朝ご飯を食べよう
この物語は、もしも
「科学的な要望より先に政治的な理由で日本が有人宇宙飛行船を運用」
というシチュエーションでのシミュレーション小説です。
2020年頃の各国をモデルにし、組織名もそのままだが、
個人や計画そのものにモデルはあっても、実在のものではない、
あくまでも架空の物語として読んで下さい。
朝食はクロワッサンにカフェオレ……それはホテルかカフェでの話である。
2ヶ月も生活する場合、より日常食に近くなる。
……大体、クロワッサンは作るのが面倒だし、バター練り込む生地を使うし、薄皮が飛び散りやすく宇宙ステーション内の食事に合ったパンではない。
ベルティエ料理長はフランス人だし、フランス料理に誇りを持った男だが、客の希望に沿った料理を作らずに自分の味を押し付けるような狭量な料理人ではない。
お粥とかお握りとか和食の朝食も作る事が出来る。
ホテルの料理人の経験もある。
パリは国際的観光都市で、宿泊客には日本人も中国人もアメリカ人もインド人もいた。
白米も中華粥も油条(中華揚げパン)もナンも作る事が出来る。
日本人ではないから、たまには炊き込みご飯、秋だし栗ご飯、時にはさっぱりとお茶漬け、みたいな米を使い分けるセンスは無い。
宇宙ステーションはホテルとは違うから、全種類作って並べる訳にもいかない。
故に前日「何食べたい気分~?」と聞いておく。
パンを食べたいのか、ご飯が食べたいのか、スープだけで良いのか。
聞いておけば、あらかじめ支度が楽なのもある。
日本人飛行士3人は、たまにはご飯をリクエストするが、9割方パン食を望む。
別に気を使っている訳ではない。
焼きたてのパンが美味しいからだ。
フランスに旅行した日本人は、割と多くの人が「パンが美味しかった」と言う。
日本のパンも柔らかくて美味しいのだが、フランスのパンも種類豊富で、美味しい。
そんな訳で、日本人飛行士も美味しい焼きたてのパン、宇宙ステーション内で作って日が経っていないパンを楽しみにしている。
ただフランス人と日本人で大きな違いがあった。
日本人は梅干し、塩鮭、海苔の佃煮、タクアン漬け等塩味好みである。
フランス人は朝から甘いものが好きである。
ホテルの朝食バイキングでも朝からケーキを大量に皿に取って食べる。
フランス人でなくアメリカ人もパンケーキにハチミツ、最近は生クリームを乗せて食べている。
料理人のベルティエ料理長自身は朝起きて、オレンジジュースを飲み、ベーグルにジャムを塗って一足先に食事を終え、塩味好みの日本人の料理を作り始めるのだ。
彼が料理を始める。
寝かせていた生地から焼き始め、小麦の匂いがほんのりと漂い始める。
今日はポタージュのスープを湯煎する。
前日作ってパックに詰めているが、朝の日本人の塩分好みに合わせ、濃いめの味付けにする。
なお、パリの料理人とマルセイユとか隣国ベルギーの料理人との違いは、内陸のパリの料理人は塩味も濃い味付けもギリギリまで攻め、海産物とか産地に近い地の料理人はその味を重視するそうだ。
異論は多数有りそうだが。
ベルティエ料理長はパリとリヨンでそれぞれ働き、臨機応変に対応出来る。
その上で彼自身の味付けは素材重視型。
それが宇宙飛行士選抜の理由でもあった。
食べやすくスライスしたパン・ド・ミ(食パンに近いが、フランス人に向かって決してイギリス式ブレッドと言ってはならない)とバタール(やや柔らかいバゲット)に保管しやすいパックバター(バターは開けると賞味期限が一気に短くなるので、少量ずつパックにして使い切るのが良い)を添える。
リクエストでサンドイッチ(英語でOK)希望の北川船長には、適度な長さのバタールを横にナイフを入れ、チーズを塗ってレタスとハムを挟む。
レタスは宇宙ステーション内で収穫されたものだ。
ハムもわざわざ持ち込んだ生ハムの固まりから、必要分薄くスライスする。
生ハムは保存が効くし、宇宙ステーション内は無菌に近い為、厨房モジュール内に吊して風を当てている。
久々の痛飲後の朝も、夜勤当直明けも、起きて
「ボンジュール、おはようございます」
と挨拶し、朝食を受け取りに来た。
今朝はコーヒーがよく望まれる。
北川船長と山崎飛行士は、熱々の濃く淹れたブラック。
これから眠る鈴木飛行士は、本当はカフェイン摂取しない方が良いが、宇宙に来て本格的なコーヒーに目覚めたらしく、眠りたくても挽きたてコーヒーを望む。
(ここの設備、バリスタでも呼んで、本格宇宙カフェでもやる気かってくらい充実してるんだよなぁ。
コーヒーミルにサイフォン式に蒸気式と、実に色々積まれている。
しかもコーヒー淹れる為だけに人工重量(遠心力)発生装置まで在るし)
理由は日本だけでなく、アメリカのコーヒージャンキーまで本気になって企画を出し、装備開発をし、時に宇宙持ち込み機器の規格に例外を設けてまで
「将来、月や火星で目覚めの一杯を飲む為には必要な事なのだ!」
と頑張った結果である。
コーヒー豆も多種類持ち込まれている。
故に、そのままでは苦くて飲めないロブスタ種の豆も有った。
鈴木飛行士はそれをミルで挽き、フィルターに入れてコーヒーを淹れ始めた。
夜勤明けで欠伸をしているが、別にアラビカ種とロブスタ種を間違えた訳ではない。
鈴木飛行士は、出来たコーヒーを予めコンデンスミルクを入れたパックに入れた。
そして揉んだり振り回したりしてかき混ぜる。
ベトナムコーヒーが出来上がる。
「よーし、血糖値上げて、寝るぞ〜!」
甘ったるくしたコーヒーを飲みながら、そう宣言していた。
どうも
血糖値 > カフェイン
と計算したようだ。
毎回なら危険だが、頻度は高くないし、今日は良しとしよう。