誇り
純歴1850年 和島国
1600年から250年に渡りその地を治めてきた武士たち。かつてその国を統治していた彼らの政権基盤は崩壊しかけていた。
5年前に西側諸国が発見した小さな島、エンゲル島。
その島は幸か不幸か、諸大国の中で、和島国の最も近い位置に佇んでいた。
和島国はこの地を開拓するために多くの武士を派遣。その際に西側諸国の派遣した資源の先見調査員を切り殺したことが引き金となり、戦争(和西戦争)が勃発。
エンゲル島を戦場としたその戦により、和島国の派兵武士のうち半数以上が死傷。
西川諸国からの賠償請求により国は財政難に。
税率を引き上げると民衆の不満が爆発。
武士が起こし、武士たちの敗北により決着した戦。
なぜ我々が負担しなけらばならないのか。
民たちの不満の矛先は武士たちへと向けられていった。
国内の至る所で一向一揆が起こるも、兵力不足により、鎮圧にも苦悩するように。
武士、そして侍の時代の終わりが近いことは火を見るより明らかだった。
だが、そんな時代にも、武士としての誇りを持ち続けようとする者がいた。
純歴1850年 7月3日 和島国 逆頭領
「頭を下げろ!領主様のお通りだ!」
民たちが一斉に頭を下げる。
その様子を馬上から見下ろすのは、現逆頭家当主でありこの物語の主人公。逆頭竜尾。
若くして死んだ父の跡を継ぎ、18歳で逆頭家当主に就任。以来5年間この地で領主としてこの地を治めている。
一本芯の通った姿勢と腰に備えた刀。
その立ち振る舞いは、一目見ただけで侍だと分からせる気迫がある。
民たちは順々に年貢を納める。
しかし一人、十分な量を収められぬ男がいた。
「誠に申し訳ありません。どうしても捻出することができず大変心苦しく思っております」
彼の名は芝吉
20代半ば、結婚はしていない
「他のものは皆納めている。何故貴様だけ納められない」
逆頭家の領地において、年貢の量は世帯人数に応じて変動する。収穫量の内、世帯人数の食料分に加えて数%の食料が取り分となり、残りは税として納める決まり。
多くの農民はゆとりを持って納めることができる量に調整している。芝吉は今にも倒れそうなほど痩せこけており、必要以上に飯を食べているとも考えられない。
「分かりません。何故か私の田んぼだけ苗が育たずどうしてい...」
「我々を愚弄する気か?」
部下の一人が、怒気を含んだ声で話を遮る。
「税を納められません。ごめんなさい。理由も分かりません。それで許してもらえるとでも?」
誇り、面子、主従、忠誠。それらを第一とする武士たちにとって、芝吉の言い分はとても許容できるものではなかった。
「半年ほど!半年ほど待っていただければ足りない分も含めてお納めすると誓います!だから何卒!」
なにを隠しているか、竜尾に大方の想像はついた。
だが、芝吉の目を見て、圧をかけるように言う
「分かった。半年だけ待とう」
「少し甘いんじゃないか」
そう耳打ちするのは、竜尾の1番の友でもある九郎。
家来ではあるが、子供の頃からの幼馴染でもあり、基本的にはタメ口で話す
「本当は気づいてるんだろ?あいつがなにを隠してるか」
「なんのことかさっぱりだな。半年後に払えなかったら殺す。それでいいじゃないか」
その答えに、九郎はムッとした顔をする
ため息を吐きながら、不満を隠そうともせずに言う
「随分と変わったな」
「そうか?」
「ああ。延慈が帰ってきてから、人が変わったみたいだぜ」
竜尾の持つ広い邸宅
