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あなたが毎日過ごしているその日常は、誰かが静かにすり替えた偽物かもしれない 〜都会の隙間に潜む二十の違和感〜  作者: かーすけ


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最終話 いつもの帰り道

 一


 午後十一時三十分。

 木村は関町駅の自動改札機にICカードをタッチし、混雑の引いた駅前ロータリーへ出た。


 三十二歳の木村は、都内の大手文具メーカーで新商品の企画開発を担当していた。

 今日もいつものように遅い深夜残業を終えて帰路についていた。

 十月三十一日のハロウィンの夜だった。

 駅前の広場には仮装をした若者たちの楽しげな喧騒がまだ色濃く残っていた。

 カボチャの被り物や色鮮やかな衣装を身にまとった若者たちが笑い合っていた。

 賑やかなポップソングが駅前の商店街から漏れ聞こえていた。


 木村は連日の企画書作成で疲弊し切った眼球を軽くさすりながら、賑やかな駅前広場を静かに通り抜けていった。

 長時間のデスクワークによって両肩はカチコチに固まっていた。

 両足の裏には重い鉛のような疲労が溜まっていた。

 思考は鈍く痺れ、ただ早く自分の部屋のベッドへ身体を沈めたかった。

 仕事のストレスと慢性の睡眠不足が、木村の身体から生気を少しずつ削ぎ落としていた。

 疲れ果てた頭部が重く垂れ下がり、視界の端がぼんやりと黒くかすんでいた。

 木村は駅前の角にある深夜営業のコンビニで温かい缶コーヒーを一本買い、コートのポケットに両手を突っ込んで歩き出した。

 缶コーヒーの温もりが、かじかんだ指先にじんわりと染み込んできた。


 駅から自宅アパート「グリーンハイツ」までの道のりは、徒歩で約十分の道のりだった。

 駅前のロータリーを抜け、コンビニの角を右に曲がり、小さな児童公園の横を通って静かな住宅街の緩やかな坂道を登っていく。

 過去四年間、一日も欠かすことなく通り続けてきた。

 完全に身体に染み付いた「いつもの帰り道」だった。

 疲れた日の夜も、雨の日も、風の日も、木村はこのルートを寸分違わず辿った。


 角を曲がるタイミングも、足を踏み出す歩幅すらも、意識せずとも勝手に身体が動くほど慣れ親しんだ道筋だった。

 街灯の陰になる場所も、路面のアスファルトの亀裂の位置すらも、木村は覚えていた。

 秋の冷たい夜風が吹き渡った。

 風が、路上の乾いた落ち葉をサササと音を立てて転がしていた。

 遠くの幹線道路からは、大型トラックの排気音が低く重く響いていた。

 木村は温かい缶コーヒーの缶を指先で転がしながら、いつもの慣れ親しんだ路地へ静かに足を踏み入れた。


 二


 コンビニの角を右に曲がった。

 木村は足の裏に伝わる微かな違和感を覚え、思わずその場に立ち止まった。

 路面の舗装アスファルトの感触が、なぜかいつもより硬く、異様に平滑であるように感じられた。

 靴底を通した摩擦音が消えていた。

 まるで氷の上を滑っているかのような奇妙な手応えだった。

 アスファルトの黒い表面が、油を流したようにぬらぬらと鈍い光を放っていた。


 路地の光景が、微妙におかしかった。

 この狭い路地には、古い黄色い街灯が三本だけ寂しげに並んでいるはずだった。

 いまの路地には、白い強烈な光を放つ最新式の街灯が、二メートルおきに無限にズラリと立ち並んでいた。

 昼間のように明るく不自然に照らし出されたアスファルトの路上。

 街灯の強い光によって、木村の足元から幾重にも重なった不気味な影が放射状に伸びていた。


 自分の影が蜘蛛の足のように何本も路上に広がる光景に、木村は寒気を覚えた。

 どれだけ足を動かしても、足元から生え伸びた黒い影たちは、まるで自律した生物のようにウネウネと蠢いていた。

「街灯工事でもあったのか・・?」

 木村は不審に思いながら首を傾げ、公園の横の道をそのまま歩き続けた。


 公園の角にあったはずの、古びた木造の駄菓子屋の建物が影も形も消え失せていた。

 そこには、黒い煤けたペンキで塗りつぶされた、見覚えのない平屋の空き家がポツンと佇んでいた。

 空き家のすりガラスの窓の奥から、カタカタカタ・・と、ミシンを動かすような不気味な連続音が小さく漏れ出していた。

 家全体から漂う古びたカビの臭いと、冷たい湿気が木村の肌にまとわりついた。

 自分の歩いている道が、慣れ親しんだいつもの帰り道であるはずなのに、どこか世界全体の角度がわずかに傾いているような深い浮遊感があった。。


 三


 前方の街灯の明かりの下。

