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この物語は、もしも
「科学的な要望より先に政治的な理由で日本が有人宇宙飛行船を運用」
というシチュエーションでのシミュレーション小説です。
2021年頃の各国をモデルにし、組織名もそのままだが、
個人や計画そのものにモデルはあっても、実在のものではない、
あくまでも架空の物語として読んで下さい。
先日、短期滞在隊がいる間に欧州輸送機が到着し、物資を補給した。
燃料、酸素は十分に補充された。
ただ、与圧室で呼吸する為の酸素だけでは足りない場合もある。
「酸素」とは名ばかりだが、船外活動用の酸素ボンベには高圧空気を充填しなければならない。
この充填作業は「高圧ガス保安法」というもので制限される。
高圧酸素は確実に設備と資格を必要とする。
高圧空気はグレーゾーンだが、宇宙ステーションでは危険と判断された。
先日、竹内飛行士が余分な宇宙遊泳をさせて貰ったが、それはボンベの中の空気を
「中途半端に残すよりは使い切った方が良い」
という判断からである。
この消耗品となる酸素ボンベが、あとどれくらい残っているか、で補給を頼まねばならない。
宇宙ステーション「こうのす」は、可能な限り宇宙で自給自足を目指す。
食糧は宇宙での地産地消を目標としている。
現在、どうやっても宇宙で生産出来ないのは、大型獣類の肉である。
だがこれは「タンパク質なら同じ」という割り切りで、大豆を使った代用肉にする事を考えている。
一方、小型動物の動物性タンパク質は、魚の養殖と鶏の飼育が予定に入っている。
まだ始まっていないが、これらにはメリットがあって、わざわざ宇宙で育てる事を考えた。
まず魚だが、これは宇宙ステーション内の水や空気の循環において、植物プランクトンの働きや貝類による水のろ過で持続的に行う事を考えた時、生態系を一個作ってしまおうという考えの元で共同生活を考えた。
植物プランクトンで汚水処理と光合成をさせても、それで増え過ぎると臭くなるし、死骸も腐敗する。
それを食べる動物プランクトン、エビやカイアシ類、小魚、そして成長したら人間が食べられる魚という食物連鎖を作り、人間が出した汚物は植物プランクトンの栄養分となる事で循環する。
鶏については、鶏そのものを食べずとも、彼女らは卵という貴重な食糧を産んでくれるのだ。
そして餌は、どうしても出てしまう生ごみ、残飯でなく調理の過程で不要となる野菜の皮とか根の部分とかを充てられる。
鶏という存在が、ゴミを減らしてくれるのだ。
だが、この2種の生物飼育はまだ先の話で、現在は動物性タンパク質は補給に頼らざるを得ない。
バターやチーズ、生クリームについては、牛という巨大生物を飼う空間を作れない以上、この先10年以上先も地球上で生産したものを宇宙で消費という形となろう。
牛乳くらいなら豆乳で代用させられるとしても、油脂系は難しいのだ。
油脂で言うなら、オリーブオイルもまだ宇宙で生産は出来ない。
油搾り機はあるし、オリーブの実も保管されているが、オリーブの栽培実験がまだ始まっていない。
菜種も胡麻は、十分な油を採取出来る量の栽培はしていない。
「二次隊の石田サンが油を使わない料理人だったのデショウ。
油は今でも結構な量が残ってイマス。
私が使わない種類の油もありマスガ、有る物を使って料理してミマス」
厨房モジュール「ビストロ・エール」の拡張倉庫で常に在庫管理をしているアントーニオ料理長はそう言った。
食糧と水の残量は料理長が管理している。
彼等は単に料理を作って出せば良いのではなく、生命活動に直結する物を扱っているので、そこの管理と報告は義務として行って貰っている。
また、料理とは関係無いが役割分担で料理長が担っているのが医薬品や生活物資の管理であった。
船長・副船長が宇宙ステーションの運用に関わる燃料や酸素、電力、温度管理、二酸化炭素フィルターに船外服を管轄している為、生活物資は料理長が管轄する。
前任の石田さんが「私は正式にはどこのレストランにも属していないし、料理長では無いから」と料理長の呼称を拒んだ為、船務長という肩書にしたが、要はそういう事である。
呼称的にベルティエ氏もアントーニオ氏も「料理長」を好むからそう呼ぶだけで、役割的には限りなく生活班長に近い。
ただし、清掃や洗濯等は当番を決めて飛行士持ち回りで担当するが。
医薬品、宇宙では応急処置や薬を飲ませるくらいしか出来ない。
その器材、AEDや医療用酸素ボンベもチェックし、問題無い事を報告。
水はやや不足気味だったが補充されたから問題無し。
ここで意外な物資不足の報告が入る。
「シャツが少なくなっています。
それと『でんえん』で作業する為の使い捨て手袋、消毒液が、まだ有りますが余裕は無くなってます」
「えーっと、理由は?」
「老先生来た時に、結構使いまくりましたので。
今までで一番、土壌室内に居たと思いますよ。
しかも2人で入ってましたし」
「シャツについても短期滞在隊が着た後、廃棄物として持って帰りました。
洗濯はしていません」
「確かに、洗濯洗剤の減りは我々だけの時と変わってイマセン。
風呂の使用も彼等はほとんどしませんデシタ」
「……つまり、服は一回着たら使い捨て、風呂もろくに入らなかったわけね……」
「まあ、宇宙に限らず潜水艦とか極限値の観測基地でも似たようなものだし。
彼等は宇宙に仕事しに来たのであり、生活も任務の一環の我々とは考え方も違うから」
「余裕が無くなっただけで、まだ大丈夫なら補充は要請しませんよ。
完全に足りなくなったら頼みます。
出来るだけ地上に輸送機の派遣はしないようにしますで」
「了解です」
「……コーヒー豆もだからね。
君ら、個々で豆を色々要求するのやめましょう。
正直、贅沢です!
井之頭君もコンデンスミルク使い過ぎ。
今残ってる豆を節約して飲んで下さい。
水の消費が二次隊までと比べて多いのは、コーヒー飲みまくってるからでしょう。
いくら『地上と出来るだけ変わらない生活』を求めた宇宙ステーションでの実験生活とはいえ、ちょっとは節約しましょう。
飲みたければ、アレを飲んで下さい。
余ってますから」
多くの飛行士が不満を持って見詰める。
船長の指し示すものは、インスタントコーヒーのラージボトルであった。
詰め替え用の袋も含め、6人で2ヶ月分くらいは残っていたのだった。




