理論は地上、開発も地上、宇宙は実践のみ
この物語は、もしも
「科学的な要望より先に政治的な理由で日本が有人宇宙飛行船を運用」
というシチュエーションでのシミュレーション小説です。
2021年頃の各国をモデルにし、組織名もそのままだが、
個人や計画そのものにモデルはあっても、実在のものではない、
あくまでも架空の物語として読んで下さい。
第三次長期隊として宇宙に派遣されるイタリア人シェフ・アントーニオ・トラヴァッリョ氏は
「トニオさん、トニオさんと呼ばれ親しまれていマース。
理由はあえていいませんが、知ってマース。
その能力は持ってまセーン。
イタリアでもあのマンガは有名です!」
と、自身の名が好意的に扱われているのをジョークのネタにしている。
そのトニオ氏は打ち上げ直前に、とある機材のレクチャーを受けていた。
「遠心分離調理機の改良型です。
制動部分を改良したので、より急加速と急停止が可能になりました。
あと、皿にあたる部分を大きくしましたが、大きくしたのはそこだけで、基準ラックに収まるサイズです」
遠心分離機を応用した調理器は、重力を疑似的に作れる為重宝するのだが、欠点がいくつか指摘されていた。
試薬を入れ蓋をした試験管やフラスコならともかく、料理の具材はあまり揺らし過ぎても良くない。
そこで初速を遅くし、ゆっくり回転し始め、ゆっくり止めていた。
コーヒー飲むなら、もうちょっと早い方が良い。
まあ、コーヒー飲みは待つのだが、それでも早いに越したことはない。
もう一つの問題は、大きなサイズの鍋やフライパンを入れて回転させられなかった事だ。
宇宙ステーションは研究用施設である。
実験器具はラックと呼ばれる棚に納められ、そのサイズは幅210mm、高さ80mm、奥行き130mmが基本である。
これは外部のサイズであり、機械が入る内部はそれよりは狭くなる。
この容積を如何に有効に使うか。
実験ラックではないが、調理用ラックもこれに合わせていた。
その方が宇宙ステーション及びモジュールの仕様を決め直すより効率的、もう少し嫌らしい言い方をすれば安上がりだからだ。
調理器もこのサイズに合わせた。
フランスはもっと独自性を持たせたサイズを主張するかと思いきや
「我が国の料理人ならこなせる!」
と国際フォーマットに従った。
どうも国際宇宙ステーションISSにおいても、料理分野でイニシアティブを握りたいようで、日本の宇宙ステーションを実験台にし、より高性能化を狙っているようだ。
日本は、このサイズを超えたかった。
何せ、発酵用の「麹室」とか、刺身用のコールドケースとか、醤油用の木樽とか、火入れとか、無重力・密閉空間・菌厳禁・高温厳禁の宇宙では無茶苦茶なものを考えていた。
フランス人の宇宙局員ミュラ氏もオリーブオイル搾り機とかを主張したが、無理に実現しようとはしていない。
代わりに船外増設倉庫に生ハムやチーズ用ケース、ワインカーヴ等を作っていたが。
最終的には無理をせず、ラックサイズの宇宙調理器具を製作した。
だが、日仏ともに調理器具の品質向上に余念がない。
宇宙で半年経つと改良点が見つかってくる。
それを受けて改良版を開発する。
それを今度の打ち上げで持って行き、旧来のものと置き換えるのだ。
「私はその為のレクチャーなのデスネー。
フランスと日本のこだわりの為、イタリーが犠牲になってマース」
等とアントーニオ氏は言っているが、イタリアも他国の文句は言えない。
イタリアは打ち上げ順序的に後になる事が分かった時点で、無重力に対応したパスタマシーン、漉し機、おろし機、スライサーが一体となった新型料理ユニットを開発した。
しかも、職人へのオーダーメイドで電気ユニットだけが規格品という凝り様。
「宇宙にも職人がいて、料理人の注文に合わせて器材を作ってくれれば良いのデスガ……」
等と言っているアントーニオ氏だが、実は彼は調理器具のデザイナーもしている。
彼こそが最初の、宇宙で料理した経験を活かした、宇宙専用調理器具のデザイナーとなるかもしれない。
このように、宇宙で生活する為の用品をデザインする者は、宇宙に行った事はなく、行った事のある者の話を聞いて作成しているのが現実である。
宇宙に料理人が行くようになったのも最近の事で、世には部屋の内装職人や家具職人もいる。
彼等も宇宙に行く日が来るだろうか?
もしかしたらそうなるかもしれない。
フェーズ3から受け入れる短期滞在隊、その収容の為の「宇宙ホテル」のプロトタイプが完成した。
設計し、内装も手掛けた者が最初の滞在試験をしたが、
「やはり本来の仕事である高級さからは程遠い。
もっと良くなる余地がある」
と言う。
「無重力だとそういうの要らなくなるから。
ふかふかなベッドじゃなく、着心地の良い寝袋が求められるから。
豪壮なデスクではなく、収納自在なテーブルが良いから。
そして木目調の平坦なものより、穴が開いてボトルをそこに入れられるものが好まれる」
と説明したところ
「実際に宇宙に連れて行け!
経験しないと感覚的にどうも納得出来ん!」
等と言い出す始末である。
「それでも、客室から個室に進化した。
いずれは居室寝室応接室複合室に発展するだろうね」
「それ、ドッキングするモジュールを輪切りにして、一階層丸々個人で使わないと無理です」
「タワーマンションみたいなものか」
宇宙での住環境がどのように進化していくか、まだ方向性は掴めていない。
やがて宇宙を経験したデザイナーが出て、新しいデザインを作り出すかもしれない。
その一方、住環境の中で日本人と古代ローマ人くらいしか重きを置いていないものも、パワーアップしようとしていた。
「やはり微弱でも重力は必要!
機械から顔だけ出してものぼせる」
「ドライサウナの場合、顔辺りには送風が必要ですよ。
やはり頭に熱が籠ります」
「何としても手足を伸ばしたい!」
「今の機械式は、どうしてもリラックスには程遠い。
もう少し何かが必要だ!」
宇宙飛行士、宇宙を経験したミッションスペシャリスト、ロケット技術者、宇宙ステーションの設計士、ホテルの浴場の設計者、温泉宿の常連等、様々な頭脳や経験を持つ者が集まり、「究極の宇宙風呂」を作るべく、今日も討議を続けるのであった。