しかしそこには住むのは竜尾と弟、延慈の二人だけ。
かつては10人以上の下女が在中し身の回りの世話をした。
しかし和西戦争の敗北以来、武士たちに対する不満が高まった。それを抑えるために下女を一人残らず解任した。『我々は決して贅沢な暮らしはしていない。領主様は民に寄り添っている。』というアピール。このだだっ広い邸宅を手放すことは頑なに拒んだため、この宣伝が民の心に響いたか定かではない。
「お帰り兄さん」
家に帰ると、延慈が布団の上で異国の本を読んでいた。
延慈は2つ歳の離れた弟
天賦の剣の腕才を持っており、天下無双の剣豪となることを誰もが期待していた。
しかし2年前、エンゲル島での戦争以来刀を握らなくなった。
外傷もなく、多くの武勲を挙げたにも関わらず帰国してから一度も刀を握らなくなった。
刀も振らず仕事もせず食事もほとんど摂らない。突然発狂し嘔吐することもあれば、布団に包まり泣きながら謝罪を繰り返したり。
かつての逞しい面影はどこにもなく、今にも死にそうなほど憔悴しきっていた。
帰宅して一番に目につくのは、埃を被った弟の刀。
あれほどの才を持ちながら武士として生きることを辞めた弟に、竜尾は苛立ちを覚えていた。
「今日も刀を振らなかっのか」
「ごめん。今日も振る気になれなくって...」
「謝るな。いつかまた振れるようになる」
ここ一年余り、毎日この会話を繰り返している。
意地の悪い質問ということは竜尾も理解している。
しかし、弟が侍としての誇りを失っていることがどうしても許せなかった。
2人で囲む食卓
あまり楽しいものではない。
偶に竜尾から話題を振る程度で、和気藹々とした団欒とは程遠い光景。
この日は珍しく、延慈から話し始めた
「兄さん。この国はこれからどうなると思う?」
あまりに漠然とした質問
竜尾も、この国が傾き始めていることは分かる。
あの戦争以来何もかもが不安定だ
武士の世が終わろうとしている
そう思う事は多々あるが、口には出すことは出来ない。
そんな様子を感じ取った延慈が話を続ける
「正直思うんだ。俺たちの時代は終わりが近いんじゃないかって」
「それが鍛錬をやめた言い訳か?」
子供の頃は気が強く、よく二人で喧嘩していた。
互いに骨が折れるまで殴り合ったこともあった。
しかし島から帰って以来、弟は人が変わったように弱気になった。
少し強い言い方をすれば黙りこくる
しかし今日の延慈は違った
「その、えっと、そういうわけじゃなくて...」
言葉が詰まりながらも、話を続ける
「商人になろうと思うんだ。そのために色々勉強もしたし...多分この先は西洋諸国を相手に商売することになるはずだから、それ用の経営案もいくつか考えてて」
恐怖と喜びが混ざったような話し方
兄の機嫌を伺うために声量は小さなものであるが、声は弾んでおり、早口になっている。
久々に見る弟の笑顔
嬉しさと怒りが同居した複雑な心境になる
「商人になると言ったって、商売を始めるための金はどう工面するつもりだ」
戦争に負けて以来、支給される禄はますます減るばかり。弟に商売を始めるほどの金があるはずがない
「もちろん兄さんには頼らないよ!」
弟の声がいっそう弾む。
自分が商人になることに兄は前向きなのかもしれない!金さえ工面すれば許しを貰えるかもしれない!
そんな希望を持ちながら意気揚々と答える
「刀を売ろうと思ってるんだ。傷はあるけどそれなりに値段はつくだろうし。そしたら初期費用くらいは工面でき……」バァン!
