第参拾玖話/新生光の団
ヒカリカが目を覚ますと、ファイは隣のベッドで涎を垂らしながらすやすやと、ガルシャはいつも通り床の上で剣を片腕に抱いて眠っていた。
「微笑ましい朝だね」
にっこりと微笑み、ファイの涎を拭いてからベッドを降りる。
軽く身だしなみを整えると、ヒカリカは椅子に腰掛けペンを走らせはじめた。二通、手紙を書き上げる。
「我ながら二年のブランクがあるとは思えない達筆だ」
自画自賛しながら手紙の上に重りを置き、ガルシャとファイの額に口づけを落としてヒカリカは小屋を後にした。
「お幸せに」
そう言い残して。
この二年、ガルシャと共に旅をしながら悩んだ末に、光の団の悲願をもう一度追いかける決意を固めた。
また旅をしながら仲間を集め、その仲間たちと共に新しい国をつくる。ただでさえ夢物語にも等しいその本懐は、前回よりも叶えることが難しくなっているだろう。
というのも、ヒカリカが著しく弱体化しているからだ。古今無双の剣姫は、もうどこにもいなかった。
小屋を出てから二十歩ほど歩いた頃合いに、ヒカリカはなにかにぶつかった。しかし、正面にはなにもなかった。
もう一度、一歩踏み出してみる。
やはり進めない。見えない壁がある。
「妖精奏術です」
背後から声を掛けてきた人物が誰かは確認する間でもないだろう。
振り返って、ヒカリカは軽く面食らった。隣に〝元〟弟子の姿もあったからだ。
「おはようふたりとも。すまないね、起こしてしまったかい?」
「なんだこの手紙は」
ヒカリカの軽口に取り合うことなく、ガルシャが不機嫌な顔で手紙を突きつけてくる。
そこに書かれていることはどちらもおおむね同じで、旅の離脱を決断するに至った経緯と、これまでの感謝が綴られている。
「心はずっと側にいる、ってなんだよ。ふざけてんのか?」
「……ふぅ。立つ鳥跡を濁さずとはいかないみたいだ」
肩をすくめ、ヒカリカはいつもと変わらない微笑みをたたえて言った。
「冗談じゃないよ。私はこれからひとりで旅をし〝新生光の団〟を結成する。そして、光の団の悲願を遂げるんだ。私の国ができるまで、ふたりは手紙に記してある街で穏やかに暮らしたまえ。身の安全は私が保障する。次に逢うとき、新たな生命が育まれていればなお良しだ」
「本気で言ってるのか」
「うん、本気だよ」
「……そうか。なら仕方ねぇな」
つぶやくと、ガルシャは剣を抜いてヒカリカに突きつけてきた。
「師匠が俺を置いてくってんなら、俺は皇国に加担し敵になる」
「え? 本気で言ってるんですか?」
戸惑うファイに、ガルシャは「二言はねぇよ」と強く言い切ってみせる。
「俺を旅に連れていくか、ここで俺と殺し合うか、それとも俺と殺し合う将来を先延ばしにするか。選択は師匠の自由だ。……と、ひとつ説明が足りてなかったな。師匠がどの選択をしようが、ファイにはじきに妖精奏術を解いてもらう。閉じ込められることはないから安心しろ」
「ガル、君は勘違いしているよ。この場における強者は君ではなく私だ」
言うが早いか、ヒカリカはガルシャに矢の如き速さで迫った。
彼が次の一手を探っているうちに、足を薙ぎ払って大の字に転倒させる。腹部にまたがり、あっという間に立場は逆転した。
「では四つ目を選択させてもらおう。大人しくファイと幸せになりたまえ」
「なに勘違いしてる。師匠の負けだぞ」
ガルシャが剣を握る左手を動かす素振りをみせる。ここからなにをするというのか。その一瞬の隙を縫って、彼はヒカリカの顔の前に右手を運んできた。すかさず手首をつかむ。弾き出された中指がヒカリカの額に軽く触れた。
