プロローグ
僕が転生したこの世界では、人間の寿命がお金の代わりに使われている。
パンを1個買えば、寿命が1時間減る。
宿屋に1泊すれば、寿命が1日減る。
働けば、給料として寿命が増える。
お金というものは存在しない。人は自分の命を使って、食べ物も、家も、服も買う。そんな世界で、僕は寿命徴収官をしている。
名前はルカ・アーベル。19歳。
寿命徴収官は、誰でもなれる仕事じゃない。王立時刻学院を卒業し、厳しい試験に合格した人間にしか与えられない特別な職業だ。高い給料に、立派な屋敷。普通の人間なら何十年もかけて稼ぐ寿命を、僕たちは1年で受け取れる。おかげで、寿命徴収官は誰もが憧れるエリート職だった。
ただし、絶対に破ってはいけない決まりがある。
徴収官は、自分の寿命を他人に渡してはならない。
寿命の売買を管理する僕たちが、自分の判断で寿命を渡せば、国の仕組みが壊れてしまうからだ。たとえ家族が死にかけていても、例外はない。
違反した場合は、即時処刑。
裁判も行われない。
寿命徴収官になった人間は、まず自分の命を最優先に守ることを教えられる。僕も学院で何度も聞かされた。
でも、僕にはどうしても理解できないことがあった。
公平公正たれ。
命を管理する仕事なのに、目の前で死にそうな人を助けてはいけないなんて。
それじゃあ、何のための寿命徴収官なんだろう。
まあ、そんなことを考えるのは、僕くらいだろうけど。
「お姉ちゃん! 起きてよ! ねえ、死んじゃ嫌だよ!」
小さな男の子が泣いていた。その腕の中には、白銀の鎧を着た女騎士が倒れている。白金色の長い髪を編み込んだ、背の高い女性だ。
名前はセラフィナ・ヴァルツ。22歳。
王立近衛騎士団の副団長を務める、優秀な女騎士である。けれど、今の彼女に騎士としての立派な姿はなかった。鎧は砕け、白いマントは血で染まっている。
胸元の命時計からは、弱々しい音が聞こえていた。
【残り寿命:00年00日00時間05分】
あと3分。
それが、彼女に残された命だった。
セラフィナさんは、孤児院を襲った魔物から6人の子供たちを守るため、自分の寿命を使って戦ったらしい。
寿命を魔力に変えることは、特別な訓練を受けた騎士にもできる。ただし、使った寿命は戻ってこない。
彼女は子供たちを守り抜いた。その代わり、自分の命を使い果たしてしまったのだ。
「お姉ちゃん、明日は僕の誕生日だよ!」
男の子が、涙を流しながら木の剣を見せた。
「約束したじゃん! 明日、一緒に剣の練習するって!」
「……ああ」
セラフィナさんは震える手を伸ばし、男の子の頭をなでた。
「すまない……」
「なんで謝るの?」
「自分は……約束を……」
彼女は最後まで言えなかった。男の子は何も知らず、必死に笑おうとしていた。
「僕、いっぱい練習したんだよ! お姉ちゃんみたいに強くなったら、今度は僕が守ってあげるから!」
「……そうか」
「だから、早く元気になってよ!」
セラフィナさんの青い目から涙が流れた。
「……すまない」
彼女は男の子を抱きしめた。
「……」
資料によると、セラフィナさんには、弟がいた。まだ幼かった弟は、姉のような騎士になることを夢見ていたらしい。けれど、ある日、弟は助けを求めた。誰かにつけられていると、何度も姉に訴えた。それなのに、セラフィナさんは忙しいからと、弟の話を聞かなかった。その日の夜、弟は誘拐され、殺されたらしい。
以来、彼女は誰も見捨てないと誓った。
騎士として人々を守り続け、危険な仕事も進んで引き受けてきた。そして今日、子供たちを守るために自分の命を使い果たした。
僕はセラフィナさんの命時計を見た。
【残り寿命:00年00日00時間02分】
あと2分。
セラフィナさんは唇をかんだ。
「生きたい……」
その言葉を聞いたとき、僕の頭に妹の顔が浮かんだ。
名前はエマ。
僕より5歳年下の、よく笑う女の子だった。エマは生まれつき体が弱かった。薬を買うために、両親は働き続けた。でも、ある日、父さんと母さんは寿命を使い果たして死んでしまった。残されたのは、僕と妹の2人だった。
僕は必死に働いた。
妹の薬を買うために、寝る時間も惜しんで働いた。
ところが、ある日。僕は悪い商人に騙された。
安く薬を買えるという言葉を信じ、貯めていた寿命をすべて渡してしまった。薬は届かなかった。妹は、僕の腕の中で死んだ。
『お兄ちゃん……』
今でも、あの小さな声を覚えている。
『エマ、まだ死にたくないよ……』
僕は何度も謝った。必ず助けると約束した。でも、何もできなかった。
エマは最後まで僕の手を握っていた。
『お兄ちゃんは……長生きしてね……』
それが、妹の最後の言葉だった。
僕は寿命徴収官になった。妹が生きていたら、きっと喜んでくれただろう。
ただ、ひとつ困ったことがある。
僕はあの日から、自分が長生きする理由を見つけられずにいた。妹を救えなかった僕が、何百年も生きて何をするんだろう。そんなことを、何度も考えた。