竜尾が勢いよく机を叩く
兄の怒り、戦場でトラウマとして刻まれた大きな音。
さっきまでの笑顔は一瞬にして消え、眼球が湿り始める。
「何言ってやがるテメェ」
竜尾の中で何かが切れた。今まで貯めていた不満が脳内に溢れ出す
口にしてはいけないことだと分かりつつも、喉から迫り上がるそれを止めることができない
「ふざけんな!何のためにお前を今まで養ってきたと思ってる!帰ってきてからの2年間ずっとだ!ずっと我慢してきた!最初の一年は酷かった!何も喋らない。何も食わない。お前のゲロだってずっと俺が片付けてきた。それもこれも全部、お前がまだ武士としての誇りを失っていないと信じてたからだ!それなのにお前は、武士としての魂を売り捌いて商人に成り下がるなどとふざけたことを言いやがる。
次同じことを言ってみろ!その腐った性根諸共お前の体を叩き斬ってやる!お前は黙って刀を振ることだけを考えてればいいんだ分かったか!」
ようやく我に帰って最初に見たのは、怯え泣きじゃくる弟の姿
過呼吸になり、涙と鼻水を垂らしながら頭を下げている。
「ごめん兄さん....僕が間違ってた....だから...」
怯え泣く弟の姿を見て、流石に心が痛む
「分かってくれたならいいんだ。俺こそ怒鳴って悪かった」
延慈に抱きつく
優しく、逃がさないように、多量な慈悲とほんの少しの打算を持って、囁く
「俺が怒ったのはお前に期待してるからだ。お前にはすごい才能がある。本気を出せば天下一の剣豪にもなれるって兄ちゃんは信じてる」
翌日
竜尾が村へ出向くと、芝吉とその祖父が縄で縛られていた。部下の一人が家に押し入り、床下に潜む芝吉の祖父を発見した。
この領にはしきたりがある。脳または体に支障をきたし生産能力を失った老人は、介錯をしたのち、裏山の麓へと連れて行き死体を野鳥に食わせるというしきたり。
口減しと土着信仰の面を併せ持つこのしきたりは
200年以上に渡り続いている
縄に拘束されたまま、老人は竜尾に口をきく
「誰だあんたは」
「爺ちゃん。この人は領主様だよ」
「儂はお前の爺ちゃんでねえ!儂の孫はもっと小せえ小僧っ子だ!」
領主のことはおろか孫の顔まで忘れている。
右足はほとんど壊死しており立つことさえままならぬ有様。
本来であればニ月前に捨てられていたはずの命
一人分しか与えられていない取り分の米を、祖父と分け合って食べていたのだろう。
そして足りなくなり、税として納める分の米に手をつけた。
「爺ちゃんは捨て子だったオラを一人で育ててくれたんです!そんな爺ちゃんを殺して捨てるなんてどうしてもできず!」
足元に縋る芝吉を無視して、家来の一人が進言する
「この者たちは掟にのっとり殺すべきです」
その者は、「たち」という単語を強調して進言した。
それは、孫だけでなく二人を共犯として処刑しろという念押し
生産力の無くなった人間を捨てることで生きながらえてきた歴史を持つこの領にとって、このような偽証は重罪
「そんな!悪いのはオラ一人だ!爺ちゃんは何も悪くねえ!刑にかけるのはオラ一人だけにしてくれ!」
口に出すべき言葉はひとつ。決まりきっている。
しかしどうしても勇気が出ない。
重なる。
痩せこけた老人の姿が。泣きながら許しを乞う芝吉の姿が。弟とどうしても重なってしまう
結んでいた口が開き始める
だが言葉は出てこない
刀の鍔を握る
領主になってからついたクセ
決断を迫られた際、侍としての感覚を思い出すために身についたクセ
「せめて!せめて爺ちゃんに介錯を!」
家来たちが芝吉と老人に冷たい視線を向ける中、九郎だけが竜尾の右手を見ていた
九郎が竜尾に耳打ちする。
「領主として、侍としてするべきことをしろ」
友からの助言を胸に、深呼吸する。
自分を納得させるように、目を閉じ、背を向けながら、力強い声で沙汰を下す。
「二人とも刑に処せ」
この領では、死人を裏山に投棄して野鳥の餌にする。獣に食べられることにより輪廻の輪に再び戻ることができると信じられている。
しかし罪人は生きたまま食われる。
手と足を縄で縛り猿轡をつけ、身動きが出来なくなった状態で生きたまま投棄する。
そして輪廻の輪に加わらないよう体に「穢れ」をつける。動物の血を体中に塗りたくり全身を真っ赤に染める。
