はい、なんでしょう母さん
夕食後、風呂を上がってから茶の間でお茶を飲む。ゲーム内時間はまだ夜なので、ちょっと時間があったのだ。そうして一人茶を飲んでいると、2人分の静かな足音が聞こえてくる。これは……。
「宗吾」
「はい、なんでしょう母さん」
茶の間の入り口で声をかけてきた俺の母さんに返事をする。母さんの横にはもう一人。紬を着た女性が静かに座っていた。
「少し話があるわ」
「どうぞ、お茶を出します」
そう言って俺は二人分の湯呑を用意して、茶を入れる。黙ってそれを受け取ると、2人は静かに一口お茶を飲んでから、口を開いた。
「二葉」
「はい。宗吾……さん」
母に声をかけられ、少しつっかえながら俺に言うのは、俺の姉、九堂二葉だ。彼女と俺の関係は、一口で言うのは難しい。
「はい、なんでしょうか」
「……お祖父様の事ですが、そろそろだと思われます。お心の準備をしておいてください」
そう言う姉の言葉に、一つ息を吐く。そうか、そろそろか。心のどこかでそれを悲しむ自分を感じる。それと同時に、少しの喜びも。
「分かりました。覚悟をしておきます」
「よろしくお願いします。あなたはお祖父様の願望を体現する者です。どうか最後には……」
言葉を続けようとした姉の反対側から、2つの静かな足音が聞こえてくる。あぁ、なんてタイミングの悪い。
そう思いつつ廊下を見ると、そこにはやはり、涼子と智香子がいた。2人は茶の間に姿を現すと、涼子が驚きの表情を浮かべる。
「……二葉様」
「あなたに名前を呼ばれる筋合いは無いわ」
涼子が名前を呼んだ瞬間、姉は剥き出しの敵意を持って涼子に吐き捨てる。あぁもう、なにも変わっていない。
そんな様子に、智香子が少し不快げに表情を変える。勘弁してくれ。
だがそんな俺の心情に構うこと無く、姉は今度は智香子を見据えた。
「余所から来た者が我が物顔でこの茶の間に入るなど、随分なものね」
「やめなさい、二葉」
「お母様。このような事認められません」
「宗吾が許しているのです」
母のその言葉に、姉は憎々しげに顔を歪める。そうして次には、俺に頭を下げた。
「……近くお父様よりお話があるかと思います。その際には宗吾さんもお顔を見せて下さい。それでは」
姉はそう言うと俺の返事も待たず静かに茶の間を出ていった。残された母は、一つ溜息をついて智香子へと頭を下げる。
「ごめんなさいね、智香子さん。あの子には私から言っておくわ」
「いえ奥様、お気になさらず」
「それでもねぇ……。ごめんなさいね、失礼するわ」
母も茶の間から出ていくのを確認して、俺は深く溜息をついた。
「……悪いな智香子。不快な思いをさせた」
「別にいいのだけれど。一体なんだったのかしら」
「一口で説明するのは難しい」
口の中にお茶を流し込むと、お茶の渋味が酷く伝わる。
「あれだけ敵意を持たれるような事したかしら」
「あの方にとっては、そうなってしまうんです。後でご説明します。いいでしょうか、師範代」
「……あぁ。俺の口から説明するのは憚られる」
本当に、自分の口で言うのは憚られる。とてもではないが、言えたもんじゃない。そう思いつつ、俺は無理矢理話を変える。
「明日、マリッサが家に来る予定だが、お前達も会うだろう?」
「そうですね、私もお会いしたいです」
「もちろん、私も会うわ」
俺の言葉に2人が快諾する。涼子はともかく、智香子はとても世話になった相手だからな。会うのが楽しみだろう。
「きっとマリッサ達は緊張してると思うわ」
「そうでしょうねぇ」
「そこらへんはもう、どうにもならないからなぁ」
親父が会いたいと言った時のあのリアクションを見る限りは相当テンパっていそうだ。だが俺からはなにも出来る事はないので、せいぜい頑張ってほしい。その後も俺達はマリッサ達がどうなるかを話しながら夜を茶の間で過ごすのだった。
明けて翌日。いつも通り午前の鍛錬を終え風呂を出た所で、経営陣の方が傍に控えて声をかけてきた。
「宗吾様。応接間にお客様がお見えです」
「あぁ分かった。ありがとう」
マリッサ達の事だな。俺は先導する経営陣の方の後ろを歩き応接間へと行く。応接間に着くと襖を開けられ、中では既に親父と智香子、涼子が対応していた。
スーツを着た3人の男女。マリッサとリットン、ベルカスか。彼女達は揃ってこちらを見ると頭を下げてくる。
「宗吾来たか」
「お待たせしました」
「それでは俺はお邪魔するとしよう。あぁ愛莉鈴さん、次に参られる時は商品を持ってくるといい。着物でもあれば良いが、何か小物でも構わんのでウチの女性達に見せてやってくれ」
「ありがとうございます、次は担当者と共に商品をお持ちさせていただきます」
「うむ、それではな」
そう言って親父は応接間を出ていく。その後に俺が席に座ると、彼女達はほっと一息ついた。