「セラフィナさん」
僕は腰から懐中時計を取り出した。
「僕が寿命を渡します」
彼女の目が大きく開いた。
「……何?」
「30年くらいあれば、あの子たちが立派な大人になるまで一緒にいられますよね?」
「……待て」
セラフィナさんが僕の腕をつかんだ。
「貴様……、寿命徴収官だろう……?」
「はい」
「ならば……わかっているはずだ……!」
彼女は必死に首を振った。
「自分の寿命を譲渡すれば……死刑になるのだぞ……!」
「そうですね」
「そうですね、ではない!」
セラフィナさんが叫んだ。
「自分を助ければ、貴様が殺されるのだぞ!」
「そうですね」
「ならば、なぜ……!」
僕は彼女の手を握った。僕は男の子を見た。
「嫌なんですよ。あの子に、僕と同じ思いをさせるのは」
僕は懐中時計を開いた。
【残り寿命:361年55日09時間42分】
長生きしたところで、エマは帰ってこない。
「寿命譲渡、30年」
「やめろおおおっ!」
セラフィナさんが僕の腕を引っ張った。けれど、もう遅かった。懐中時計から金色の光があふれ、彼女の胸へと流れ込んでいく。僕の寿命が、彼女のものになっていく。
【譲渡寿命:30年00日00時間00分】
カチリ。セラフィナさんの命時計が動き始めた。
よし。成功だ。
セラフィナさんの顔に血の気が戻っていく。
「お姉ちゃん!」
男の子が駆け寄ってきた。
「お姉ちゃん、元気になったの?」
セラフィナさんは震える手で男の子を抱きしめた。
「……ああ」
「もう死なない?」
「……ああ」
「やったあ!」
男の子が笑った。
「明日、一緒に遊べるね!」
セラフィナさんは何も答えなかった。男の子を抱きしめたまま、僕を見つめている。その目から、涙が流れていた。
「名前は?」
「ルカ・アーベル」
「……ルカ殿」
「はい?」
「貴様は……」
「僕が勝手にやったことですから」
そのときだった。空から、大きな鐘の音が聞こえた。
ゴォォォン! ゴォォォン!
僕は顔を上げた。空に巨大な金色の時計が浮かんでいる。その周りに、黒い穴が次々と開いた。寿命徴収官が違法に寿命を譲渡すると、王立寿命管理局に知らせが届く、とは聞いていた。
「……こんな感じなんだ」
黒い穴から、制服を着た男たちが飛び出してきた。
全部で12人。
全員、僕と同じ黒いコートを着ている。胸元には、金色の時計をあしらった紋章。王立寿命管理局の処刑部隊だ。
「違法な寿命譲渡を確認!」
先頭の男が叫んだ。
「対象は1級寿命徴収官、ルカ・アーベル!」
男たちは一斉に僕を取り囲んだ。
「王立寿命管理法第1条に違反! 被告の即時処刑を執行する!」
おお。仕事が早いなあ。僕は思わず感心してしまった。
処刑部隊の男たちが剣を抜いた。
「ルカ・アーベル! 抵抗すれば、その場で斬り捨てる!」
「抵抗しませんよ」
僕は両手を上げた。
「子供たちがいるので、できれば少し離れたところでお願いします」
「ダメだ」
「そうですか……」
処刑官が僕に近づいてきた。その手には、寿命を強制的に奪う黒い剣が握られている。
これで、終わりか。思っていたより、ずっと早かったなあ。でも、悪くない。妹を助けられなかった僕が、今度は誰かを助けられた。
「処刑を執行する!」
男が剣を振り上げた。僕は動かなかった。
「ルカ殿から離れろおおおっ!」
耳が痛くなるほどの叫び声が響いた。
ガキィィン!
目の前で、黒い剣が弾き飛ばされた。
「……え?」
セラフィナさんは僕を背中にかばった。白金色の髪を振り乱し、両手で大剣を握っている。彼女の青い目は、怒りで大きく見開かれていた。
処刑官たちが動きを止めた。
「セラフィナ・ヴァルツ! そこを退け!」
「断る!」
「その男は重罪人だ! 国家の法律を破った!」
「知っている!」
セラフィナさんが叫んだ。彼女は大剣を構え直した。
「この方は……自分を救うために、30年もの寿命を失った……!」
声が震えていた。
「そのせいで、殺されようとしている……!」
彼女は涙を流していた。
「全部……自分のせいだ……!」
「セラフィナさん、いいんです僕は……」
「黙っていてください!」
怒鳴られた。びっくりした僕は、思わず口を閉じた。
「最後の警告だ! そこを退け!」
「退かぬ!」
「国家に逆らうつもりか!」
「そうだ!」
セラフィナさんは迷わず答えた。
「この方を殺すというのなら、自分は王国を敵に回す!」
処刑官たちが剣を構えた。
「反逆者として処分するぞ!」
「好きにするがいい!」
彼女は大剣を振り上げた。
「ルカ殿は……、自分の命を捨ててまで私を救ってくださった。今度は自分の番であります……!」
僕は、その背中を見つめていた。さっきまで死にかけていた人が、僕を守るために剣を握っている。せっかく助けたのに、また危ないことをしている。
まったく、困った人だ。
「セラフィナさん、無理しないでくださいよ」
「こう見えて、自分は強いですから……!」




