リリスとの乾杯
どこに連れて行こうか迷った末、俺はやっぱりなじみの酒場にリリスを連れて行くことにした。彼女のような相手には、あまり気取らない場所が一番だろう。ましてや、彼女が魔族であることを考えれば、余計に気楽に構えた方がいい。何かしら問題が起こる可能性はいつでもあるが、少なくとも、この酒場なら俺の顔が利くし、何かあればすぐに対応できるはずだ。
リリスは隣で無言だが、俺に反対する様子もない。まぁ、彼女が「反対する」という感情を表に出すこと自体、あまり想像できないけどな。
酒場の木製の扉を開けた瞬間、賑やかな音が俺たちを包み込んだ。客たちの笑い声、ジョッキがぶつかる音、そして漂う料理の香り。ここはまさに、労働者や冒険者たちの憩いの場だ。目の前の光景が、少しでも彼女にリラックスを与えてくれればいいが――。
リリスを横目で見ると、無表情のまま店内をゆっくりと見回している。特に不快そうでもなく、かといって楽しそうでもない。ただ、いつもの通りだ。彼女の鋭い視線が一瞬だけ、壁にかかっている剣や斧に向けられたが、それもすぐに興味を失ったように前を向いた。
「カイルの旦那、久しぶりだな!」
酒場の主人が俺たちに気づいて、大声で呼びかけてきた。彼は太った中年男で、顔にいつもにこやかな笑みを浮かべているが、その背中には鍛え上げられた筋肉が隠れている。元冒険者だった彼は、時折、酔っ払いを制圧する姿を見せることもある。
「今日は連れがいるんだな?かわいい嬢ちゃんじゃねぇか。」
リリスの顔が少し硬直したが、何も言わず俺を見つめている。彼女の角が2本生えている姿を見て、周りの客が一瞬だけ注目したが、すぐに興味を失った。ここは獣人やさまざまな種族が集まる場所だ。リリスの外見を見て驚く者はほとんどいない。どうやら、彼女のことを獣人の一種だと思っているらしい。
「おう、久しぶりだな。カウンターでいいか?」
「もちろんだ、カイルの旦那。嬢ちゃんもカウンターで大丈夫かい?」
「構わないさ。」俺は軽く笑って答えた。
リリスは何も言わずに頷く。まぁ、彼女が積極的に店の雰囲気に乗るタイプじゃないことくらい、もうわかっている。俺たちはカウンターに座り、主人が笑顔を浮かべながら近づいてきた。
「飲み物はエールでいいか?」と俺がリリスに聞いた。
「なんだそれは?」リリスは不思議そうな顔をして、俺を見つめた。
「まぁ、飲んでみりゃわかるさ。お前にぴったりだと思うぞ。」
リリスは軽く頷いたが、まだ半信半疑の様子だ。主人が2つのジョッキを前に置き、泡が溢れんばかりのエールを注いでくれる。俺はジョッキを持ち上げて、リリスに差し出した。
「乾杯でもするか。」
リリスは少しだけためらった後、ジョッキを持ち上げ、俺とぶつけた。「乾杯だ。」
彼女がジョッキを口に運ぶのを見て、俺も一口飲む。彼女がどう反応するか、少し興味があった。エールは初心者には少し苦いが、喉越しが良いし、慣れれば癖になる味だ。
「おお……口の中がしゅわしゅわする……面白いな、これ。苦いが、悪くない。」
リリスが意外にも楽しそうに言った。
「だろ?意外といけるだろ。」
俺は笑って彼女に言った。
リリスはもう一口エールを飲みながら、興味深そうにそれを味わっている様子だ。俺は適当に料理も注文しておいた。こういう場所で食べる料理は、量が多くて味がしっかりしている。戦士としてのリリスには、こういうガッツリした食事が似合うだろう。
「長年戦ってきたが、お前みたいなのは初めてだ。魔族を飲みに誘う馬鹿がいるとはな。」
