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ホスト編1(ホストへ)

涼介が工場を辞めた日の夜、健斗に誘われてバーに行った。


そのバーは洒落た内装で、落ち着いた空気が漂っていた。

健斗がドリンクを頼む間、涼介はカウンターに腰掛け、ただ無言で周囲を眺めていた。


そんなときだった。背後から派手な笑い声が響き、涼介は無意識に振り返る。


「おっ、あの兄さん、いい顔してるじゃん。」


声の主は、金髪に鋭い目つきの男――蓮だった。


蓮は何人かの男たちを引き連れており、涼介を見つけるなりまっすぐ近づいてきた。


「あ、篠宮涼介じゃん。」


蓮は勝手にカウンターに座り、涼介の顔を覗き込むようにする。

健斗が「やめてくれ」と言わんばかりに蓮を睨むが、蓮は気にも留めなかった。


「人違いだ。」

涼介がそう言って断ろうとするが、蓮は全く引き下がらない。

「人違い?いやいや、お前みたいな顔、ただの一般人が持つ顔じゃねえよ。なあ、どうだ?うちの店で働かないか?」


「興味ない。」

涼介は短くそう答えて立ち上がろうとしたが、蓮の次の言葉が彼をその場に縛り付けた。


「お前、逃げてんな。目を見りゃ分かるよ。逃げ続けても何も変わんねえよ。お前みたいなやつが燻っちゃ駄目だろ。どっかでまた光るべきだろ?」


その言葉に涼介の足が止まる。

健斗はすぐに蓮に噛み付いた。

「おい、ふざけんなよ。こいつはそんな世界に行く気はないんだ。」


しかし、蓮は余裕の笑みを浮かべているだけだった。

「確か引退したのは3年前だっけ?どこにも行く所はねえんだろ?あんたも分かってんじゃねえの、親友ならさ。」


健斗は言葉を詰まらせ、涼介の様子をうかがう。

蓮の言葉は、涼介の心の中で消えかけていた何かを無理やり引きずり出していた。


蓮は自分がホストであること、ホストクラブ「Paraiso」の支配人である事を明かし、その仕事について語り始めた。


華やかで、時には過酷な世界。だが、その中で人の心を動かす喜びもあると。


「ホストって言うと、ただ酒を飲んで女をたぶらかす仕事だと思ってるかもしれないけどさ、実際は違うんだよ。客の悩みを聞いたり、癒しを与えたり。要はエンターテイナーみたいなもんだ。」


