第14話 スラッシュスパイダー
雲が天を覆い隠す薄雲の昼時。
湿った空気を肌で感じながら、東通りを歩き進めたノイルとシスリーは、ギルド前の噴水広場で足を止めた。
周囲を見渡すが、レンのパーティが見当たらず、シスリーが舌を打ち鳴らす。
「あいつら遅刻してんじゃねえだろうな」
「ちょっと早過ぎたか?」
ぽりぽり、とノイルが頭を掻くと、ギルド内からレンのパーティが現れた。
「ノイル! ナイスタイミング!」
手を振りながら歩みよるレン。ちょうど依頼の申請を済ませたところだったようだ。
「シスリーちゃん! 今日はお姉さんが守ってあげるから大丈夫だからね!」
「やめろよ! 守られなくても俺は戦える!」
背後からシスリーに抱きつき、頬を擦り合わせるミオン。口では嫌がるシスリーだが、まんざらでもない表情だ。
「ノイル、細かいことは歩きながら話すよ。とりあえず行こうか!」
そう言って、レンはメインストリートを歩き始める。
刃の調子を確認していたタルタは、短剣を腰元に納め、ノイルの肩に腕を回した。
「気楽にな!」
「が、頑張りましょう……」
ノイルは「頑張ろう」と言って、表情の暗いリクと、肩を組むタルタと共に石畳を踏み締める。シスリーとミオンはその後ろに続いた。
——
門を潜り抜け、薄曇りの空の下で草原を西へと進む。
今回の討伐目標である能獣『スラッシュスパイダー』の説明を、レンが道中に説明した。
能力は斬撃だ。
六本の腕が鋭い釜になっており、鋭い斬撃を放つ能力。それとは別に、本来の蜘蛛と同様に、張り付く糸を張り巡らせているようで、足場に注意する必要がある極めて厄介な能獣とのことだ。
「基本、前足の二本で斬撃を飛ばしてくる。攻撃のモーションが大きいらしいから、腕を振り上げたら相手の正面から回避。その直後が反撃のタイミングだから覚えといてね!」
レンのパーティは、この日に向けてかなりの情報を仕入れていたようだ。
真剣に説明を聞くノイル。だが、シスリーはミオンと話してばかりであまり聞いていない様子だ。
「シスリー、ちゃんと分かったのか? 腕を振り上げたら相手の正面を避けるんだぞ?」
「ちゃんと聞いてるって! 心配してんじゃねえ!」
「あっ、お口が悪い子になってるよ?」
「いいんだ。いつものことだから気にするな!」
相変わらずミオンとじゃれるシスリーに、ノイルは大きく溜息を落とす。
「お前なぁ……」
背中を丸めたノイルの反応に、皆が笑い声を上げた。
レンのパーティは、各々の武具のどちらかに能力を宿しているようだが、パーティメンバー以外に能力の詳細を尋ねるのは御法度。
二人も事前にルフィアから口止めされている。
リーダーのレンは、武器と防具の両方に能獣素材を使用しており、Cランクに上がる素質はあるようだ。
道中では、得意な武器や戦闘スタイルに合わせて作戦を練り、他の能獣を避けながら歩みを進めた。
気づけば街が小さく映るほどに。
天を覆う雲は徐々に分厚くなり、間も無く降り出しそうだ。
——
少し肌寒い風が吹き始めた頃、草原から大きな岩が多く飛び出した岩石地帯へとやってきた。
「この辺りだ。みんな、警戒して進もう」
レンはそう言って、腰に刺した武器を構える。それを合図に、皆も武器を手に取った。
雰囲気はがらりと変わり、一瞬にして緊張感が張り詰める。
「なんだ? 緊張してんのか?」
ノイルの強張った表情を見たタルタが笑顔で声をかけた。
「ああ、少しな……。どんなやつか、全く想像がつかねえ」
「無理もないよ。ノイル達はレベル3の能獣、初めてだもんね。でも、安心してくれ! 俺達、結構強いからさ!」
レンが優しくフォローを入れる。
「ノイルは意外とビビリだからな!」
シスリーはいつも通り、戦いたくてうずうずしている様子。だが、最も表情がくらいのは獣人のリクだ。
シスリーの表情を見るたびに、視線を地面に埋めている。それに気づいたノイルは、僅かに気持ちを強く持てた。
警戒を強めて、周囲を見渡しながら蜘蛛獣を探す六人。すると、戦闘を歩くレンの足が不自然に止まった。
「大丈夫?」
ミオンが後ろから尋ねると、レンは真剣な目つきに変わった。
