第2話 時計塔
王都の時計塔が爆発した。
「……え?」
僕は思わず足を止めた。大きな音が響き、時計塔の上から黒い煙が上がっている。巨大な時計の文字盤には穴が開き、長い針が折れていた。
そこから燃えた木片や石が落ちてくる。
「きゃああああ!」
「逃げろ! 時計塔が崩れるぞ!」
通りを歩いていた人たちが、一斉に走り出した。僕も頭を押さえてしゃがんだ。目の前に、時計塔の壁の一部が落ちてくる。
僕は懐中時計を開いた。
「時刻防壁」
透明な壁が僕の頭上に広がる。落ちてきた石が壁にぶつかり、横へ転がった。
「……ふう。危なかった」
僕が立ち上がったとき、今度は時計塔から大きな鐘が落ちてきた。広場に落ちた鐘が石畳を砕く。近くにいた馬が暴れ出し、荷車を引いたまま走っていった。
「誰か馬を止めろ!」
「子供がいるぞ!」
荷車の進む先に、小さな女の子がいた。僕は走り出した。
間に合うかな。
懐中時計の針を動かし、荷車の車輪に魔法をかける。
「時刻停止」
車輪が止まった。馬が前へ進もうとしても、荷車は動かない。僕は女の子を抱き上げ、歩道へ運んだ。
「大丈夫?」
「う、うん……」
「よかった。お母さんのところへ戻ってね」
女の子は泣きながら走っていった。
それにしても、何が起きているんだろう。時計塔が爆発するなんて、聞いたことがない。僕は壊れた文字盤を見上げた。
そのとき、胸元の懐中時計が大きく震えた。
「……あれ?」
取引用の針が止まっている。
「おい! 寿命が払えないぞ!」
近くのパン屋で客が怒鳴っていた。
「寿命が受け取れなければ売れません!」
あちこちで怒鳴り声が聞こえた。王都の寿命取引が、完全に止まっている。この世界では、食べ物も薬も、すべて寿命で買う。寿命の取引が止まれば、誰も買い物ができない。
どうやら、大変なことになったらしい。
すると、別の方向からも爆発音が聞こえた。今度は王立寿命管理局の建物だった。高い窓から火が噴き出し、黒い煙が広がっていく。
「管理局まで爆発したぞ!」
「王都が襲われている!」
「敵国の攻撃か!」
誰かが叫んだ。その声を聞いて、さらに大勢の人が走り出した。僕は道の端に寄った。逃げる人に押されて、転びそうになったからだ。
いやあ、本当にすごい騒ぎだ。これじゃ、まともに歩けない。
背後から声が聞こえた。
「ルカ殿!」
振り返る。そこには、セラフィナさんが立っていた。白金色の髪を編み込み、銀色の鎧を着ている。大きな剣を背負っていた。
「セラフィナさん! よかった。無事だったんですね!」
彼女は駆け寄ってきた。
「よかった……」
彼女は大きく息を吐いた。それから、僕の手を握った。
「ルカ殿。こちらへ」
「え?」
「王都を出ます」
僕は首をかしげた。
「え?」
「これ以上、あなたを危険な場所へ置くわけにはいきません」
彼女の声が震えていた。
「お願いです。自分と一緒に来てください」
僕は彼女の顔を見た。青い目に涙がたまっている。
「……わかりました」
僕はうなずいた。
「とりあえず、安全な場所へ行きましょう」
「……はい!」
セラフィナさんは嬉しそうに笑った。そして、僕の手を引いて走り出した。
僕はセラフィナさんに手を引かれながら、周囲を見回した。
「すごいことになってますね……」
「……はい」
「こんな大騒ぎ、初めて見ました」
「自分もであります」
セラフィナさんは前を向いたまま答えた。その顔は、なぜか落ち着いていた。王都がこんなことになっているのに、怖くないのかな。
しばらく走ると、細い路地へ入った。そこには、黒い馬車が止まっていた。御者席には、顔を布で隠した男性が座っている。セラフィナさんが近づくと、男性はすぐに頭を下げた。
