進化の原書
シンっと静まり返る。
誰もが今見ている光景を信じられなかった。
少し遠目からでもわかる明らかに伸びた八重歯…紅い瞳…そして、種族思想でしか見ることのできない黒い翼…。
そう、それがただの亜人ならなんの違和感も無かっただろう。
しかし、その存在は人間である者…『伊坂井 神刀』だったのだ。
実はハーフだったのか…しかし、そんな話はない。
いや、あり得ない。
それなら彼が6組から始まるわけがないのだ。
そう、それこそ例え能力が低かったとしてもだ。
本が消える。
その瞬間、神刀は顔を上げる。
その目は死んじゃいない。
そう、諦めや敗北…そんなものがない。
「そうだよ…いつも予想外のことをしてくれる」
セニアは笑う。
そして、水蒸気爆発が…防がれる。
予想通りだったのかセニアは笑って走り出す。
辺りが炎に包まれる。
そして、再び氷のフィールドが作られる。
パチンッ
とセニアが指を鳴らす。
その瞬間、セニアの影が動き出して神刀を貫かんと迫り来る。
その数は氷柱によってできた影と同じだけの数。
しかし、この場の誰もの予想を裏切る。
防ぐ訳でもない…避ける訳でもない…迎え撃つなんて以ての外…ならば…何か?
全てぶつかりに行く。
そして、その影を逆に支配して神刀から離れる。
次の動きを読めないわけでは無かった。
しかしセニアは動けなかった。
何故なら読みとは違うことが来るとは誰も思わなかったからだ。
影を使う訳でもなく神刀は人とは思えない身体能力で紅い剣を握ってセニアの後ろに回り込む。
「嘘、これじゃまるで…」
セニアは驚きを隠せない。
そう、別に影以外の攻撃だから動けなかった…それだけな訳がない。
認識がズラされる。
そう、まるで本物の『吸血鬼』みたいに。
セニアの腕に衝撃が走る。
防御もできない…周りの影も血も支配権が完全に神刀に回っている。
防げるわけがない。
いや、それ以前に攻撃される瞬間でさえセニアは認識をズラされていた。
セニア自身の力は強く、身内にもセニアに対して幻覚を使えるものはいなかった。
それなのに簡単にハマってしまう。
何故?
セニアはここで初めて混乱する。
しかし、それでいても刻みつけた肉体は冷静だった。
すぐに能力を使い反撃を開始する。
しかし、やはり認識がズラされる。
それに対抗して自然と素直にセニアは幻覚を使用していた。
何故かわからない…でも、セニアの中で使わなくていけないような気がした。
このままだと勝てても負けたような気がしてまうような気さえしていた。
(あー、そっか…)
その瞬間、セニアの中で全てがどうでもよくなる。
今、目の前のことだけを見ていた。
「だから、やめられないんだよ…楽しいんだよ!」
笑う…その瞬間、破壊が巻き起こる。
天変地異…太陽の顕化と呼べる炎が辺りを飲み込まんとする。
しかし、すぐに認識がズラされる。
炎があらぬ方向に飛ぶ。
それでも、セニアは止めない。
「まだまだぁ‼︎」
炎が膨張する。
爆発が起きる。
しかし、神刀の障壁は削れない。
見事に『月詠』で反射される。
氷が辺りを包み込む。
そして、神刀の身体を少しずつ凍らせて行く。
それでも、止まらない。
「炎の原書」
その言葉とともに氷を溶かす。
太陽の顕化と比べれば弱い…しかし、簡単に氷が溶かされて行く。
雷撃が辺りを焦がす。
地面を伝い空気を伝い…石をも武器として神刀を責め立てる。
それじゃ足りない…それじゃ意味がない。
影が全てを阻む。
そして、『純発』で全てを打ち消される。
影が神刀を貫きに放たれる。
しかし、次は握りつぶされる。
セニアはそれを見てより走り出す。
紅い剣同士がぶつかり合う。
お互いの剣技の技量だけ…最早、純粋な能力じゃ決着はつかない。
