NASAからJAXAへ苦情を込めて
この物語は、もしも
「科学的な要望より先に政治的な理由で日本が有人宇宙飛行船を運用」
というシチュエーションでのシミュレーション小説です。
2021年頃の各国をモデルにし、組織名もそのままだが、
個人や計画そのものにモデルはあっても、実在のものではない、
あくまでも架空の物語として読んで下さい。
「ミスターアキヤマ、日本の宇宙ステーションは随分と誘惑に満ち溢れているようだ」
NASAからの通話は、少々棘があった。
「えーっと、何かありましたか?」
「うむ、我が精鋭宇宙飛行士たちが、すっかりダメになってしまった。
コーヒーがどうのと、随分と贅沢な事を要求し出した」
ある小話がある。
トレーニングを受けてキビキビとした犬を、日本人の老夫婦に預けたイギリス人が、一時帰国から戻って犬を返して貰ったら驚いた。
すっかり甘えん坊のダメ犬になってしまっていた。
預かっていた時、大事にしなければという気持ちと、犬を可愛がる気持ちとで、寒ければ家に上げて炬燵で温め、甘く柔らかく煮込んだ肉を与え、散歩も楽しいコースで、犬が興味を持てばおやつも買って与えた。
日本は、厳しい訓練を受けたものをスポイルさせる、ある意味最悪の環境とも言えた。
「でも、コーヒーだけですよね」
秋山が聞く。
「他に何かあるのか?」
「風呂とか、ベッドとか、食事とか、ネットの回線速度とか、地上との通話環境とか……」
「えーーーっと、君らは何の為に宇宙に……」
「長期滞在や永住も視野に、可能な限り快適な環境を、というテーマで作りましたが」
「……そうだったね。
私も言ってて、聞くんじゃなかったって思ったよ」
軍人上がりや、激しい訓練を受けた、入学してからが厳しいアメリカの大学博士号を持つ科学者が選抜に勝ち抜いた、そういう禁欲的なエリートは堕落してしまうのかもしれない。
最初から美食家である部分は快楽主義者な日本人・フランス人・イタリア人は、長期滞在してもほとんど堕落しない。
「まあ、次の飛行は観光客の宿泊だから、そういう宇宙ステーションこそ望ましいのかもしれないな」
アメリカが使用する二期目の搭乗員名簿が送られて来た。
ISSと「こうのす」の連絡宇宙船の実験も行うが、次のメインは富豪の宇宙旅行が主となる。
(いよいよ我々の宇宙ステーションも、宇宙ビジネスの中に取り込まれるか)
アメリカとしては、こういう使い方をしたいのだろう。
ISSは少々実験機器で散らかっている。
低軌道で行きやすい、物も運びやすい、そして内部が広々としている。
総体積で見れば大体同じくらいだが、ISSは物が有り過ぎる。
「こうのす」の場合、実験モジュールは機械で満ちているが、コアモジュールと居住モジュールは暮らしやすいように物を極力無くしている。
日本とアメリカで共同開発した新型居住モジュールは、リゾートホテルやスイートルームには及ばないが、高級カプセルホテル級の過ごしやすさはある。
そして新鮮な食材の生産設備と、料理人が使用するに足る厨房を備えている。
観光客を泊めるには、ISSよりも優れているだろう。
逆にアメリカからすれば、「こうのす」で何か実験を行う必要性は全く無い。
それはISSに限らず、過去のスカイラブからスペースシャトル内のスペースラブでもう色々とやっている。
だから先日までの滞在でも、ISSと「こうのす」との連絡機の実験以外、特に何もしなかった。
そんなものだ。
この辺りは分業で良い。
秋山は人員リストを確認する。
まず今回の飛行の主賓ともいえる富豪が1人。
老先生程ではないが、結構年配の紳士である。
宇宙でその富豪をエスコートする、プロの宇宙飛行士が2人。
別に富豪の世話専門ではなく、宇宙ステーションの飛行において通信やレーダーの監視等をする。
万が一、「こうのす」で船外活動の必要が生じた場合、彼等が対応する。
「この人は、経歴を見ると、ニューヨークの料理アカデミー出身?
アメリカも宇宙料理人を育成したのですか?」
秋山の問いに、NASAの担当者は首を横に振る。
「まだまだだよ。
ベルティエ料理長のようなアイディア溢れる料理は作れない」
NASAはベルティエ氏をアドバイザーとして招聘し、そのレシピやノウハウを学んでいる。
だが、NASAが望むのは、火星や月での長期滞在を見越した人員だ。
1年以上の期間、限られた人員で過ごす閉鎖的な環境で、人の和を乱さず、精神的に混乱せずに過ごす事が出来る人材を育成する。
だから、1ヶ月未満の短期滞在(日本からしたら中期滞在)で、そこまでの料理人は不要だ。
「彼は、アイディア溢れる料理は作れないが、
ベルティエ料理長が考案したステーキやスープを作る事は出来る。
あとはレトルトや缶詰の宇宙食を、上手く盛り付ける事が出来る。
ニューヨークでは、まだ前菜を任される程度の料理人だが、それで十分だろう」
そしてJAXAが派遣した日本人飛行士が、今回も1人加わっている。
水耕モジュールと土壌農耕モジュールの管理を行う要員である。
生鮮食品を扱う事もあり、料理人の補佐もするようだ。
そしてもう一人。
「彼も観光客ですか?」
「いや、違う」
「正規の宇宙飛行士でも、ミッションスペシャリストでも無いですよね?」
「うーん、科学者ではないが、ミッションスペシャリストではある」
「どういうことでしょう?」
「彼は観光業界に対してコンサルティングをしている人間なんだ。
宇宙観光ビジネスを考える上で、実体験をしてみたいという事だ。
そして……」
「そして?」
「コーヒーチェーン店のコンサルティングもしている。
是非、宇宙のコーヒーも体験した上で、将来性を探ると張り切っているよ」
……という6人が、次の約1ヶ月「こうのす」で過ごす事となった。