「俺にデコピンされたらなんでも頼みを聞く。師匠が言ったことだ。約束は守ってもらうぜ」
(あぁ、そんな約束をしたこともあったなぁ)
そんな過去の話を今さら持ち出してくるとは、と弟子の記憶力に感心すると同時、ここからどうしたものか、と頭を悩ませてしまう。
口の軽い師匠であっても、嘘つきな師匠にはなりたくなかった。けれど、愛する弟子をこれからも苦しませるのはもっと嫌だった。
――そんな風にヒカリカが他事に意識を割いていたために、ガルシャは力任せに身体を起こし、マウントポジションから逃れることができた。
二年前ならこうはいかなかった。あの頃、手の届かない頂にいると思っていた剣姫が、今は自分と変わらないひとりの人間に思える。
泡を食って後ろに体勢を崩すヒカリカを、ガルシャは胸に柔らかく抱き寄せた。
「二度も見失ってたまるかよ」
「……この二年、私がどんな気持ちでいたか君にわかるかい?」
その声は弱く、そして幽かな苛立ちを含んでいた。
「ガル、君はもう〝旧友殺し〟でいる必要はないんだ。その名はこれから私が背負っていく。だからファイと日常に戻るんだ。……私はもう、君が私のせいで壊れる姿を見たくないんだよ」
「そいつは違うぜ。俺はヒカリカのためじゃなく、自分の意思で、この先も〝旧友殺し〟で在り続ける道を選んだんだ。それによ、人を殺めることで俺が壊れたってんなら、それはヒカリカも同じことが言えるんじゃないか」
目下の銀色をそっと撫でる。
小刻みに肩を震わせる彼女がどんな表情をしているかは、おおよそ察しがつく。それは同時に、まだ彼女が護れる存在であることを証明していた。
心が正常で無ければ、涙は流れないから。
「師匠に護られる弟子じゃない。ヒカリカを護る仲間として、旅に同行させてくれ。俺はさ、俺の信じたヒカリカの正義が行きつく先をこの目で見届けたいんだ」
そうすればきっと、これまで殺してきた仲間たちも報われる。
彼らの命の破片は、今もガルシャの琥珀の瞳の中に宿っている。
「……嫌だって言ったら?」
「このまま抱き締めつづける。生憎、ヒカリカの老衰に反比例して俺は成長してるんでね。力勝負で俺に勝つのは諦めたほうがいい。ま、殺すってんなら話は変わってくるけどな」
「……馬鹿な弟子だ」
呆れたように笑うと、ヒカリカはガルシャの頬を両手で挟み、唇を押し当ててきた。
「すまないね、ガルを愛おしく思う気持ちが抑えきれなくて行動に移してしまったよ」
ヒカリカは頬を仄かに赤く染め、照れくさそうに微笑んだ。募る羞恥に耐えかねてガルシャは明後日に目を逸らす。視線の先ではファイがぽかんと口を開けていた。
「では改めてお願いしよう。ガルシャ、ファイ、この絶望に満ちた世界に光をもたらす手伝いをしてくれないかい?」
ヒカリカが手を差し伸べてくる。
今の世界は絶望に満ちている、というのはヒカリカの主観であり、別の誰かにしてみれば、今の世界は希望に満ちている、とも解釈されるのだろう。
正義は悪でもあり、悪は正義でもある。
満場一致の正義は空想でしかないのだ。
「あぁ、喜んで」
「わたしでよろしければ」
ヒカリカの正義を信じ、ガルシャとファイは彼女の手を掴んだ。
「お~い、朝飯の、魚、獲って、はぁはぁ、来たぜっ」
バケツを重たそうに持つホッケルンが、不安定な飛行でこちらに向かってくる。
ファイの妖精奏術で魚を焼いて食べた後に、〝新生光の団〟は理念に賛同する仲間を求めて、あるいは皇帝の傀儡となった旧友を殺すために、次なる街へと歩みを進める。
旧友殺しの旅は続く。
己が満ち足りる、その日まで。
―FIN―




