天使 その1
『ベーカリー・ヘルズゲート』が村で少しずつ人気になり始めたころ――
ある朝。
ベルフェルは店の前で頭を抱えていました。
「……売れ残った。」
テーブルには大量のパン。
ショウタが数えます。
「うわ、めちゃくちゃ焼いたな。」
ベルフェルは真顔でした。
「“焼きたて感動キャンペーン”をやろうと思った。」
「勢いだけで経営するな。」
サヨはパンを見ながら言います。
「でも、おいしいのにね。」
そのとき――
ふわっ。
空から白い羽が落ちてきました。
全員が空を見上げます。
青空の中。
まぶしい光。
そして――
ひとりの“天使”が、ゆっくり降りてきたのです。
銀色の髪。
白い翼。
金色の輪。
そして、やたら神々しい。
ショウタが固まりました。
「……。」
サヨも口をぽかん。
「……。」
魔王が小さく言います。
「天界の者か。」
天使はふわりと着地しました。
そして静かな声で言います。
「見つけました。」
ベルフェルが青ざめました。
「……げっ。」
ショウタが振り向きます。
「知り合い!?」
天使はベルフェルを指差しました。
「元・契約悪魔ベルフェル。」
ベルフェルは目をそらします。
「いやぁ……。」
「無断退職しましたね。」
空気が凍りました。
ショウタが吹き出します。
「悪魔界にも無断退職あるんだ!?」
天使はきっちりした口調で続けます。
「あなたは現在、“魂回収部”から指名手配されています。」
サヨがびっくりします。
「指名手配!?」
ベルフェルは小声で言いました。
「ノルマがきつくて……。」
「理由になりません。」
天使はため息をつきます。
「私は監査天使エリシア。」
ピースケは静かにお辞儀しました。
「どうも。」
エリシアは周囲を見回します。
パン屋。
キャベツパン。
焦げたパン。
そしてエプロン姿の悪魔。
「……何をしているのですか。」
ベルフェルは少し胸を張りました。
「パン屋だ。」
沈黙。
風が吹きます。
エリシアは頭を押さえました。
「意味がわかりません。」
ショウタが笑います。
「オレたちも最初そうだった。」
するとそのとき――
ぐぅぅぅぅ。
大きなお腹の音。
全員がエリシアを見ました。
天使は静かに顔をそらします。
「……朝食を抜いただけです。」
ショウタが即答。
「天使も腹減るんだ。」
ベルフェルがニヤリとしました。
「パンを食うか?」
「結構です。」
ぐぅぅぅぅ。
「……。」
サヨがキャベツパンを差し出します。
「はい!」
エリシアはしばらく葛藤していました。
しかし――
「……少しだけ。」
もぐ。
その瞬間。
天使の目が見開かれます。
「……!!」
ベルフェルが腕を組みました。
「どうだ。」
エリシアは震える声で言います。
「……おいしい。」
ショウタが笑い出しました。
「またキャベツパンで落ちた!!」
エリシアは夢中で食べ始めます。
「ふわふわです……。」
「だろう。」
なぜか得意げなベルフェル。
ピースケは穏やかにその様子を見ていました。
するとエリシアがふと聞きます。
「……本当に、魂契約をやめたのですか?」
ベルフェルは静かにうなずきました。
「やめた。」
「なぜ。」
悪魔は少し考えます。
そして。
「……パンを食べたからだ。」
ショウタがまた吹き出しました。
「説明が雑!!」
でもベルフェルは真面目でした。
「人間を騙して奪うより、“ありがとう”と言われるほうが悪くなかった。」
エリシアは少し黙ります。
風が白い羽を揺らしました。
そのとき。
店の外から小さな声。
「パンください!」
前に来た男の子でした。
ベルフェルは少し驚きながら笑います。
「……いらっしゃい。」
男の子はうれしそうにパンを受け取りました。
「このお店好き!」
走って帰っていく姿。
エリシアはその背中を静かに見つめます。
「……。」
ピースケがやさしく言いました。
「悪魔でも、人を幸せにできるようですよ。」
エリシアは小さく息を吐きます。
「天界の報告書が混乱しそうです。」
ショウタが笑いました。
「絶対めんどくさい案件だな。」
すると――
ぐぅぅぅぅ。
またエリシアのお腹が鳴りました。
サヨが笑顔になります。
「もっと食べる?」
エリシアは少し迷ってから、
小さくうなずきました。
「……もう一つだけ。」
その日。
パン屋『ベーカリー・ヘルズゲート』には、
悪魔と天使が並んでパンを食べるという、
たぶん世界でもかなり珍しい光景が広がっていたのでした。




