宇宙の大豆
この物語は、もしも
「科学的な要望より先に政治的な理由で日本が有人宇宙飛行船を運用」
というシチュエーションでのシミュレーション小説です。
2021年頃の各国をモデルにし、組織名もそのままだが、
個人や計画そのものにモデルはあっても、実在のものではない、
あくまでも架空の物語として読んで下さい。
人間が生きていく上で、食事をしないとならない。
バランス良く栄養を摂取する事になる。
「こうのす」に接続されている農業モジュールでは、なるべくバランス良く栄養が得られるよう作物を栽培している。
炭水化物はジャガイモの栽培で得る。
ビタミンは水耕モジュールで栽培される葉野菜で摂取する。
ミネラル類も同様だ。
残る、タンパク質と脂質は日本人の大好きな作物を栽培して得ることにしている。
大豆である。
日を当てずに育てたものは、豆もやしとなる。
若い実を食べれば枝豆となる。
擂り潰せば豆乳が作れる。
豆乳を作る際の廃棄物で「おから」が出来る。
豆乳を加工すれば、湯葉、豆腐、厚揚げが作れる。
茹でた豆を稲わらに詰めれば納豆が作れる。
ただし、納豆作成は宇宙ステーションでまだ、許可が出ていない。
納豆菌は強いから、他の実験を妨げる可能性があるのだ。
豆を発酵させれば醤が出来る。
そこから工程を変えて、醤油と味噌が作れる。
さらに最近では大豆ミートという代用肉も知られるようになった。
このように大豆は有用な作物である。
「こうのす」でも栽培実験を行っていた。
フェーズ1でも栽培し、輪作で使用する以外の葉野菜を水耕モジュールに移したフェーズ2ではより多くを生産していた。
研究の上からも、実際の食事の必要からも、大豆は豆まきから収穫まで短い極早生種を使用する。
土壌や研究用のサンプルは特に問題無い。
第二世代、第三世代用の種になるものも良い。
問題は食用加工に回したものである。
大豆はそのまま使う事は稀である。
成熟した実は乾燥させる事になる。
そして乾燥には機械も利用するが、それなりの時間がかかる。
そして乾燥完了した豆を使い、ついに味噌と醤油を作成する工程に入った。
これには麹菌を使う。
土壌菌とは別な菌で、きちんと生物汚染対策をしなければならない。
「モジュールのサイズにも限りがあるから、発酵に回せるのは少量しかない」
もっとも、少ないのは宇宙ステーションで収穫された中から回されたもので、その他に地上からの補給物資にも乾燥大豆はあった。
それらも使って味噌、醤油、豆腐の生産を行う。
「という工程は納得出来るのですが、これは何ですか?」
そこには
「軌道上節分追儺行事」
と書いてある。
「豆まきだよ」
山口船長はさも当たり前かのように言う。
「それは見れば分かるのですが、何故豆まきするんですか?」
「2月だからさ」
「ここは衛星軌道ですよ」
「2月なのに変わりないよね」
「わざわざ宇宙まで来て、豆まきですか?」
「そこに鬼が居る限り、我々は何度でも豆を投げつけるだろう」
「船長、今は21世紀なんですが……」
「豆まきの由来を知っているかね?」
「知ってますよ。
季節の変わり目、無病息災を祈り、魔を滅するから『ま・め』なんですよね」
「正解! 拍手」
「拍手は良いので。
それで一体なぜ宇宙で豆まきですか?」
「不満なの?」
「不満ですねえ。
任務と関係無い行事じゃないですか。
正月みたいに食べるとかならともかく、ただ豆をまき散らかす。
乾燥大豆、こんな事に使える程、多く収穫されてはいませんよ」
「そういう意味では君は正しい。
地上からも『豆まきに使った大豆は、一粒たりとも無駄にせず、回収して食事に使用するように』
というお達しが来ていましてねえ」
「だったらしない方が良いのでは」
「いや、やれ!というお達しだよ」
船長は黙って鬼の面を差し出した。
某六つ子ニートでも有名な漫画家のプロダクションデザインの鬼のお面がそこにあった。
「地上からの補給物資の中に最初からあったんですよ。
七草粥やクリスマスの時同様に!」
「地上は、あくまでも年中行事をさせる気なんですね……」
「金曜カレーにもこだわってるからねえ」
海軍等で洋上に出ると曜日感覚が無くなる。
日常を維持させる為に、金曜日の夕食には必ずカレーライスを出すという風習。
それを宇宙ステーションにも適用している。
年中行事もそれに準じている。
日本人の宇宙生活というものを考え、リズムを崩さないように、という意図だ。
「その他にも理由があるそうで」
要は地球上で病気が蔓延しているから、宇宙からの豆まきで厄落とししたいそうだ。
「それ、非科学的ですよ」
「分かっているけど、上の発案だそうだ」
「上?
秋山ディレクターですか?」
「秋山さんも言われただけって言ってました」
「その上? JAXAの理事長とか?」
「もっと上。
上なのかな……とりあえず、予算出しているところ」
納得せざるを得ない。
技術系だと
「一応計画には入れたけど、やりたくなかったらやらんでいいよ。
別に大した意味は無いから」
程度にあっさりしている。
自分の発案を無視されるのが許せないのは、まあ「先生」と呼ばれる方々なのだ。
「厄落としに宇宙から地球に向けて豆をまけ、だそうだ。
中継もしろ、って事です」
「厄落としの代わりにコロニー落としでもしましょうか」
「コロニーはともかく、最初は豆を本当に地球に落とす計画があったんですよ」
落ちて来る豆が流星となり、それがショーとなる。
筈だったが、上手く流星を作れるか疑問を呈され、かつ「わざわざ宇宙塵を増やす事もあるまい」と、流石に宇宙遊泳しながら地球に豆を落とす「豆落とし作戦」は中止となった。
それでも「軌道上節分追儺行事」は実行される。
こうして2月がスタートした。




