010_新しい小石
私は古書店に戻った。
いつもの場所、いつもの仕事。しかし、何かが決定的に変わっていた。
雲の階段で見た無数の可能性。作家として生きる私、冒険家として生きる私、教師として生きる私。どれも魅力的だった。しかし、最終的に私は「今の私」を選んだ。
この小さな店で、本と人を繋ぐ仕事。埃っぽい古書の間で、時折舞い込む不思議な謎を解く日々。それが、今の私には一番輝いて見えた。
店の入り口の棚の上に、小さな石を置いた。
雲の階段から持ち帰った、二十一段目の石。まだ誰も置いたことのない、新しい可能性の石だ。時々、客がそれを手に取り、不思議そうに眺める。何人かは、妙に懐かしそうな顔をした。
ある雨の日、一人の少年が店に入ってきた。
高校の制服を着て、肩には画材の入った鞄を下げている。
「あの……ここで、古い絵を買い取ってもらえますか」
少年が見せたのは、自分で描いた油絵だった。雲と階段を描いた、不思議な構図の作品。
「これは……」
「変な絵ですよね。でも、どうしても描きたくて」
私は入り口の石を見た。かすかに、光っているような気がした。
「素晴らしい絵です」私は言った。
「でも、売らない方がいい。これは、あなたの可能性の一つですから」
少年は驚いた顔をしたが、やがて納得したように頷いた。
「そうですね。もう少し、大切にしてみます」
少年が店を出て行った後、私は窓の外を見た。
山の向こうに、階段のような雲が浮かんでいた。夕陽に照らされて、それは黄金色に輝いている。
誰もが無限の可能性を持っている。ただ、それに気づくきっかけが必要なだけだ。私の店が、そんなきっかけの一つになれればいい。
棚の上の小石が、また少し温かくなったような気がした。
雨はいつの間にか止んでいた。雲の切れ間から差し込む光が、店内の本の背表紙を、虹色に染めていた。