血に寄せられた鳥たちが罪人の体を啄む光景は悲惨としか言いようがない。
だがこれを見物しに多くの領民が来る。
罪人の様を見て、泣くことも笑うこともない。
日常の一風景として雑談をしながら。飯を食いながら、ただ淡々と見ている。
今回の件に関して抗議の声は一つとして無かった。
ただ「罪を犯したら裁かれるのは当然だよね」と。
竜尾にとってこの反応は意外だった。
芝吉が爺ちゃんっ子であることは誰もが知っていた。
爺ちゃんが芝吉の名を忘れた時には、3日3晩泣きじゃくっていた。
鳥のくちばしは、遂に芝吉の腹を突き破る。
臓腑を喰われても、悲鳴をあげない。というよりもあげられない。
刑が執行されてからの2時間、叫び続けた芝吉の喉は炎症し、声をあげることも出来ないだろう。
処刑中止の嘆願署名、最悪の場合暴動も起きるのではないかと心配していた。
もしあの男の最後の言葉を聞いていたとしても彼らは同じ反応をしたのだろうか。
もしかしたら自分は、「あなたの行動は間違っている」と。そう言われたかったのかもしれない。
そんなことを考えながら家に帰ると、延慈と刀が姿を消していた。
一月後
延慈が消えてからは九郎と同居することになった。
延慈がいなくなって以来生気をなくしていた竜尾を見かねて、九郎から申し出た。
それからは毎日が楽しかった
夜通し将棋をしたり、賭け事をしたり、酒を酌み交わしたり。
延慈がいなくなってから全てがうまく行っている気さえする。
「ようやく昔のお前に戻ったな。延慈が出て行ってどうなることやらと心配したんだが」
「あんな穀潰しのことなんてもうどうでもいい。あんな恥晒しが家族にいたってことに動揺してただけだ」
強がりではない。
竜尾の弟に向けた愛情は完全に冷めきっていた
礼も挨拶もなく忽然と逃げた
兄であり、頭首である自分を裏切った
例え訃報が来ようと、涙一つでない
そう確信できるほどに、弟に対して興味を失っていた。
もう弟のことなどどうでもいい。
弟の残していった本をどう処分しよう。
そんなことを考えていると
「竜尾様!都からの使いがやって参りました!」
竜尾が向かうと、そこには輿を先頭とした大行列があった。
領民たちが物珍しさから見物に長蛇の列を作っている。
何故こんな辺境の地に?
心当たりは一つしかない
嫌な予感がする
輿に乗る身分ということは相当な身分。
恐らく幕府の重職。
髭を蓄え、「老獪」という言葉がピッタリの男だと誰もが予想した。
しかし輿の中から出てきた者は、黒い装束に身を包んだ異国の女だった。
驚きを顔に出さないように、無礼のないよう最大限の注意を払い、頭を下げて口を開く
「逆頭領の領主、逆頭竜尾と申す者です。あなた様は」
「私はヴァル。ヴィヴィエル•ヴァル•キューゼと申します。この度、和島國の財政再建のために西洋諸国より派遣されました。今日はこの領の財源の確認のため、予告なしに来させていただきました」
背丈は成人男性と同程度。控えめな胸と中性的で凛々しい顔立ち。
長い髪と柔らかな声色がなければ男と勘違いする者もいるだろう。
「早速ですが財務状況の資料を見せていただきたく」
「承知しました。少々お時間を」
馬を走らせながら、竜尾は胸を撫で下ろした。
てっきり弟が都でなにかやらかし、その責任を兄である自分に取らせるために来たのかと思っていた。
しかし、安堵する竜尾とは裏腹に、九郎は冷や汗流して思い詰めた様子で声をかける。
「竜尾。あの女には気をつけた方がいい。あいつは都で魔女と呼ばれてる女だ。噂だと魔法を使うだとか」
逆頭家邸宅 客間
この場にいるのは竜尾、その家臣数十名と女一人
多くの部下を連れてきた女だったが、客間に入ったのは彼女一人だった。
我々を信頼しているのか、それとも噂通り「魔法」を使える故の自信なのか
「面白い徴税方法ですね」
この領は、他の領と比べて異質な徴税をしている。
土地面積と収穫量に加え、世帯人数を組み合わせた独自の計算式から税率を算出している。
生産力のなくなった人間を間引く仕組みを持つ、この領だからこその徴税法。
歳入も安定している。国への上納も満額きっちり納めている。何も問題はないはず。