神刀自身は血を摂取していない。
それなのにも関わらずセニアと同レベルの動きと力を有していた。
恐らくこれは『奇稲田』であろう。
徐々にだが絶対的な優位性のあったセニアが追い詰められて行く。
しかし、それでもセニアは止めない。
水蒸気爆発が大量に発生する。
雷撃の槍が飛ぶ、影の針が伸びる、炎が真っ白に煌めく、氷が静寂として支配する。
しかし、どれもが握りつぶされる。
真正面から堂々と…全力で…
何度だって試す…何度だって戦う…何度だって立ち上がる。
その瞬間、手応えが現れる。
一瞬だけ、神刀の意識をズラした。
しかし、一瞬だけ…今、セニアより反応速度が高い神刀には少しも届かない。
それでも構わない…僅かな希望が残っている。
セニアはそう考えて血で鎖を作り出す。
再びズレる。
でも、確信のようにあらぬ操作をする。
その瞬間、神刀の動きが止まる。
鎖が神刀の進路を塞ぐように立ち塞がる。
まるで認識がズラされていないように…。
そう、セニアは目と鼓膜…そして、嗅覚と味覚を脳の機能から無理やり断ち切ったのだ。
そして、別の感覚をより澄ませている。
故に圧倒的な情報処理能力と研ぎ澄まされた鋭敏な感覚…吸血鬼という種族そのものがそもそも高い能力。
故にその圧倒的なポテンシャルでズラされた感覚を無理やり修正して、圧倒的な反応速度を作り出している。
認識をズラす。
完璧に決まる。
神刀の体制を崩すように鎖が神刀に巻きつく。
そして、一つの太陽がセニアの掌の上で煌めく。
「メガ…『ギガフレア』!」
一瞬の収束が嘘のような巨大な炎が神刀を飲み込む。
爆音が観客の耳をも壊す。
そして、炎が収まる。
轟音と光…誰もが感覚が狂った状態で会場を見つめていた。
目の前に広がる光景は中心から広がる焦げ跡と残れ火だった。
そこに佇む少女…セニアと少年…。
誰もが息を飲む。
この光景を見たのは一体何人だろうか?
「そうだ…ずっと不思議だった。
なんでこの環境で怪我があるの…」
セニアの疑問…その目に映るのは…
完全に焦げて炭化し始めてる神刀の右腕…。
違和感しかない…しかし、不可能ではない。
しかし、それを理解しようと考えようとする者はいない。
試合用に覆われている障壁を一瞬だけ操作して右腕だけ無くすなんて馬鹿げたことを実行しようとする人間は恐らくいないだろう。
セニアは一瞬だけ真空を作り出す。
鎌鼬…真空を作り出すことによって神刀身体を刻もうとする。
しかし、目の前にある現実はさらに予想外の現実…。
神刀は左手の障壁を退ける。
そして、鎌鼬を直接握る。
その瞬間、血が舞う。
誰もが唖然とする。
見えてる者たちは信じられないものを見たというように…先ほどの炎で見えてない者達の中には血に敏感なものもおり、動揺が隠せていない。
そして、神刀は走り出す。
拳を握りしめる。
そして、左手を伸ばす。
セニアは左手を弾こうとするが思うように体が動いていなかった。
そして、セニアのお腹の辺りに左手がぶつかる。
「『直接武器生成』」
セニアにとんでもない衝撃が走る。
一度ではない、一瞬の間に何千度という衝撃が走り続ける。
反動で吹き飛ばされたセニアは反撃しようと紅い剣を構えて走り出す。
そして、神刀に迫る。
しかし、彼は動かない。
横薙ぎの一線が神刀を切り裂こうとした瞬間だった。
それを避けられる。
なんの脈絡もなく、倒れるかのように…
「うそ…でも、次!」
セニアが次の攻撃に入ろうとした瞬間、吹き飛ばされる。
それこそ、とんでもなく強大な力に…。
「もう決着は着いているぞセニア」
そう言って現れたのはグラフトだった。
その意味をセニアは理解できなかった。
しかし、よく見ると神刀は気絶しており、この状況だと自分が勝利だと思う。
