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エピローグ(ユキ)

「——お前、また厄介ごとを背負い込んだな。」


書類の束を机に置きながら、桐生が苦笑する。


「まあな。」

涼介は短く答え、書類にざっと目を通した。


芸能界での収入、ホストとして稼いだ金。

茉利に対抗するために使った金を差し引いても、普通の人間が一生かかっても手にできない額だった。


「本当にいいのか?」


桐生が手にしているのは、新たに設立された支援団体の資料だった。

正式な名前は伏せられているが、目的は明確だった。


「——精神的なケアを必要とする人間を支援すること。」


表向きは、メンタルケアと生活再建を目的とした非営利団体。

しかし、実際は涼介の影響で病んだ人々への補償と再起のための機関だった。


かつて涼介と関わり、精神を病んだ人間達の中には、今もなお後遺症を抱えて生きている者がいた。


仕事を失い、社会から孤立し、ある者は借金を背負い、ある者は入退院を繰り返していた。


彼は、そうした人々の現状を知り、静かに動き始めた。


カウンセリングの専門家を雇い、医療機関と提携し、必要に応じて経済的な支援も行う。

それが、一度壊れてしまった人々の“生きる術”となるのなら。


桐生は書類をめくりながら、ふと別の資料に目を止めた。


そこには、もう一つの支援活動についての記載があった。


「……難病の子供たちへの支援?」


団体名の横には、潤沢な寄付金の記録が残されている。

由紀のように、病と向き合う子供たちの治療や生活支援のための慈善団体。

高額な医療費、家族の負担、限られた支援体制——それらを少しでも軽減するための資金だった。


桐生は無言で書類を閉じ、しばらく黙考する。


「……罪滅ぼしのつもりか?」

桐生の問いに、涼介はただ静かに笑った。


「俺のせいで狂った人間がいるのなら、俺がやれることはこれくらいしかない。」

「お前、そんなに人間が好きだったか?」

「別に好きじゃないさ。」

涼介は軽く肩をすくめ、窓の外を見た。


「でも……俺も変わらなきゃいけないからな。」


窓の外には、新しい季節の風が吹いていた。


誰かに認められたくてこれをするわけでもない。

ただ、あまりに多くのものを壊しすぎた。


せめて、ほんの少しでも償うことができるのなら。


それでいい——そう思った。


こうして、涼介は誰にも知られぬ場所で、過去の清算を始めた。

彼の名前が公に語られることはない。


それでも、彼が遺したものは、確かに人々を支え続けていく——。





結婚式の余韻が、まだ胸の奥で揺れていた。


白い花々に囲まれた祭壇。

誓いの言葉を交わす健斗と麻衣。


二人は、お互いに確かな想いを抱き、まっすぐに相手を見つめていた。

そこには打算も、迷いもなかった。

ただ「一緒にいたい」という純粋な気持ちがあった。


「……健斗、麻衣、幸せそうだな」


式が終わった後、控えめな祝辞を述べた涼介に、健斗は照れくさそうに笑った。

「まあな。涼介も、いつか分かる時が来るよ」

「……俺には無理だよ」


「でも、意外と愛が身近に来てるのかもしれないぜ。」

健斗は冗談めかして言ったが、涼介はその言葉に、妙な引っかかりを覚えた。


今まで、“愛”というものを自分の人生には関係のないものだと思っていた。


自分はただ、人を惑わせ、狂わせるだけの存在だと。


でも—— それは本当にそうなのか?


裕奈と話した時のことを思い出す。

「私には大切な人がいるから」

彼女は微笑みながら、揺るぎない声でそう言った。


そして、桐生のことも。

彼もまた、病弱な妻を愛し続け、涼介の力を寄せ付けなかった。


“すでに心が満たされ、確固たる愛を持つ人間には、俺の力は効かない——”


桐生はこれを欠けた心を写す鏡の様なものだと言った。

こうも言った。

ーー俺自身も欠けているから共鳴しあって増幅されるのだと。


もしそれが本当なら。

俺も、誰かを愛したら……この力を超えられるのか?





