与圧室は更に拡大
この物語は、もしも
「科学的な要望より先に政治的な理由で日本が有人宇宙飛行船を運用」
というシチュエーションでのシミュレーション小説です。
2020年頃の各国をモデルにし、組織名もそのままだが、
個人や計画そのものにモデルはあっても、実在のものではない、
あくまでも架空の物語として読んで下さい。
川名さくら飛行士の任務場所は水耕モジュールである。
このモジュールがそろそろ到着する。
このモジュール「かるがも」は軌道上の水耕農場と言える。
前後2列にプラントが分かれている。
奥には左右に三段の棚、中央に四段の棚が立てられ、多数の葉野菜を生産出来る。
手前側は左右に二段、4個の水槽が置かれている。
アオサやジュンサイを栽培するのだが、上部の水槽には宇宙ステーションからの排気ダクトが通され、二酸化炭素の浄化試験を行う。
前後の列の間に、扉付きのラックがあり、多種類の野菜を少数栽培出来る。
実験設備はこのラックと二酸化炭素浄化水槽くらいなもので、他はただただ野菜を量産する為のものだ。
彼女は量産の方も得意とするので、宇宙ステーションはますます生鮮食料を食べられるようになる。
モジュールは個々の水耕プラントの温度を一定にする、LEDで常に人工光を照射し続けられる、ラックにファンがついていて空気を循環させ続ける、と電力を案外消費する。
そして24時間昼の不夜城である。
他のモジュールにはある、研究員の為の仮眠ベッドは無い。
人の為の空間は狭い。
種植えと収穫(ハサミで切る)の時に人が入る通路があるだけだ。
もう一つの実験棟、化学モジュールの「おうる」も打ち上げられた。
こちらは担当者が居ない為、セットアップ業務は山崎飛行士が代行する。
物理モジュールが物性系なら、化学モジュールは理論創薬等の無重力を活かした物質合成系である。
炉や磁力装置等、そちらのミッションスペシャリストが居ないので、まだ電源は入れない。
居住区として使用出来るよう、空調、通信系、制御コンピュータのシステムを起動させるだけとなる。
両モジュールはそれぞれアメリカとギアナ高地(フランス領)から打ち上げられ、一週間かけて軌道調整しながら「こうのす」とランデブー飛行に入った。
同じ高度を距離5メートルで平行飛行する。
これをコア2側のロボットアームで把持し、ドッキングさせる。
「かるがも」は北川船長が操作、井之頭副船長がサポート。
「おうる」は井之頭副船長が操作、北川船長がサポートという役回りなった。
両機とも無事にドッキング、翌日にはハッチが開かれた。
担当のミッションスペシャリストが入り、必要機材のセットアップを行う。
必要最低限だけで良い山崎飛行士がさっさと終わって出て来る。
セットアップ後、もう生産の準備に入る川名飛行士。
「手伝いますか?」
コア1側農業モジュール担当の鈴木飛行士が、川名飛行士に尋ねる。
「いや、こっちの作業終わったんで、僕が手伝いますよ」
作業の終わった山崎飛行士も言う。
女性が来たからか、宇宙ステーション内が少し明るくなった。
会話が増えている。
今まで不仲ではなかったが、男性4人だときっかけが無いと、普段は静かなものだ。
食事時に馬鹿話をしたりはするが、昼とかは持ち場のモジュールと個室に分散し、他人の領域に行く事はまずしない。
女性が組織に1人入るだけで、こういう雰囲気は変わるのだ。
川名飛行士は既に社会人で、この2人の男性ミッションスペシャリストよりは年上だ。
「いや、自分でするから大丈夫です。
ありがとう」
と軽くあしらっていた。
第二次長期隊はもう一人女性飛行士がいる。
かなりの年長者だが、彼女も加われば更に雰囲気は良くなるだろう。
宇宙船は更にもう1機やって来た。
ロシアから打ち上げられたプログレス輸送機だ。
フランスがチャーターし、厨房モジュールで使う食糧、調味料、飲料水、洗剤が送られて来た。
厨房モジュールの専用ドッキングポートに接続、ベルティエ料理長が荷物を運び入れる。
野菜は宇宙ステーションである程度生産出来ている為、肉や魚介類や卵が主体である。
7人に増えた乗員の食事を賄えるし、久々に保存肉でない肉を食べられる。
全与圧室の設定が終わった日、ベルティエ料理長は御馳走を用意した。
肉を食い、酒も許可された為か、皆の口が軽くなる。
フランス人であるベルティエ料理長は、覚えた日本語で歯の浮くような事を言い、川名飛行士を口説く口説く。
もっともフランス男の彼には、付き合う付き合わない問わず、女性は褒めるものなので、周囲の目は全く気にしない。
このパーティを境に、宇宙ステーションでは役割の切り替えが始まる。
一次隊の内、第一便で地球に帰還する鈴木、山崎両ミッションスペシャリストは荷物の纏め、引き継いだ後のデータや研究結果を自分のPCで整理、論文化。
一方、川名、松本両ミッションスペシャリストがコア1、コア2限らず研究モジュールに出入りし、作物の収穫、パック化、採種と再種まき等本格始動する。
北川船長は第二便で地球に戻るが、宇宙ステーション業務の主を井之頭副船長に委ね、当直以外は補佐主体になる。
自分の荷物もまとめ、ゴミはプログレス輸送機に詰め込む。
この機体が離脱し、大気圏再突入と共にゴミを燃やす。
変わらないのは後任がまだ来ていないベルティエ料理長だけだ。
宇宙ステーションは一次隊から二次隊の持ち場に変わっていった。