「準備はできています」
「ご苦労」
セラフィナさんは短く答えた。
「知り合いですか?」
「……はい。少し」
「へえ」
セラフィナさんは馬車の扉を開けた。
「ルカ殿。お乗りください」
「どこへ行くんです?」
「安全な場所であります」
僕は馬車に乗り込んだ。中には毛布と水、それから食べ物が用意されていた。ずいぶん準備がいいなあ。セラフィナさんも乗り込み、僕の隣に座る。
「出してください」
「承知しました」
馬車が動き出した。僕は窓から外を見た。遠くの時計塔が、まだ燃えている。王都のあちこちから黒い煙が上がっていた。
「大丈夫かな、王都……」
僕がつぶやくと、セラフィナさんが僕の手を握った。
「もう、あなたを危険な目には遭わせません。自分は……、あなたに生きていてほしいのです……!」
「はい」
「明日も、明後日も、その先も……!」
彼女は泣きながら続けた。
「もう二度と、大切な人を失いたくないのであります……!」
僕は黙って話を聞いた。セラフィナさんは涙を拭った。
「ルカ殿。お願いがあります」
「何でしょう?」
「自分と一緒に、この国を出てください」
「……え?」
彼女はまっすぐ僕を見た。
「自分が必ず、お守りいたします」
僕は馬車の窓から外を見た。もう王都は見えなくなっていた。遠くで、黒い煙だけが上がっている。
「もしかして、セラフィナさんの仕業ですか?」
「はい。ルカ殿を守るために……、大勢の人に迷惑を……」
僕は彼女の顔を見た。昨日まで、子供たちを守るために命がけで戦っていた人だ。そんな彼女が、僕を助けるために王都を襲った。
どうして、ここまでしてくれたんだろう。
「……セラフィナさん」
「……はい」
「僕、そんなことまでしてほしくなかったです」
彼女の肩が震えた。
「……っ!」
セラフィナさんは何度も首を振った。
「申し訳……ありません……!」
彼女は僕の手を握ったまま、泣き崩れた。
「自分は……! 自分は、あなたに嫌われても仕方のないことを……!」
僕は少し考えた。
「でも、セラフィナさんが僕を助けようとしてくれたのは、嬉しかったですよ」
「……え?」
「ありがとうございます」
僕は笑った。
「だから、もうこんな危ないことはしないでくださいね」
セラフィナさんは僕を見つめた。それから、声を上げて泣き始めた。
「ルカ殿……!」
彼女は僕に抱きついた。
「申し訳ありません……!」
僕は彼女の背中をなでた。
「セラフィナさんも、一生追われますよ?」
彼女は迷わずうなずいた。
「構いません」
それから、僕の両手を握った。
「自分には、もうあなたしかいないのであります」
僕は返事に困った。セラフィナさんは僕を抱きしめた。
「お願いです……! 自分と一緒に、生きてください……!」
彼女の声が震えていた。
僕は少し考えた。でも、ここまでしてくれたセラフィナさんを1人で行かせるわけにもいかない。
「……わかりました」
僕はうなずいた。
「一緒に行きましょうか」
「……っ!」
セラフィナさんは顔を上げた。
「本当……ですか……?」
「はい」
僕は笑った。
「ルカ殿……!」
彼女は泣きながら僕を抱きしめた。
「ありがとうございます……! 本当に……!」
セラフィナさんは嬉しそうに笑った。そして、僕の手を自分の胸に当てた。
「自分は、あなたのためなら何でもいたします」
「いや、何でもは困りますよ。さっきみたいなことは、もう駄目ですからね」
「……承知いたしました」
彼女は僕の手を握りしめた。
馬車は、国境へ向かって走り続ける。こうして僕は、セラフィナさんと一緒に国を出ることになった。時間に縛られない国へ。




