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大正殉恋録  作者: 猫塚ルイ


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第6話

鏡像の迷宮から命からがら逃げ延び


現世へと吐き出された私たちは、銀座の冷たい石畳の上で泥のように伏していた。


先ほどまでの異空間の静寂を塗り潰すように、帝都の喧騒が戻ってくる。


市電の走る音、人々の笑い声、遠くで鳴る警笛。


けれど、私の目には、あの鏡の中で界人さんに生き写しの青年が


私と同じ顔をした少女を非情に刺し貫く凄惨な光景が、網膜に焼き付いて離れなかった。


「……戻るぞ。これ以上、外にいるのは危険だ」


界人さんの声は、低く、刺々しいまでに冷え切っていた。


彼は倒れ込む私を抱き起こそうとも、その震える肩に手を添えようともしなかった。


ただ、軍靴の音を非情に響かせて背を向け、迷いなく歩き出す。


その歩調は、先ほどまでの「デート」で見せていた迷いのあるものではない。


獲物を追い詰め、冷徹に処理する準備を整えた番犬のそれだった。


連れ戻されたのは、官舎ではなく


陰陽局の最深部──地下深く、幾重にも及ぶ封印の先に鎮座する「忌蔵いみのくら」。


そこは、帝都の闇を封じ込めてきた忌まわしき呪物や、文字に起こすことさえ許されない秘録が


カビと墨の匂いと共に眠る、呪われた地下書庫だった。


「界人さん、ここは……」


「……俺が、幼い頃から囚われてきた場所だ」


彼は重い鉄の扉を軋ませて開け、埃の舞う室内へと私を促した。


奥にある黒檀の机の上に、彼は大切に保管されていた一葉の古びた写真を置いた。


セピア色に褪せ、角がわずかに剥げかけた明治初期の銀塩写真。


そこに写っていたのは、しんしんと雪の降る寂れた庭園で


あどけなく、けれどどこかこの世の果てを見つめるような瞳で淡く微笑む一人の少女の姿だった。


「っ……!」


私は、自分の喉が引き攣るような音を立てるのを感じた。


そこに写っているのは、鏡の中で見たあの少女


そして、鏡越しに何度も見てきた、今の私自身と瓜二つの容姿。


燃えるような赤い髪を丁寧に結い上げ、儚げに佇むその姿は


まるで私自身の魂が過去に置き去りにされた姿を見ているかのようだった。


「俺は、物心ついた時からずっと、同じ夢を見てきた」


界人さんが、写真に映る少女の瞳を見つめたまま、自分自身に言い聞かせるように語り出した。


「一面の雪景色の中で、震える声で俺の名を呼ぶ少女の夢だ。会ったことも、話したこともないはずなのに、その声だけが四六時中耳に残り、その燃えるような赤い髪だけが目に焼き付いて離れなかった」


「……俺は、ずっと彼女を探していた。この写真の少女こそが、俺の『初恋』であり、いつか救い出さねばならない運命なのだと、今日まで信じてきたんだ」


彼の紫苑の瞳に、わずかな熱が宿る。


それは、冷徹な陰陽警察官がひた隠しにしてきた、唯一の「人間らしい」純粋な感情の欠片。


けれど、彼は自嘲するように、苦々しく唇を歪めた。


「だが、さっきの鏡が真実を告げているのだとしたら……俺が二十年以上恋焦がれていたのは、俺の先祖がこの手で屠ったはずの『大あやかし』そのものだったということだ」


「……雲雀、お前がその惨劇の生まれ変わりなのだとしてもな」


「私は……、私は、おじいちゃんに拾われただけの…ただの人間じゃ、ないってこと……?」


震える声で問いかけた瞬間だった。


部屋の空気が、逃げ場を塞ぐような圧倒的な重圧に包まれた。


導かれるように、私の右手が無意識に写真をなぞる。


その瞬間


写真の中の少女の瞳がカチリ、と、あの時計の秒針が回る音と共に、禍々しい「赤色」に発光した。


『──そうよ。愛しい人。やっと……やっと、気付いてくれたのね』


脳内に、私のものではない


艶めかしくも背筋を凍らせるような女の声が響き渡った。


『その少女は、ただの器。私が再び貴方に愛され、再び貴方を壊すために用意した、冷たい寝床に過ぎないわ』


突如、私の身体の芯から


銀座で見せたものとは比較にならないほどの、漆黒を帯びた「緋色の炎」が噴き出した。


炎は壁の呪符を一瞬で灰に変え、書庫の澱んだ冷気を一気に沸騰させる。


私の意識が急速に遠のき、内側から「誰か」が扉をこじ開けて出てくるような感覚。


身体の主導権が、泥のようにドロドロとした意志に奪われていく。


「雲雀、正気を保て! 飲み込まれるな!」


界人さんの叫びが、遠く、水底から聞こえるかのように霞んでいく。


彼は瞬時に軍刀を抜き、私へと向けた。


その瞳に宿っているのは、幼い頃から夢見た少女への揺るぎない思慕か。


それとも、今まさに目の前で覚醒し、帝都を灰に帰そうとしている「不倶戴天の敵」への殺意か。


「……愚かな人。百年前と同じね。愛していると囁きながら、最後には私をその冷たい鉄で貫くのね?」


私の唇が、私の意思とは無関係に勝手に吊り上がる。


私の声ではない、もっと古く、深く、そして残酷な憎愛の響き。


魂の奥底、厳重な封印のさらに向こう側に潜んでいた「伝説のあやかし」が


界人の純真な初恋という皮肉な絆の糸を手繰り寄せ、ついに現世に最悪の産声を上げた。


「退け、界人! 今のお前の前にいるのは、雲雀ではない……っ!」


官舎、そして陰陽局全域に響き渡る、けたたましい警報の音。


界人さんが一生をかけて探し続けてきた初恋の少女。


その清らかな面影は、彼を破滅という名の地獄へと誘うための、最も残酷で最悪の罠に過ぎなかった。


緋色の炎に包まれ、崩れゆく書庫の中で


二人の絆は、かつてないほど無慈悲な形で引き裂かれようとしていた。

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