茉利が精神科の病院に収容されてからしばらくして、涼介のもとに届いた手紙。


封を切ると、茉利らしい、整然とした筆跡が目に入った。


「あなたを愛していたと信じたかった。でも、私はただ支配したいだけだった。本当の愛が何なのかを忘れていた。もう、あなたを追うことはない。」


茉利にしては、あまりにも簡潔な手紙だった。

けれど、その短い文章の中には、確かに“変化”があった。


彼女はもう、涼介を所有しようとしない。

彼の人生を縛ろうとしない。

執着を手放すことができた。


——それだけで、十分だった。


涼介はしばらく手紙を見つめたあと、それを静かに封筒へ戻した。


彼女はもう、自分の人生を歩き始めている。

それなら、自分も——。



彼女が再び財閥の中枢へと戻るまで、長い年月がかかった。


そこに至る道のりは、決して平坦なものではなかった。


かつての彼女は、誰よりも冷徹に、計算高く、そして支配、勝利に執着していた。

だが、その果てに待っていたのは、敗北。


全てを失い、財閥から追放され、名家の庇護も莫大な資産も失った彼女は、精神科の病院へと送られた。


何もかも終わったはずだった。

しかし——彼女は屈しなかった。


「敗北したからといって、人生が終わるわけじゃない。」


かつての自分なら、そんな考えは信じなかっただろう。

だが、病院の白い天井を見つめながら、彼女は思い至った。


——勝つことだけが全てじゃない。

——負けたなら、また始めればいい。


退院した彼女は、過去の過ちを糧にするように、冷静さと決断力を研ぎ澄ませていった。

今度は一歩ずつ慎重に、確実に。


財閥に戻れず、自分で会社を興した当初、彼女を待っていたのは嘲笑だった。

かつてのスキャンダルを囁く声、復帰を快く思わない一族、再び権力を握らせまいとする妨害工作——


だが、そんなものは関係なかった。


自分が設立したファンドの経営に携わり、数字を操り、交渉を重ね、徐々にその手腕を発揮していく。

最初は信用されずとも、結果を出せば人は態度を変える。

彼女は、実力で認めさせた。


強気な経営戦略。鋭い洞察力。計算し尽くされた交渉術。


気がつけば、かつてのスキャンダルは過去のものとなり、「仁村茉利」という名前は、財界においてその実力で語られるようになっていた。


そして、その日が訪れる。


会見場。

彼女が正式に財閥の幹部として復帰することを発表する場で、記者の一人が問うた。


「あなたは過去の出来事をどう捉えていますか?」


静寂の中、茉利は微笑んだ。

「過去は消せないわ。」

その表情には、かつての傲慢さも、執着もなかった。


「だから、私は過去を否定しない。」

「……ですが、それでも財界に復帰することに迷いは?」

「ないわ。」


彼女はきっぱりと言い切った。


「私は仁村茉利よ。ただそれだけ。」

その瞳は、まっすぐに前を向いていた。

もう、誰かを追うことも、誰かに縛られることもない。


すべてを失い、それでもなお立ち上がった自分を、今は誇りに思う。


記者会見が終わり、車へと乗り込んだ瞬間、ふと、子供の頃の遠い記憶がよみがえった。


『最後まで諦めなければ、人生は何度でもやり直せるんだ』


誰の言葉だったかはもう思い出せない。

けれど、その言葉に支えられたことは確かだった。


茉利は窓の外を見つめ、そっと目を閉じる。


——あの頃の私は、愛を忘れていた。

——けれど、今なら、少しは思い出せる気がする。


過去に縛られることなく、ただ前を向いて。


その眼には、執着の跡は欠片もなかった。





結婚式場を出た後、涼介はふと、ひと気の少ないガーデンテラスに足を運んだ。

涼しい風が、スーツの裾をなびかせる。


そこで、一人の女性と目が合った。


華やかすぎない、でも凛とした佇まいの女性。


彼女もまた、誰かの招待客だろうか。

遠巻きに見ていたはずなのに、なぜか涼介の方に歩いてくる。


「あなた……篠宮涼介さんよね?」


澄んだ声が、雑踏の中で響いた。


涼介が振り向くと、そこには一人の女性が立っていた。

落ち着いた雰囲気を纏い、特別な感情を含まぬまっすぐな眼差しで、彼を見つめている。


「……ああ、そうだけど……」


「私、昔からあなたの演技が好きだったの」

涼介は、一瞬だけ言葉を失った。


“好き”という言葉は、これまで何度も向けられてきた。

けれど、それはいつも彼の“魅了の力”の影響によるものだった。


しかし——この女性の目は違った。

彼女の瞳には、ただ純粋に、彼の演技を見てきた者のまなざしがあった。


涼介が「篠宮涼介」であることを知りながらも、その名声や力ではなく、ただ彼自身を見ている目だった。


「……ありがとう」

涼介は戸惑いながらも、ぎこちなく礼を言った。


すると彼女は微笑み、言った。

「また、会えるといいわね」


その一言に、涼介の胸がわずかに波打った。


(……これは、なんだ……?)


今まで感じたことのない、不思議な感覚だった。


人に求められることは、慣れすぎるほど慣れている。

けれど、“自分が求める”という感情は——初めてだった。


ー初めて“誰かを知りたい”と思った。

ー初めて“誰かを求めたい”と思った。


「……名前、聞いてもいい?」

涼介が尋ねると、彼女は少し考えた後、柔らかく微笑んだ。


「ユキ」


その瞬間、涼介の時間が止まった。


『生きてくださいね、涼介さん』


死の間際に、自分を見つめながら言ってくれた声。由紀。

命が尽きる瞬間、自分に願いを託してくれた、たった一人の人。


涼介は彼女の顔をじっと見つめる。

まるで、運命が巡ってきたかのように——。


心臓が、静かに、けれど確かに鼓動を打った。


ーー俺は、きっと、この人を好きになる。


そんな予感とともに、一筋の風が吹き抜けた。

これで物語は終わりです。

元々この話は前作「二人で輝くとき」の「かつて執着を抱いていた」裕奈と、「異性を執着させる力を持つ」男が対峙したらどうなるのか、という所から着想を経て書き始めました。

楽しんで頂けたら嬉しいです。

過去に茉利が誰の言葉に影響を受けたのか、はいずれ別の作品で書きたいと思っています。

次回作もちょこちょこ執筆中ですので、今後とも宜しくお願いします。

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