しばしの明け渡し
この物語は、もしも
「科学的な要望より先に政治的な理由で日本が有人宇宙飛行船を運用」
というシチュエーションでのシミュレーション小説です。
2021年頃の各国をモデルにし、組織名もそのままだが、
個人や計画そのものにモデルはあっても、実在のものではない、
あくまでも架空の物語として読んで下さい。
第三次長期隊のうち、3人が地球に帰還した。
数日は第三次長期隊の後半帰還組3人と、NASAの飛行士6人の9人生活となった。
日本人飛行士同士、土壌と水耕の農業モジュールの作業引継ぎを行っている。
土壌農耕モジュールは、より研究色が濃くなっていた。
短期隊で来た老教授が設置した多数のモニターやセンサーの管理も重要な仕事である。
更に定期的に栄養価の分析、資料の作成と地球送り用のパッケージングもある。
農業としては、複数種類あってそれぞれ時期がズレて来た作物の、種まき、間引き、収穫、採種という作業と、水やりや温度調整のチェックを行う。
水や温度管理はコンピュータで行われているが、野菜は生き物であり、目で見ての微調整が必要だろう。
「農業(agriculture)ではなく、園芸(horticulture)に近いね」
アメリカ人飛行士はそう評した。
アメリカで農業というものは、空から種をばら撒き、農薬や殺虫剤を散布し、機械を使って刈り入れする大規模農業が主だ。
そうでないと安く作れず、儲けにならない。
宇宙ステーションという限られた空間で、儲け度外視で行うのは、農業ではなく園芸なのだろう。
研究中でもあるし、そうならざるを得ない。
そういう意味で農業(agriculture)なのは水耕モジュールの方だ。
決まり切ったルーチンワークで、スケジュール通りに一定量を収穫する。
機械制御も進んでいるし、人間は異常が無いかをチェックし、ランダムで調査用サンプルを作成するくらいだ。
「農場(farm)ではなく、工場(factory)だな」
確かにそんな感じだ。
立ち上げから1年近く経過し、問題も起きていない。
専用常駐飛行士が不要となり、その分が別のミッションスペシャリストに割り当てられる。
多目的観測モジュール、実験モジュールは引継ぎを必要としない。
観測モジュールはアメリカが設計・開発したもので、十分に理解している。
実験モジュール内の各種ラックは、ISSと共通仕様のもので、ISS用の訓練で「こうのす」の機械も使いこなせる。
多目的ドッキングモジュールは、今回は使う用事が無いだろう。
アメリカは言わずと知れた宇宙大国である。
打ち上げ能力が無いから小型衛星だけ作って、宇宙ステーションから放出して貰おうという国とは違う。
7人乗り宇宙船1機で6人の飛行士がやって来た。
今接続されている日本のジェミニ改が帰還すると、軸線上のメインのドッキングポートが1基空く。
補給機であれ、引継ぎの有人機であれ、そこにドッキングすれば良い。
可能性があるのは、ソユーズがやって来る事だ。
ロシア式のドッキングポートは多目的ドッキングモジュールにしか無い。
その場合はそこからドッキング用の誘導を行う事になるだろう。
「可能性有るかな?」
「万が一、ISSが火事になり、かつ地上で受け入れ態勢が整っていない時だろう」
その時は「こうのす」が避難場所となる。
「他には……」
「ああ、美味い飯が食いたい時だな」
「だな」
現在、ISSと「こうのす」で食糧を融通するガイドラインの作成が地上で行われている。
ISSに菌は持ち込めない。
「こうのす」には菌も居る土壌農耕モジュールや厨房モジュールもある。
しかし、水耕モジュールで栽培された野菜を真空パッキングしたものや、厨房モジュールでも十分に加熱された料理やコーヒーは
「問題無い。
ただ、基準を満たしているか確認する方法が欲しい。
そうでないと、ISSに持ち込める物を定めたルールに例外を作ってしまう」
という事で、どういうものなら大丈夫を日米欧露加で協議している。
(その様子については後に語るとしよう)
あとは、専任料理人がいる今は、美味しい料理が食べられる。
「折角訓練したのに、贅沢に慣れてしまったら大変だよ」
美味い料理だが、困った事でもある。
「知っているかい?
ある日本在住のイギリス人が、よく訓練された犬を飼っていたのだが、帰国しなければならない用事が出来て、しばらく日本人に預けたそうなんだ」
「ほお、それで?」
「一週間後、日本に戻って来たら、あれだけ躾けされていた犬が、甘えまくりの、厳しい命令には従わないダメ犬になっていたそうだ。
日本人が暑い時はエアコンの効いた部屋に入れ、柔らかく煮込んだ肉を与え、寝る時も布団を用意し、とにかく可愛がりまくったからだ」
「たった一週間でそれか!」
「だから、俺たちもダメ犬にならないよう気を引き締めないとな」
アントーニオ料理長にしたら、贅沢、美味い物という評価は不満だったかもしれない。
日本人が3人、アメリカ人が5人と勢力逆転した中、出したパスタに対し
「これは生茹でだ。
腹を壊さないよう、もっとしっかり茹でた方が安心だ」
とケチをつけられたのだ。
アメリカ人は、ふやけたような、日本の給食用ソフト麺のようなパスタで無いと納得しない。
「アルデンテを理解しろヤ!!」
アントーニオ料理長は宇宙生活の最後の最後で不満を持つが、それもあと数日の事だ。
「宇宙でスパゲッティが食えるなんて幸せだよ。
あ、宇宙用タバスコ噴霧器をくれ。
ちょっとかけてみる」
「ピザも分厚いの作ってくれて、嬉しい限りだ。
どうもイタリアの薄いのは好みじゃなくてね。
太るの承知で、シカゴ風のが良いんだ」
「生クリーム余ってるなら使うよ。
日持ちしないだろ?
コーヒーにドバっと入れないと」
「あ、そうだシェフ。
スパゲッティ作るならカルボナーラもお願い。
生クリーム余ってるなら使いましょう」
イタリア人のストレスが溜まる日もそろそろ終わる。
※イタリアとアメリカのイタリア料理の違い
・イタリアは歯ごたえのあるアルデンテ好み。
アメリカは柔らかくないと食べない。
・タバスコはイタリアでは使わない。
・シカゴピザはデブ量産食品、ナポリピッツァはもっと薄い。
・生クリームを使うカルボナーラはアメリカ式。
イタリアのソースは卵黄のみ。
コーヒーの生クリームはまあ問題無し。
ただしアメリカ人は甘党。




