師範代、ちょっと
朝食を食べてから午前の鍛錬。智香子の指導を受けつつ師範代として他の者の指導をしている所に、師範から声がかかる。
「師範代、ちょっと」
「はい、師範」
手招きされて前に呼び出されると、そのまま正面に座る。師範の顔を見ると、少し困ったような表情を浮かべていた。
「隼人なんだが、昨日から明らかに伸びている。見違える程の成長だ。理由を教えてほしい」
「そうですね。やはりゲームの中でみっちりと智香子の指導を真剣を交え受けたので。成長しなければおかしいかと」
「やはりそうか。うん、その事自体は喜ばしい。今のまま成長していってくれると助かる。が、他の者にとってはそうも言ってられない」
「と、申しますと?」
俺の問いかけに、師範が一層困った顔をする。おやおやこれは、本気で困っているようだ。
「ゲームを始めてから、お前達の成長が著しい。そこへ来て今の隼人のさらなる成長。他の者はこう考えるのだ、ゲームをプレイしなければ置いていかれるのでは、とな」
「あぁ、それは確かに」
「その不安も分かる。実際にお前達は顕著に成長しているのだからな。だが当道場として鍛錬にゲームを導入する、とは中々言えんのだ」
「それはそうでしょうね」
師範の言葉に思わず頷く。俺も最初はそうだった。所詮はゲームだと思っていた。
あの世界を知る前の俺が、師範が鍛錬にあのゲームを導入すると言い出していたら、迷わず正気を疑っていただろう。師範がそこに切り込めない理由も分かるというものだ。
そう考えていると、師範が言葉を続ける。
「なのでこうしようと思う。福利厚生の一環として申請者に対しあのゲームを道場としては一部費用負担する。ゲーム内での活動については各々自由に行ってよいものとする。師範代からの指導についても、本人達の都合を優先した上で自由にする」
「師範代からの指導は義務ではなく自由でよろしいんですか?」
「そうしなければ、少なくともお前と智香子さんはゲームにログインしている間ずっと指導しなければならなくなるぞ?」
「……それは嫌ですね」
「だろう。なので自由だ。その上で、希望者を募った上で他の師範代もゲームに送り込む。彼らも内弟子と宗吾の成長は分かっている、否とは言うまい。で、その手続きが済み次第、ENDrエンターテインメントに声をかけようと思う」
一瞬、師範の言った事を飲み込むのに時間がかかった。ENDrエンターテインメント、つまりゲームの開発元運営か。
それはそうか。働きかけができる力があるのであれば、それを行えばいい。幸いにしてウチは、その力がある。
「ではその吉報をお待ちしております」
「うむ、それが済み次第情報を共有しよう。あぁ今の話は一応内弟子と智香子さん達に連絡しておいてくれ」
「それに関して一つ。既に門下生の中から二人、ゲームを開始した者がいます。紅葉と楓です。拳児と隼人が誘ったようです」
「ならば、紅葉と楓にも通達を。彼らにはまずゲーム内の先達として教えてもらう事があるからな」
「かしこまりました」
やれやれ、中々大事になってきたなと思いながら、鍛錬中の内弟子と紅葉、楓に声をかける。
そうして午前の鍛錬を終えて風呂をあがった後茶の間に赴くと、声をかけてあった内弟子3人と紅葉、楓、智香子が集まっていた。紅葉と楓はどこか居辛そうだ。
「待たせたか。紅葉と楓はなにかあったのか?」
「師範代、お疲れ様です」
「いえ、何もないのですが。本館の茶の間に入るのは初めてですので、少し落ち着かないといいますか」
あぁなるほど。彼女達は普段別館で過ごしているからな。道場以外の本館が落ち着かないのか。
「そうか。俺達が別館にお邪魔した方が良かったかな」
「いえいえいえいえ!そんな恐れ多い!」
「そうです!他の方は兎も角師範代に別館に出向いていただくなど、私達が叱責されてしまいます!」
「お、おう、そうか。それは済まなかったな」
必死に拒否する彼女達に、思わず引きつって謝罪する。こういう若干の距離感がなんか苦手だ。敬ってくれるのはいいんだが、敬いすぎというか。そんな事はまぁいい。
「それでは、早速本題だ。今日師範と話をしたのだが――」
そうして俺は、今日師範と話した事をこの場にいるゲーム参加者に共有する。
そうして全てを話し終えると、智香子がはぁ、と溜息をつきながら言った。
「何だか、話が大きくなっているわね。道場参加者のゲーム利用に関しては分かるけれど、運営に働きかけを行うというのがこの道場らしいわ。それだけの力はあるものね」
「とはいえ別に特別な便宜を図れとかそういう話をするつもりはないと思う。もっと単純な話で事は収まるのではないかな」
「だといいけれど。それで、私達にはゲームの先達としてゲーム内での過ごし方とかを新たに参加する門下生達に指導すればいいのかしら?」
「そういう事だな。最初は新規参加者が多くて大変かもしれんが、協力を頼む。拳児と隼人は特にな」