 スーツを着た中年男性が一人、木村と同じ方向に向かって静かに歩いていた。

 木村は男性を追い抜こうとして、自分の歩調を早めた。

 男性の歩く動きに、凍りつくような異常さを感じた。

 男性は同じ電柱の横を、全く同じ歩幅で何度も何度も繰り返して通り過ぎていた。

 一歩、二歩、三歩と進むと、瞬きする間に一歩手前の位置へ戻った。

 永遠に同じ電柱の横を歩き続けているようだった。

 壊れた映像フィルムが無限ループを起こしているような動きだった。

 その男性の首の角度も、手振りの動作も、機械のように寸分違わず反復されていた。


「なんだ、あれは・・!?」

 木村は恐怖に打たれた。

 男性から距離を置きながら住宅街の坂道へ逃げ込んだ。

 住宅街の家々の窓からは、テレビの青白い光が漏れていた。。

 家々の壁からは、テレビのアナウンサーの声が漏れ聞こえていた。

 どの家からも、全く同じ声のトーンで、「〜です・・〜です・・〜です・・」という無意味な言葉の反復だけが、大音量で響き渡っていた。

 その音声は重なり合い、地鳴りのような唸りとなって木村の鼓膜を激しく揺さぶった。


 木村は震える手でポケットからスマートフォンを取り出し、地図アプリを起動した。

 画面の青い現在地ピンは、狂ったように高速回転を続けていた。

 検索欄には『目的地:あなたの家』という文字だけが繰り返し点滅していた。

 坂道を登り切った暗闇の中。

 見慣れたアパート「グリーンハイツ」の二階建ての影が、ぼんやりと浮き上がっていた。


 四


 木村はアパートの敷地へ駆け込み、鉄製の屋外階段へ足をかけた。

 ギシ、ギシ、ギシ。

 錆びた手すりの感触、足元のアスファルトの凹凸。

 それは間違いなく、自分が毎日暮らしているグリーンハイツのものだった。

 二階の廊下を上り、自分の部屋である「二〇二号室」へ向かった。


 廊下のドアプレートを見上げた木村の全身から、血の気が引いた。

 一番手前のドアのプレート:「二〇二号室」。

 中央のドアのプレート:「二〇二号室」。

 奥のドアのプレート:「二〇二号室」。

 廊下に並ぶすべての部屋のドアに、「二〇二号室」というプレートが掲げられていた。

 同じフォント、同じ傷のついた金属プレートだった。


 どの扉の向こうにも、全く同じ間取りの部屋が広がっている・・。

 そんな恐ろしい予感が木村の頭を駆け巡った。

 廊下の突き当たりの非常階段の影。

 暗がりの中に、黒いロングコートを身にまとった背の高い人物が静かに佇んでいた。


 落ちている落とし物の陰、エレベーターの隙間、深夜のオフィス、暗い交差点、地下鉄の踊り場・・あらゆる場所の影に現れてきた、あの黒いコートの人物だった。

 その人物は言葉を発することもなく、微動だにせず木村の方を見つめていた。

 黒いコートの人物の背格好、肩の傾き、立ち姿の癖。

 それは、今ここに立っている木村自身の体型と、完全に一致していた。


 五


「まさか・・お前は・・」

 黒いコートの人物は、何も言わず、静かに木村を見つめ返していた。

 木村は吸い寄せられるように、中央の「二〇二号室」のドアの前に立った。

 震える手指でポケットから鍵を取り出し、ドアの鍵穴へ差し込んだ。

 カチャリ。

 聞き慣れた金属音が響き、ドアのロックが静かに解除された。

 木村は乾いた喉を鳴らし、ドアノブをゆっくりと押し開けた。


「ただいま・・」

 ドアがゆっくりと内側へ開いた。。

 部屋の中に広がっていた光景に、木村は息が止まった。

 玄関の下駄箱の脇、リビングのソファの上、ベッドの上、キッチンの前。

 部屋のあらゆる場所に、自分と同じ服を着た「木村」が無数に座っていた。

 全員が無言でこちらをじっと見つめていた。

 焦点の合わない冷たい瞳で、ドアを開けた木村を一直線に見つめていた。


 窓際に立っていた「黒いコートを着た木村」が、ゆっくりと振り返った。

 日常は、今日壊れたのではなかった。

 ずっと以前から日常は侵食し尽くされていた。

 自分が帰ってきたのは、最初から狂った側の世界だった。

 自分という存在は、その歪んだ世界を構成する無数のカケラの一つに過ぎなかった。

 自分が何者であったのかすら、暗闇の奥へ消え去っていた。

 自分の記憶も感覚も、すべて偽りの世界に塗りつぶされてしまっていた。


 カチャリ。

 木村の背後で、玄関のドアが静かに、強く固く閉ざされた。

 完全な暗闇と静寂の中で、日常侵食の物語は静かに幕を閉じた。

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