「……なんだ、疲れたか?」
「いえ、そうでは……いえ、そうね。疲れたわ。まるで蛇に睨まれた蛙よ」
「もう本当に。本物の大人物のオーラというものですね」
「生きた心地がしなかったです」
俺の言葉に3人が深々と溜息をつきながら言う。そんなに緊張せんでも、取って食われたりはしないんだがな。
「では改めて。九堂武術道場次期師範の九堂宗吾だ。よろしく頼む」
「橘愛莉鈴よ。改めてよろしく」
「佐藤朋美です。ごく普通の一般人なのでなにもしないでください」
「橘健人です」
マリッサ、ベルカスの自己紹介はともかくリットンのはなんだ。別になにもしやしないわ。
「涼子達は既に自己紹介は終えているのだな」
「えぇ、私達は」
「ならばいい。そう緊張しなくてもいいから、甘いものでも食べるか?」
俺はそう言うと廊下で待機している経営陣の方に手をあげる。彼女はすぐにその場を立ち、数秒置いてからお茶菓子の乗った皿を載せたお盆を持ってきた。ほう、今日の茶菓子は芋ようかんか。
それを全員の前に置いて、改めて茶を入れていく。
「ほれ、茶菓子だ。この芋ようかんはうまいぞ」
「……なんか、本当に。当たり前のようにこういう事できるのがもう別世界の住人よね」
「この芋ようかん、めちゃくちゃ美味しいです」
マリッサが呆れた声で言う中、リットンが芋ようかんに口をつけて感動している。そうだろうそうだろう。遠慮せずどんどん食ってくれ。
「それで、親父との話はどうだった?」
「どう、というと。ゲームの話だったり、ウチの会社の説明だったりかしらね。今後もあなた達をサポートしてやってくれとか」
「あぁそりゃ完全に抱え込むつもりだな。あの親父の事だから現実の商売でも太客にでもなろうとしてるんだろ」
そう言うとマリッサ達がギクリと動きを止める。なんだ、気付いていなかったのか。
「ウチはしがないアパレルブランドよ?基本取り扱っているのは洋服だし、取引するメリットなんてないのではないかしら」
「まぁそんなものどうとでもなるからな。実際もう次に訪問する約束もしてしまったし、来ない訳にはいかないだろ」
「それは確かに……。あぁ胡桃を連れてくる約束をしてしまったわ。後で怒られそう」
「胡桃?」
「ナリンセンの事です」
リットンの説明になるほど、と理解する。確かにあいつはデザイン担当と言っていたな。ならば先程の担当者というのはナリンセンの事か。
「そこは頑張ってくれ。そういえば現実で着物を作ると言っていたが、進捗はどうだ?」
「えぇ、今反物を依頼しようとしている所よ」
「良ければウチから反物屋を紹介するがどうだ。割安で着物まで仕上げてくれるぞ」
「そこでお言葉に甘えるのは、ちょっと怖いわね」
「まぁもう遅いとは思うんだがな」
俺がそう言うと、応接間の外から声がかかる。
「宗吾様。ウチと取引のある呉服屋、反物屋のリストになります。当主様よりお客様へお渡しするようにと」
「あぁ、ありがとう」
静かに差し出されてきた紙束を受け取る。流石親父、抜かり無い。そんな俺達のやり取りに、マリッサ達は唖然としていた。
「という訳でリストだ。ウチと取引のある店だからウチの人間のサイズは分かる。着物まで依頼すれば少なくともウチの人間のサイズに合った着物に仕上げてくれるぞ」
「……ありがとう。うん、お願いしてみるわ」
俺の差し出したリストを慎重な手つきでマリッサが受け取る。うむ、頑張ってくれたまえよ。
「とまぁこうして徐々にウチの関係に取り込んでいこうとしている訳だが、そう悪い話でもあるまい。商売としては上手くいくぞ」
「それはまぁそうね。九堂の家と取引があるとなれば会社としては成長できるだろうし。甘えないようにはするけれどね」
「それが分かっていればいい。ウチがやるのは商品を買うくらいだからな。後のことは任せるよ」
「しかし恐ろしいです、その影響力が大きい事を分かっている上での行動は。流石は九堂家当主」
リットンの戦慄した声に苦笑する。当主ともなればそれくらい出来なければいけないのだ。俺も肝に銘じよう。
「で、マリッサとリットンは分かるが、ベルカスも同行しているのはなんでだ?」
「健人は営業部だから。営業担当として顔を合わせておいた方がいいかと思ってね」
「無理矢理同行されられた身としてはたまったものじゃないですけど」
「お前も苦労しているんだな……」
ベルカスの言葉に思わずホロリとする。そうして少し雑談をして、彼女達が帰る段となった。側に控えていた経営陣に声をかけ車を回させる。すぐに車の準備は整い、俺達は門まで見送りとなった。
「それではまたな」
「後でゲーム内で会いましょう、マリッサ、リットン」
「えぇネス。また後でね」
「ネスちゃん、またあとで」
そう言って車に乗り込む3人を見送って、俺達は家へと戻るのだった。