「ちょ、なんで俺達名指しなんですか?」
「お前達は前線組として活動していたからな。ゲーム理解が一番深いだろう。その知識を披露しろという訳だ」
「諦めましょう拳児。こうなった以上腹をくくるしかありません」
潔い隼人が腹を決めると、拳児が渋々頷く。どちらにせよお前達には、拒否する権利などありはしないのだ。
「まだ門下生参加までは時間がある。それまではみんな、今まで通り活動してくれ。それでは以上、解散」
俺が声をかけると拳児と隼人、紅葉と楓がそれぞれ席を立ち自分達の部屋へと帰っていく。それを見送って、ふぅと一息ついた。静かに横から差し出された湯呑を掴む。
「ありがとう涼子」
「いえ、お疲れ様です」
「それで、宗吾。私達の今後のゲーム内の活動についてなのだけれど、なにか決めている事はあるの?」
智香子からの問いかけに対し、うーんと考える。今の所これといってやらなければいけない事とかは考えていないのだが。あ、そうだ。
「とりあえず商業ギルドの件が片付いたら、トゥリエスに行きたいかな。『グランドール』のジェニスに会いに」
「あぁ、傭兵団の。いいんじゃないかしら」
「そうですね、一晩ではありますがお世話になりましたし、ご挨拶に伺ってもいいかと思います」
俺の意見に智香子と涼子が同意する。このまま第2の街に留まっているのも何だし、先に進むのもアリなんじゃないかと思っている。折角の世界だ、見て回っても損は無いだろう。
「そこから先はとりあえず先に進む感じかな。少なくとも第6までは行ってみたい」
「そうですね、いいと思います。そこら辺まで行けば武器も防具も一定以上の素材の獲得はいつでもできるようになりますし」
「そうね。一度行ってしまえばあとは転移門で移動できるし、そこまでは開通させましょう」
「決まりだな。俺は今後は第6までの開通を目指す。涼子は第6に行ったことがあるか?」
「私はありますよ」
「私は今のネスティフでは行ったことないから、私も行く必要あるわね」
「うむ、ならばそうしよう」
とりあえずの目標が決まって安心する。ここから先の行動は自由だ。今回のような野盗に関わったりとかしなければ、やらなければいけない事などはありはしないのだ。
「それにしても……野盗の一件から、まさかこうしてあなた達と一緒に暮らすなんて事になるとは思いもしなかったわ」
「それは俺もそう思う。まさかリアル時間一週間足らずでこんな事になるとはな」
「本当ですよ。師範はそういう所常識の埒外なんですから」
しみじみと呟いた智香子の言葉に同意せざるを得ない。まさかこんな事になるなんて誰が予想できただろうかと。
しかしまぁ、現状も悪い訳ではない。
「そうね、でも今の状況も悪くはないわ。日常に張り合いができた気がするの。感謝しているわ」
「ご実家ではお弟子さんの指導とかなさっていなかったんですか?」
「昔はしていたのだけれど、当主が兄に代わってからは、ね。そういう訳で、今の状況は楽しいわ」
「ならばいい。今後はガンガン指導していく事になるだろうから、よろしく頼む」
俺の言葉に智香子は笑顔で頷く。それからあぁでも、と呟いた。
「今後は私のものは根須体操術では無くなるんでしょうね。私の指導によって生まれる九堂体操術になる、か」
「伝統の根須体操術は実家が引き継げばいい。俺達が欲しいのは智香子の体操術だからな」
「そういう所はあなたも当主様も同じよね」
「師範と師範代は親子ですから」
そう言って笑う智香子と涼子に少々憮然とする。俺はあそこまで腹黒ではないぞ。
「なに不貞腐れてるのよ」
「師範代っていつもこうなんです。師範と似ている所を指摘されると不貞腐れるので」
「涼子は余計な事言わなくていい」
そう言ってデコピンする。額を押さえててへへと笑う涼子。その様子を見てから時計を見ると、そろそろ昼前といった所だった。
「あぁ、何だか午前はログインできなかったな」
「ま、あの話があったもの仕方ないわ」
「そうですね。お陰で今後の目標も決まったしいいんじゃないでしょうか」
「そうだな。ひとまずの目標は決まったか」
本格的に九堂武術道場がゲームに参加するまでにどこまで進められるか。道場の門下生が本格的に参加してきた後で、どれだけ時間の余裕が取れるか。
少なくともゲームの中でもずっと門下生に指導をするだけというのは御免被りたいものだ。
「あー、門下生の参加までの時間的余裕はどれくらいあるかなぁ」
「あんまり余裕ないのは困りますよね」
「そうねぇ。できれば私達の第6到着後にして欲しいわ」
「可能ならな。まぁそんな風にこちらを慮ってはくれないだろうけど」
「ですよね」
誰もが分かっていた答えに辿り着いて3人揃ってはぁ、と溜息をつく。いかんいかん。このままでは沈むばっかりだ。
「とりあえず昼飯食べて切り替えるか」
「そうですね、行きましょうか」
「えぇ」
そうして、3人揃って茶の間を出るのだった。