涼介は半信半疑だったが、蓮の言葉には何か説得力があった。


「お前みたいな奴は間違いなく売れる。俺には分かるんだ。」

「俺が?」

「そう。お前には何か特別な雰囲気がある。それだけで客は喜ぶんだよ。」


涼介は首を傾げた。

「俺には人を喜ばせるなんてできないと思うけど。」


蓮は笑みを浮かべた。

「そんなことはやってみなきゃ分からない。試しに一度、俺の店に来てみろよ。見学するだけでもいい。」


そこで蓮は言葉を切って続けた。

「……逃げ続けたって何も変わんねえぞ。」


涼介は何も言わず、そのまま立ち去った。


だが、その夜、蓮の言葉が彼の頭の中で何度も反響していた。



⭐︎⭐︎⭐︎


その夜、涼介はアパートの天井を見つめていた。


蓮の言葉が耳から離れない。

「逃げ続けたって何も変わんねえぞ。」


自分は逃げているのだろうか――その疑問が、胸の奥をえぐるように痛んだ。


芸能界を辞めて放浪したのも、自分の力が引き起こした混乱から目を背けたかったからだ。


人と関わることを避ければ、何も壊れない。けれど、それは本当に正しい選択だったのだろうか。


ふと、机の上に置かれた古い写真立てが目に入る。

それは、芸能界で活動していた頃の写真だった。


あの頃の笑顔は今の自分には想像できないほど眩しい。

しかしーーその裏でどれだけの犠牲があったかも、嫌というほど知っている。


「俺に光る場所なんて、ないんだよ。」


そう自分に言い聞かせるように呟いたが、心の中では何かがざわついていた。



⭐︎⭐︎⭐︎


蓮と会ってから数日が経った。


涼介は工場を辞めてから暫く日雇いの日々を続けていたが、頭の中では蓮の言葉がずっとこびりついていた。


ーー逃げ続けたって何も変わんねえぞ。


その夜、涼介は健斗に電話をかけた。

健斗がすぐに駆けつけてくれたのは、彼の変わらない優しさだった。


「どうした?珍しいな、お前から連絡してくるなんて。」


涼介は黙ったまま、しばらく考え込む。そしてぽつりと呟いた。

「俺……ホストになってみようと思う。」


健斗は驚いたような顔を見せたが、すぐに表情を引き締めた。


「本気か?」

「ああ。たぶん、あの蓮ってやつに流されてるだけだと思う。けど、あいつが言う通り、どこにも行き場がないんだ。どっちみち、このままじゃ何も変わらない。」


健斗は涼介の目をじっと見つめる。そして小さく息を吐き、うなずいた。

「分かった。お前がそう決めたなら、俺は止めない。ただ……絶対に無理するなよ。」


涼介は静かに頷いた。


これが良い選択なのかどうかは分からない。


それでも、動かなければ何も変わらないという思いだけが彼を突き動かしていた。



⭐︎⭐︎⭐︎


夜の街はネオンに彩られ、非現実的な空気が漂っていた。


涼介は足早に繁華街を歩き、蓮が教えてくれたホストクラブの住所へと向かっていた。


初めて見る煌びやかな世界に、心の中で小さな不安が膨らむ。


「こんな場所、俺に似合うわけないだろ……。」


自嘲気味に呟きながらも、足は止まらなかった。

行き先を決めたことで、逆に冷静になっている自分に気づく。

このままでは何も変わらない――その思いが、彼の背中を押していた。


店の入り口に立つと、中から楽しげな音楽や笑い声が漏れ聞こえてきた。


その華やかな雰囲気に圧倒されつつも、涼介は意を決して扉を押し開けた。


店内は豪華なシャンデリアが輝き、洗練されたインテリアが広がっていた。ホストたちは派手なスーツに身を包み、笑顔で客たちをもてなしている。そんな中、涼介を見つけた蓮が手を振って近づいてきた。


ホストクラブ特有の華やかな雰囲気。


しかし、どこか品があり、ただ派手なだけではない洗練された空気が漂っている。


「おう、来たじゃねえか!」


軽快な声で蓮が手を挙げる。


「やっぱり俺の勧誘には勝てなかっただろ?」

「……ただ、やってみるだけだ。俺に向いてるとは思えないけどな。」


肩をすくめる涼介に、蓮はにやりと笑った。

「向いてるかどうかなんて関係ねえよ。お前、どうせ客が放っとかねえって。」


そう言いながら、蓮は奥にいる男に声をかけた。


「桐生さん! 例の新人、連れてきましたよ!」


涼介が視線を向けると、奥のソファに座っていた男がゆっくりと立ち上がった。


40代半ば、精悍な顔立ち。

派手な装いではないが、洗練されたスーツを纏い、落ち着いた色気をまとっている。


桐生晶──この店「Paraiso」のオーナーであり、かつてNo.1ホストとして名を馳せた男。


彼は涼介を一瞥すると、穏やかな口調で問いかけた。

「篠宮涼介……ね。」


その名を口にした瞬間、彼の目が僅かに細められた。


驚きはしない。ただ、見極めるように、じっくりと涼介を観察する。


「なるほど。蓮が目をつけるだけのことはある。」


そう言うと、桐生はソファに腰を下ろし、手で座るよう促した。


「まあ座れ。」


涼介は少し警戒しながらも、言われた通りにソファに座る。


桐生はグラスを軽く傾けながら、静かに言った。

「君がここに来た理由は聞かない。過去がどうであれ、この世界では“今”が全てだからな。」

「……。」


「ただし、一つだけ聞いておきたい。」


桐生はグラスを置き、涼介の目を真っ直ぐに見つめる。

「君は、自分の“魅力”が何か、わかっているか?」


涼介は一瞬、言葉を失った。


魅力。

そんなものが、自分にあるのか。


学校の時も芸能界にいた時も、ただ「人が放っておかない」存在だった。


ーー魅了の力を魅力といえばそうなのかもしれない。

だが、それが本当に自分自身の“魅力“だったのかーー


涼介が何も答えられずにいると、桐生は微かに笑った。

「……まあ、すぐにわかるさ。」


そう言って、静かにグラスを傾けた。


蓮は満面の笑みを浮かべ、涼介の背中を力強く叩いた。


こうして、涼介のホストとしての人生が幕を開けた――。

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