「近くにいるよ」
レンの足元を見ると、白い糸の塊に足を取られていた。
足を引っ張って抜け出そうとするが、粘着が強く、すぐには外せない。
周囲を見渡すと、そこかしこに糸の塊が散りばめられてある。
「みんな、足元に警戒して進もう」
レンが声をかけた途端、前方の地面が捲れ上がり、巨大な蜘蛛獣が凄まじい速度で飛び出した。
同時に振るわれた蜘蛛獣の右腕。
レンは咄嗟に剣で受け流す。
その直後、左腕が振るわれる。
「危ない!」
ノイルの声で、後ろへと飛び跳ねたレン。
ヒュンッ、と鋭い風切り音が短く響く。
六人は距離を取るように、瞬時に後退。戦闘体制に入った。
蜘蛛獣は、全身が灰色と黒の毛でシマシマに覆われており、六本の足先は、刃物のように鋭く尖っている。その中でも、前足の二本は半分以上が鎌のように発達していた。
八つの紅い眼光は、様子を伺うように六人を睨みつける。
「リク! シスリー!」
レンの合図で放たれた二本の矢。だが、硬い前足にあっさりと防がれる。すると、蜘蛛獣の右鎌が緑の光を放ち、大きく振り上げられた。
「避けろ!」
レンの声で、シスリーとミオンとタルタは左に、残りの三人は右に展開。
その直後、振り下ろされた右鎌。
緑の斬撃は、六人の間を切り裂く。
一閃が過ぎた地面は、深く切り込みが刻まれる。
左右から瞬時に飛び出したレンとタルタ。
淡く光った二本の剣身は、二本目の両足に命中。
「ミオン!」
レンの声が響くと、ミオンの槍が長く伸び、蜘蛛獣の胸部を突き刺した。
『シィユユユユッ!』
叫び声を上げた蜘蛛獣。その途端、その場で回転するように前足を振う。
ミオンの槍が外れ、レンとタルタは剣で防ぐ。だが、重たい攻撃は二人を吹き飛ばした。
二本目の足は、左は浅い切り込み。レンが切った右は、焼けたような深い切り込みが入っていた。
リクが再び矢をしならせ、天を目掛けて放つ。
淡い光を纏った矢は、上空で不自然に軌道を変え、蜘蛛獣の背を刺す。だが、分厚い毛に阻まれ、傷は浅い。
緑光を纏ったり左鎌を振り上げた蜘蛛獣。
そこを狙っていたシスリーが矢を放つ。
『シィユユッ!』
矢はミオンの槍が刺さった傷口へと突き刺さり、鎌の緑光が消滅。
「ノイル!」
シスリーの声で、剣を担ぐように振りかぶって走り出したノイル。その額の布からは光が漏れ出す。
「うぉおおおおっ!」
振り下ろされた刃は左鎌に命中。
『ドオォンッ‼︎』
衝撃音が響き、蜘蛛獣の左鎌が粉砕。
砕けた鎌の粒が飛散した。
『シィユユユユッ‼︎』
明確に怯む蜘蛛獣は後退り。
その威力に顔を見合わせたレンのパーティ。言葉なく頷いたその途端、後方からミオンが飛び出す。同時に、タルタも駆け出した。
蜘蛛獣は右鎌を振り上げ、ノイルを狙う。
避けきれない。
ガード体制に入ったノイルへと振り下ろされた右鎌。
直撃する寸前、背後から槍が飛び出し、眼前に鎌が止まる。
小刻みに震えた槍は、ゆっくりと鎌を押し上げていく。
「タルタ!」
ミオンの声で、目の前に現れたタルタ。
瞬時に飛び上がり、蜘蛛獣の三つの眼球を破壊。
『シィユユユユユッ』
蜘蛛獣が怯んだ隙にノイルが後退。
その間も、絶え間なく放たれ続けた矢は、一つ、また一つ、と紅い眼球を貫く。
残った目は二つ。
視界がままならない蜘蛛獣は、その場で雑に右鎌を振り回す。
足元を駆け回りながら、順に足を切り裂くタルタ。
攻撃は浅いが、蜘蛛獣の動きが明確に鈍くなる。
「レン、いまだ!」
タルタの叫びで、走り出したレンは蜘蛛獣の正面へと飛び出す。
振りかぶった剣の刃は、真っ赤に変色し、強い光を放っている。
「はぁああああっ!」
レンから繰り出された渾身の一撃。それは、蜘蛛獣の腹を切り裂いた。
『シュイイイイイッ!!』
緑の血液が吹き出す。
深い傷跡は焼けこげ、赤いコアが露出。
その周囲の毛からは炎が上がり、蜘蛛獣の腹に広がっていく。
「ノイル!決めろ!」
剣を強く握り直し、コアを目指して一直線に走り出したノイル。額から淡い光が漏れ出し、剣身にオドが流れ込む。
同時に振り上げられた蜘蛛獣の右鎌。
踏み込みが遅れれば、即死だ。
(ビビってんじゃねえ!)