女は資料をペラペラと捲り終えると、貼り付けたような笑顔で話しを始める。
「領の歳入に関しては問題ないですね。ですがそんなことはどうでもいいんです。この藩領は取り壊します。今日はそれを伝えにきました」
その場にいた全員から思わず困惑の声が漏れた
あまりにも急で、理不尽な取り壊しの宣告
相手が国からの使者だからといって、一つ返事で了承できるものではなかった
「何を仰っているのか理解できません。もう少し具体的な説明を願いたく」
「簡単に説明すると、この国から武士という階級をなくすことが決まりました。あなたには屯田部隊としてエンゲル島の開拓に行ってもらいます」
「急にそのようなことを言われても。了承できませぬ」
「端的に言うと、穀潰しを養う金がなくなったということです」
張り詰めた空気が漂い始める。
いつものクセから、自覚なく鍔を握る
女は地図を取り出し、机の上に広がる
エンゲル島の詳細な地形図
その北西を指差す。
「エンゲル島は和西戦争以来無法地帯と化しています。マフィアにギャング、六芒軍。この紛争を平定するため、すぐにでも優秀な指揮官が欲しくてですね。まあ、こんな無法地帯になったのも、武士たちの起こした戦争のせいです。その責任をとっていただきたくですね」
動揺する竜尾の目を見ながら言葉を続ける
「どんな決断をするべきか、あなたは分かっているはずでは?」
長い沈黙が流れる
鍔を握る力が一層強くなる
どう答えるべきだろうか。
悩んだ。いや、悩んだふりをして答える。
「申し訳ありませんが了承致しかねます。後日また都に向かわせていただき、お話をしたい」
女は表情を崩さなかった
断られることを予期していたのだろう
変わらぬ声色で話を続ける
「まあ、了承されるとは思っていませんでした。なのでプレゼントを持って来たんです。」
ズボンのポケットから何かを取り出して握り締める
「これを受け取ってください」
竜尾の手を握りしめ、持っていた物を渡す
竜尾は始め、渡された物が何なのか、理解できなかった。
しかし触れるうちに段々と分かってくる。
それは何度も触れたことのある物だった。
子供の頃から何度も何度も。
そして、何となくの予想がついた。
だが、認めたくない。
認められる訳がない。
しかし、確信してしまった。
固く鋭い部位、ザラザラとした触感。
極め付けは血の感触
手の中にある物は、間違いなく延慈の指だった
刀身を首に突きつけ、あらんかぎりの声で叫ぶ
「てめえ!延慈に何しやがった!」
主人の怒りに気付いた家来たちも同様、刀に手をかけ臨戦体制をとる。
張り詰めた空気の中で突然放たれた、主君の憤叫。
その場の空気が一変し、殺気が部屋中に漂う
「落ち着けお前ら!」
唯一冷静だったのは九郎。
今にも切りつけそうな竜尾と家来たちを諌めようとする。
異国の女といえど、彼女は幕府からの使者。
斬り殺せば一族郎党は勿論、領民の命さえ危ない
刀身を突きつけられた状況。
しかし彼女はまるで動じていない。
「まあまあ、少し落ち着きなって」
ゆったりとした丁寧な口調が嘘だったかのように、砕けた言葉使いを始める。
「元々の計画では弟くんを使うつもりだったんだ。一服盛ってもらって、寝てる間に君を攫う予定だった。商売の初期費用を援助することを条件にね。」
女のしていた貼り付けていたような笑み。
それが段々と崩れていく。
口元が揺れ始め、瞳に輝きが増してくる。
竜尾はようやく、これこそが彼女の本物の笑顔だと理解した。
話を進めるうちに、女の顔はどんどんと歪んでいく
「そしたら彼、なんて言ったと思う?『俺にも侍の血が流れてる。その誇りを売るような真似はできない』って言い始めて...」
そして遂に、笑いを堪えきれなくなる
「そしたら刀を持ち始めたんだよ!信じられる!?ビックビク震えて涙を流しながら!見せてあげたかったなー。まるで生まれたての子鹿みたいで...」
「それ以上喋るんじゃねえ!」
遂に椅子を蹴り上げ刀身を首に突きつける
左手で柄を持ち、右手を鍔に添える
あと少し振り下ろせば首を落とせる距離
竜尾の呼吸がかつてないほど荒くなる
家来たちは入り口を塞ぎ、女の周りを囲む。
