わないものである。
発酵型の漬物は、現在でも製作禁止である。
しば漬、キムチ、ザワークラウト等は作ってはならない。
熱処理しなければ、持ち込むのも禁止である。
西洋酢漬も、発酵するタイプのはいけない。
同じ発酵でも、パンは最終的に焼くから問題無い。
漬物は基本生で食される。
故に細菌が放出されるような事はさせない。
まあ、無菌状態の宇宙ステーションでは、空気中に乳酸菌は居ないのだが。
久保田飛行士と牧田料理長が待ち望んでいる千枚漬けは、現在は発酵させずに作る。
京都の老舗漬物店では、カブと昆布だけで塩漬けし、少量の味醂を加えた後に乳酸発酵させる。
しかし新しいタイプ、……といっても慶応元年(1865年)初出のようだが、その千枚漬けは砂糖を加えた甘酢に漬けて作る。
発酵は伴わない。
古くからの製法に劣らず、風味豊かで保存も利くという。
ただ、この宇宙で作っている千枚漬けは、やはり「千枚漬けもどき」でしかない。
「こうのす」では千枚漬け用の聖護院かぶなんかは栽培していない。
直径20センチ、重さ5~6キロにもなる大型の品種より、作りやすい品種を植えている。
旨味を加える昆布だが、これも扱い注意である。
昆布を加えた漬物の「ぬめり」だが、これは昆布の水溶性食物繊維の場合と、納豆菌の一種の仕業の場合とがある。
これを一々「どちらか?」と調べるのも大変だ。
ぬめりが出た時、調べて、万が一納豆菌の一種が見つかったら生物汚染の疑いが出て来る。
だから「ぬめりが出ないようにする」事がガイドラインで盛り込まれ、煮て出汁を取るのは良いが、漬物に加えるのは非推奨となった。
「昆布調味料を使う事」
とされ、旨味はともかく、千枚漬けの独特のぬめりは無くなった。
ゆえに「もどき」でしかない。
「他に、浅漬けで普通の甘酢、白出汁、しその実とバリエーションを出せます」
「いやあ、作った者冥利に尽きます。
しばらくカブ三昧ですね!」
嬉しそうな2人。
他の4人は
「ほどほどにね」
と言う。
牧田料理長は、結構同じ食材を続ける癖がある。
味は変えて来るから不満はそれ程はないが、たまに「また今日もこれか」と思ったりする。
カブは漬物に留まらず、色んな料理を作れるから、牧田料理長は腕の見せ所と張り切っている。
牧田料理長は千枚漬け以外にも、保存食である漬物を作っている。
南極にも行った事がある彼の、野菜をなるべく長持ちさせる事と、メイン以外はささっと出せる事で得た知恵である。
レストランやホテルで副料理長をした事もあるベルティエ料理長とか、あらゆるお惣菜何でも来いだった石田船務長よりも、どちらかと言うとメインでは無い部分は「手は抜かないけど、手間は省きたい」という傾向が強かった。
(ベルティエ料理長なんかは、副菜やスープも手間暇かけて作るのが生き甲斐だった)
「小ナスの和辛子漬け、梅干し、キュウリのピクルス、大根キムチ……」
この大根キムチは、本場の乳酸発酵させるカクテキではなく、日本の調味料メーカーが作った調味液に漬け込んだ浅漬けである。
このタイプは許可されていた。
本場の人間は文句を言いたいだろうが、とにかく菌というものがある、衛生面でも怖いものは禁止なのだ。
「高菜の油炒めは、高菜漬けの方が宇宙で作れないので、地球で作ったのを処理してから持って来て、こちらで加工する事になりますね」
「あれはラーメンもセットでないと」
「そして高菜を食べたら、
『高菜、食べてしまったんですか?
何故高菜を食べたんですか?
スープを飲む前に何故高菜を食べたのですか?』
ってやるわけですな」
「……久保田さん、牧田さん、何の話ですかそれ」
「あ、新沼船長はご存知ない。
すみません、分からないネタで盛り上がってしまって」
「いや、私もそれ、よく知らないのだが」
岸田副船長も知らないようだった。
「あとは、いぶりがっこも作りたいんですが……」
いぶりがっこは秋田の「燻り漬け」のとある店の商標である。
燻り漬けは、その漢字の通り大根等の野菜を囲炉裏で燻煙乾燥させてから漬けるものだ。
大根数本を屋内に吊り下げ、楢・桜などの薪を燃やして4~5日程度燻製乾燥し、その後にザラメ・塩・唐辛子・米糠などで3ヶ月程漬け込んで作る。
「時間もかかり過ぎるし、何より密閉空間で煙を充満させる調理法は推奨出来ません」
地上スタッフからの回答である。
なので、ベーコン、スモークサーモン、スモークチーズ等も作る事が出来ない。
「燻製も作れたら、日持ちする料理のバリエーションが増えるんですけどね。
これ、メーカーとかに頼めませんかね」
一応重力下で使う調理器具に、室内用無煙燻製鍋が存在する。
無重力でも使えるかどうか。
(フランスとかは頑張って無重力用に改良するかもしれない)
そう思わなくもないが、別に燻製を宇宙でする必要も無いだろう。
一応、宇宙でも可能な燻製法として、液体に漬けてすぐに乾燥させる液燻法、もしくは速燻法と呼ばれるものがある。
これなら、生ハムを作っている特製室に、同じように干しておけば良い。
生ハムも、塩水に漬けて干すから似たようなものである。
どうしてもと言うなら、本来の燻製よりも風味に落ちるこの方式の改良方法について研究させてみようと思うJAXAスタッフたちであった。