しかし、なぜなんのコールがないのか…
「仕方ないだろ…流石にお前のあの炎の爆音と光に耐えられる審判じゃないんだ。
それと、勘違いすんなよ」
それでセニアは納得する…しかし、最後の言葉が引っかかる。
何か自分が勘違いするポイントがあったのか分からなかった…
いや、正確には気づけなかったのだ。
何故なら、この状況で終わりだって誰も思えないのだから…。
「最後にお前に当たった攻撃…あの瞬間でお前の障壁は破壊されている」
そう、たったの一撃…最後の神刀の傷付いた左手…。
その瞬間、気付いたあの攻撃の正体に…。
彼の血からできた武器だったのだ。
紅い剣は自分の血を使えばより強力な力を発揮する。
それと同じように自分の血から武器を作ればより強力な力を発揮するのは当然である。
要するに神刀が鎌鼬を防いだ時点でセニアの負けは確定していたのだ。
「参ったよ…次はこんなイレギュラーな戦いはしたくないかな…」
セニアは参ったというようにそう言うと素直に負けを認めて会場から去っていく。
そんな密かな状態で今日の序列戦は審判できる人がおらずにこの先の試合も中止となって終わることになったのだった。
**
序列戦が終わって数日後…俺こと伊坂井 神刀は包帯の巻かれた左手と左腕を見て苦笑いを漏らす。
現在、進路指導室でグラフト先生と向かい合って話していた。
「えっと…もう一回聞かせてもらっていいか伊坂井」
ちなみに俺の能力について今は話していてた。
あまり記憶にはないが俺は先日の序列戦で吸血鬼のような姿になったのは覚えている。
その件で調べたことを今話していたのだが、聞き返されると困るものだ。
「いや、だから…能力の昇華…いや、正確には進化が起きまして『可能性の原書』の能力に種族思想の変化ができるようになったんです」
「なるほど…理解できん。
まぁ、先ほどまでの話から要約するに一時的に亜人になると言うことか?」
「まぁ、多分それです」
実際、俺もあまり理解していない。
正確には種族思想…要するに根本的な十六夜の性質を変化させて吸血鬼などの能力を使えるようにしてるだけなのだ。
しかし、だ。
「そして、能力が増えたはいいがどうやって使ったかわからないだって?」
「は、はいそうです」
そう、今までの超能力とは違い一朝一夕でどうにかなるものではなかったのだ。
何度か試してるが本を出してる出してない関係なく使えない。
要するに覚醒したにも関わらず覚醒前とほとんど変わらない状況なのだ。
まぁ、何度か成功例があるが全部、種族思想が本当に使ってるか怪しいくらい微弱程度しか発動できなかったのだ。
「まぁ、どうせその怪我なら無理もできないだろう?」
「あはは、バレました」
そう、俺は今しばらくの間、保険医の先生に序列戦を禁止されていた。
それでも、参加しなかったら順位は下がっていく一方である。
夏休みまでは無理って…それはないだろうと思ってしまうほどだ。
「まぁ、その程度で済んだんだラッキーだと思え。
500年前なら炭化した腕なんて完治どころか治るかどうかすら怪しかったらしいからな。
それと順位に関してはお前が元6組だった関係上、少しだけ便宜を図ってくれるそうだ」
「本当ですか!」
どうやら、順位に関しては気にしなくても良さそうだ。
と言うことは俺のすることは一刻も早く自分の怪我を治すことだろう。
「それで、お前はどうするんだ?」
「え、何をですか?」
急な質問に俺は驚く。
しかし、グラフト先生は至って真面目な雰囲気だった。
「当主の件だよ…早速、お前の家から連絡があった」
「え?」
どうやら、まだしばらくの間は休めないかもれない。
あれ、なんかノリが変わったような…気のせいかな?