額に汗を滲ませながら、正面に飛び出したノイル。
駆ける勢いのまま、強く一歩を踏み出した次の瞬間。
「えっ……」
レンの掌が、横切ったノイルの肩を突き飛ばした。
息を呑んだノイル。もつれた足の軌道が逸れた先は糸の塊だ。
足が取られ、体制が大きく崩れる。
地面が迫る視界。その隅には、振り下ろされた右の鎌が映り込んだ。
(終わった……)
死が脳裏に過ったその途端、ノイルの瞳に世界がゆっくりと映る。
「ノイルゥウウウッ!」
背後から響くシスリーの声。
(まだ死ねない)
その瞬間、剣を強く握り締めたノイルは、倒れながら咄嗟に剣を横に振るった。
『キンッ!』
切先が剥き出したコアを捉えた。
恐怖で固まった体が、死の淵で反射的に動いたのだ。
『ドオォオンッ!』
繰り出した一撃の風圧で張り付いた糸が解け、後方に吹き飛ばされたノイル。
草原を勢いよく転がり、飛び出した岩に衝突。
純白の髪は、額から溢れ出し血液で赤く染まる。
「いってぇえ……」
絞り出すような呻き声を落とす。
なんとか意識を保ったノイルは、横になった視界で状況を確認。
蜘蛛獣は既に蒸発しており、溢れ出したオドがノイルに流れ込む。すると、朦朧とした意識がはっきりと戻った。だが、頭部の痛みが酷く、頭を抑えるのが精一杯だ。
その時、レンの笑い声が鼓膜に触れた。
「いやぁ、ノイルもなかなかやるね!」
徐々に迫る足音は頭上で止まる。
押されたことを思い出したノイル。蒼い瞳孔が震え始めた。
その時、目の前にレンの顔が飛び出した。
「生きてる? おぉい、ノイル?」
屈み込んで、ノイルの顔を覗き込んでいたレンは、溜息を落とすと共に立ち上がった。
「無視すんなよっ」
横たわるノイルの腹に、蹴りが入る。
「どぇっ……」
ノイルの口から唾が飛散。その姿に、レンは大胆に笑った。そして、再び屈み込み、赤く染まった純白の髪を鷲掴みにして微笑む。
「神様と同じ髪色とか、バチが当たらないか心配になるよ! なんてねっ!」
その途端、シスリーの怒号が響く。
「テメェ! 死ねよ、カス野郎!」
弓を強く引いた直後、ミオンが背後から槍の柄で、シスリーの首を絞めた。
「シスリーちゃん。大人しくして」
「くっ……おぇあっ」
紫紺の瞳からは涙が溢れ出した。
「おい、ミオン。殺すなよ」
タルタがそう言うと、ミオンは槍を緩めた。
その場に蹲り、激しく咽せ返るシスリー。
「ちくしょ……」
頬から滴り落ちた涙は、土を色濃く変えた。
「なんでだよ、レン……。お前ら、何が狙いだ」
ゆっくりと立ち上がろうとするノイル。レンはその胸ぐらを掴み上げて、立たせた。
「能獣装備、譲って欲しいなぁ! 特に、シスリーちゃんの弓! 君はヘッドゴートのはずだけど、あの溜め時間であの威力。何が他に隠し持ってるの?」
レンのパーティは、シスリーの弓を狙っていたのだ。
「くそ野郎……」
答えないノイルの腹に拳を捩じ込んだレンは、その場にノイルを落とした。
「もういいや。めんどくさいし、能獣に殺されたってことでやっちゃおうか」
まんまと信用してしまったノイル。
この状況を作り出したのは自分に原因がある。そう思い、なんとかシスリーだけでも助ける方法を考えた。だが、まともに体が動かず、岩にもたれ掛かるように座り込んだまま動けない。
無力な自分に怒りすら湧かなかった。
数少ない大切な人すら守ることが出来ない現実が、過去の後悔を呼び覚ます。
(もっと訓練しておけば、守れたかもしれない……)
後悔しても、もう遅い。
記憶を失ったノイルの脳内に、新しくできた思い出が溢れかえる。
(ごめん、シスリー。ごめんな……。ルフィア、ごめんなぁ……)
涙に滲んだ視界で、蹲るシスリーを見据えた。
(創造神でも何でもいい……。シスリーを救ってくれ)
「頼む、誰か……」
「ボソボソ喋ってんじゃねえよ!」
レンの蹴り出された足は、ノイルの頬を捉えた。
強く願った思いは、ポツポツ、と降り出した雨に溶け込んだ。




