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この物語は、もしも
「科学的な要望より先に政治的な理由で日本が有人宇宙飛行船を運用」
というシチュエーションでのシミュレーション小説です。
2021年頃の各国をモデルにし、組織名もそのままだが、
個人や計画そのものにモデルはあっても、実在のものではない、
あくまでも架空の物語として読んで下さい。
「こんなものですかね」
身長165cm、重量50kgの人形を見てJAXA有人宇宙飛行部門の職員が呟いた。
訓練で使われる人形である。
自動車の衝突試験で使われるものを何個も入手したのだ。
人形の入手数は有人宇宙飛行用としては多かった。
それもそのはず、一緒に有翼機部門の職員も来ている。
有人有翼機、というかリフティングボディの開発も続いているのだ。
人形が運び込まれた後、正規飛行士及び長期滞在チームの訓練に追加がされる。
普通、基礎疾患がある人間は宇宙飛行士には選ばれない。
いつ打ち上げの緊張で心臓が止まるか分からない人間、
いつ無重力環境での血圧で倒れるか分からない人間、
いつ血糖値の変動で昏睡するか分からない人間、
操縦席に座らせるどころか、宇宙ステーションに滞在する少ない枠を潰すわけにはいかない。
一方で、病人を打ち上げて宇宙で治療、さらには手術しようという計画もある。
その為、本来宇宙飛行士に適さない人間でも危険なく打ち上げられるよう宇宙船を改修する。
まあそれはもっと先の計画である。
今回は、病人ではないが、宇宙飛行士として最適でもない人を想定している。
「気を失っている人を抱えながら、パラシュート降下訓練を行います」
「介護降下は正規の飛行士が行うので、ミッションスペシャリストは邪魔にならないように早期脱出」
「医学講習を行います。
薬については地上スタッフが専門家の助言を得て、指示を出します。
宇宙ステーション内でしか対応出来ない事を覚えて貰います」
「糖分補給、ブドウ糖液は医薬品ではないので、低血糖症状が見えたら飲ませて下さい」
「過呼吸に対し、現在はペーパーパック法は推奨されていません。
ですので、ビニール袋を被せるとか、あえてしないと思いますが、
ヘルメットをかぶったままだと同じ事が起こると想定されますので、
急いで外すようにして下さい」
農業や工業で選ばれたミッションスペシャリストが医療訓練を多めに施される。
一方、短期滞在メンバーも訓練メニューが増やされる。
「一人、くじ引きで負傷者役になって下さい。
動けない状態のメンバーを救出する訓練を行います」
「同じく、負傷者を脱出させる訓練を行います」
「現在いる宇宙ステーション訓練機から帰還用宇宙船まで速やかに移動します。
2人1組で、1人は動けない想定でいきます。
相方を担いで帰還船に乗り込んで下さい」
「同じく、意識が無い想定で、帰還船の椅子に固定して下さい」
更に実際の宇宙ステーションでの避難訓練を受けて、メニューが追加される。
「AEDの装着、電極を間違えないで下さい」
「医療用酸素ボンベ、酸素だから注意して下さいね!」
「携帯用心電計、しっかり計測して下さい」
外国人飛行士は、今までの訓練(頭脳系と肉体系)は苦としなかったが、慣れない医療系には苦戦する。
もっとも、骨折相当の治療や、担架げの拘束などのパワー系医療は問題無くこなす為、医療用機械には慣れていないだけだろう。
「ミスター。
この訓練には何の意味があるのですか?
病人が宇宙に行くのですか?」
これは外国人飛行士だけでなく、同じ訓練を受けている日本人候補生にも共通する疑問だった。
「まだ本決まりではないが、70歳超の学者が搭乗する可能性がある。
いや、可能性が高い。
短期チームの中でも最初のチームになるだろう。
悪いが、農学上の重要人物(VIP)だからしっかり面倒を見ていただきたい」
悪いが、と秋山が説明したのには訳がある。
基本的に宇宙飛行士は「まず自分の命を大事にしろ」というシビアな空間の住民なのだ。
エンジン故障で打ち上げに失敗、一刻を争う脱出の際に、他人を助けて共倒れになるよりも、自分が脱出するのだ。
無論、可能なら同僚を助けるべきだが、基本的に自分の事は自分で出来る者が宇宙飛行士になるのであり、それが出来なくなった時は見捨てられても文句は言えない。
自分の命は自分でどうにかするのだ。
だからこそ、古い日本風の「最早これまで」という覚悟を決めないよう、十中十の死の可能性でも、爪先程の突破口を見つけ、助かろうとするよう思考法も改めさせられる。
このような特殊事情とはいえ、事情が理解出来た以上は訓練を受け入れる。
「農場モジュール、そんなに切羽詰まってるの?」
長期滞在の農場モジュール担当の候補生は頭を抱えていたが。
その介助対象と見られている老教授(退官)だが
「言っておくが、私は基礎疾患無いぞ」
と意気軒高ではあった。
「宇宙に行く以上、他人に迷惑をかけない。
自分の命は自分が責任を負う。
負担となった場合、切り捨てられても文句は言えない。
分かっておる、分かっておるよ。
だから、私なんかに気を使わず、普通にやって欲しいなあ」
本人は訓練を受けながら、スタッフにそのように言う。
「いえ、先生……そういう訳にもいかないわけでして……」
後方スタッフとしては、万が一の事を常に、常に、常に想定している。
こうして訓練しながらも、訓練中にぶっ倒れないか、医療の専門家を待機させて警戒している。
(将来の事を考え、大先生でも宇宙に行けるかどうかを試しているのだが、
ぶっちゃけ落選にしてくれた方が気が楽だ……)
気にせぬは本人ばかりであった……。