武家社会を壊そうとする国への抗議と、主君を虚仮にしたことへの憤り。
命を賭す覚悟はできている。
生かしては返さないという熱気が部屋全体に充満する。しかし女は微動だにせず挑発を続ける。
「切りたければ切ればいい。君の選択を私は尊重するよ」
「抑えろ竜尾!」
九郎が必死に場を収めようとする
竜尾の肩に手をかけ諭そうとするも、血管の浮き上がった耳にその声は通らない。
鍔を強く握りすぎた右手からは血が滴っている
「サムライを見るため、遠路はるばる来たのにガッカリだね。誇りだなんだと言っても所詮は弱者を虐めることしか能がない蛮族の集まり。他人のことなんてどうでもいい。自分の死に様にしか興味を持てない。まあそれも仕方がないか。武士の面目など所詮、その上辺だけを飾るも...」カキンッ
遂に刀を振り下ろした。
間違いなく首を落とせる強さで。
何千回と練習してきた。
角度も力も、鍛錬の通り完璧に。
唯一、いつもと違ったことは、首を切ることが叶わず、振り下ろした刀の方が音を立てて折れたことだった。
女は竜尾の目を見て、淡々と、無慈悲に告げる。
「交渉決裂だね」
なにが起きたかわからない。
一瞬の内に気絶させられた。
血生臭い匂い。
温かく、そして気色の悪い感触。
目を開けて最初に見たのは、縦に両断された友、九郎の姿
次に目にしたのは家来たちの亡骸
そして、彼らの血で真っ赤に染まった自分の体
先ほどまでの悪意に満ちた形相が嘘だったように、女は優雅に、凛とした様子で茶を嗜んでいる。
九郎も家来たちも死んだ。
もはや彼の拠り所はただ一つ。
「弟....弟はどこ....」
そう言い終わる前に、乱雑に目の前に投げ捨てられたのは、鼻を削がれた弟の生首だった。
「あっ、いやっ。嘘、だっれ、おれの」
動悸が酷い。呂律が回らない。
侍としての誇りも、男としての矜持の欠片も感じられない泣き姿?
彼の心にあるのはただ一つ。
後悔
一体自分は何をしていたのだろう
弟が何かの病に罹ったことは分かっていた。
外傷こそないが、精神に作用する病。
あの島で何かを見て心が壊れた。
それを知っていながら、認めようとしなかった。
弟はずっと他の道を選ぼうとしていた
遅かれ早かれ、武士の世が終わり、こうなることを予期していたのだろう
弟は真に侍だった
俺を守るため、最後に刀を振るおうとした。
それに比べ自分は
正解には薄々気づいていた。
奴は何度もヒントを出していた
「あなたたちには」ではなく「あなたには」
「優秀な兵」ではなく「優秀な指揮官が欲しい」
女の目的は自分一人。
「俺が行く」と。一言そう言えばよかった。
だが、あの島に行くのが怖かった。
死ぬことは怖くなかった
だが、比類ない才を持った弟でさえああなった。
自分も刀を振るえなくなくなるかもしれない。侍でなくなるかもしれない。ただそれだけが怖かった。
相手は異国からの使者。
下手を打てば再び戦争となる可能性も秘めている。
この女を殺せば自分や九郎、家臣たちは勿論として、罪のない領民たちまでもが処刑されるかもしれない。
だがそうなったとしても、侍として、責任を取って腹を切ることはできる。
武士として、誇りを持って死ぬことができる。
だから、仇。挑発。周囲の熱気を言い訳に、敵を斬り殺すという楽な道を選んだ。
結局自分の守ろうとしていた物は、自分の面子と誇りだけ。
生き恥
もう嫌だ。
自分が憎い。
死にたい。
取るべき行動は一つ
腹を掻っ捌いて死ぬこと
それ以外にない
最後に、武士としての誇りを持って死にたい
血まみれの姿で呻き、這いながら、折れた愛刀の刃先へと手を伸ばす。
ガチャ
しかしそんなことを彼女が許すはずもない。
女が刀に触ると、それはまるで炉に入れたかのように、一瞬にして溶解した。
「明日までに荷物をまとめろ。もし結果を出しせたら、こいつらの遺体は領の慣わしに従い丁重に葬ってやる。さもなきゃ全部肥溜めに捨てる」
「侍としての誇りか仲間の尊厳。どっちを守って死ぬかはお前が選べ」
刀も、誇りも、家来も友も、唯一の家族さえ失った彼に、もはや他の選択肢はなかった。
悪人たちが巣喰う、地獄の島へと赴く以外には