リリスがジョッキを置き、少し笑みを浮かべながら俺に言った。その表情は珍しく、少し柔らかく見えた。
「俺もな、誰が魔族だろうが、そんなのは関係ない。お前はお前だ。それだけだ。」
リリスは少し考えるように俺を見つめた後、静かにジョッキを口に運んだ。その視線は、まだ俺を試しているようだったが、少なくとも拒絶はしていない。
しばらくして料理が運ばれてきた。カリッと揚がった唐揚げに、厚切りのベーコン、そしてスパイスが効いたポテト。リリスは唐揚げを一口食べると、驚いたように目を見開いた。
「……うまいな、これ。」リリスは少し感嘆の声を漏らした。
「お前、こんなに美味いものをいつも食べているのか?」
「まぁ、時々な。ここは料理がいいんだよ。」俺は肩をすくめながら答えた。
「この料理人、魔王城へ連れて帰っていいか?」
「まてまて、そいつを連れて行かれたら、俺が困る。」
俺は笑いながら制止する。
「またここに来ればいいだろう。また誘うさ。」
リリスは少しだけ頷いた。
「……そうか、また来てもいい。」
彼女のその言葉には、以前には感じられなかった柔らかさがあった。俺は内心少し驚きながらも、それを顔に出さないようにした。リリスが心を開き始めているのだろうか。
その時、酒場の主人が再び声をかけてきた。
「ところで、カイルの旦那、今日はいつもの仲間はどうしたんだい?今日はこの嬢ちゃんと二人きりか?」
リリスは口を開く。
「あいつらなら、全員私が殺し――」
「いやいや、ちょっと実家に帰ってるんだよ!」
俺は慌ててリリスの言葉を遮った。何を言い出すんだ、まったく。主人は不思議そうに俺たちを見たが、特に深く追及することもなく、笑って引き下がった。
「ところでお前、いつも何食ってるんだ?」
俺はリリスに話を振る。
「……命知らずに挑んでくる奴ら、かな。」
聞かなきゃよかったな。俺は苦笑しながらジョッキを傾ける。
食事も終わり、少し気まずい沈黙が流れた。リリスは立ち上がり、何事もなかったかのように自分の剣を握りしめた。
「さて、もう行くわ。敵の勇者と無駄に過ごす時間なんて、もう十分すぎる。」
そう言いながら、彼女は背を向け、足早にその場を去ろうとした。僕も立ち上がり、ふと彼女に声をかける。
「待てよ。帰り、送ってやるよ。夜道は危ないだろ?」
その言葉を聞いた瞬間、リリスはピタリと足を止め、ゆっくりと振り返った。その顔には呆れたような笑みが浮かんでいる。
「馬鹿か、お前は。私にかなうやつがいると思うか?」彼女は冷ややかな声でそう言い放った。
「この私が、夜道ごときで危険にさらされるなんて考えたことあるのか?」
確かにそうだ。彼女は圧倒的な強さを持つ魔王の娘。僕も何度もその力を思い知らされている。彼女が危険にさらされるなんてこと、まず考えられない。
「……いや、そうだな。でもさ、別に強いとか弱いとかじゃなくて、ただの……なんていうか、礼儀だよ。送ってやるっていうのは。」
そう言うと、リリスはしばし黙り込んだ。剣を腰に戻し、ゆっくりと僕の方に近づいてくる。彼女の鋭い視線がまっすぐに僕を射抜いた。
「……お前、ほんとに面白いやつだな。」
その言葉に、僕は一瞬、彼女の本心がわからなくなった。彼女の瞳に映る自分が、敵としてではなく、一人の存在として見られているような気がした。
「送る必要はない。だが……少しだけ歩いていってもいい。」
そう言い残し、リリスは再び歩き出した。俺は一瞬、戸惑いながらも、その後ろ姿にそっとついていくことにした。
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