22 悪役令嬢、王子の取り巻きと打ち解ける
「俺、ハーシェル伯爵家の三男なんですよ」
どこか遠くを見ながら、ウィレムはぽつりとそう呟いた。
「貴族の三男なんて跡継ぎの予備の予備。相続には期待できないので、なんとか身の振り方を考えないといけないんですよ。幸いうちは昔からよく騎士を出してる家系で、俺も小さい頃から剣術の稽古だけは、みっちりつけてもらってたんです」
なるほど。シンシアの言った通りだ。
メリアローズはウィレムに対し、まったくそんなイメージは持っていなかったので、少しだけ驚いた。
「そろそろ家を出るか……って考えてる時に大臣に誘われて、チャンスだと思ったんですよ」
「チャンス?」
「俺の役割は王子の取り巻き。大臣のお墨付きで王子に近づけるんです。王子の覚えめでたければ、将来的に出世もできるんじゃないかって……そういう打算があってこの計画に乗ったんですよ」
ウィレムはぱくりと一口揚げジャガを齧ると、メリアローズの方へ振り向いた。
「もちろん今は王子のことは尊敬してるし、立派な方だと思ってます。心からお仕えしたいとも思ってる。でも、始まりはそんなよこしまな動機なんですよ。だから、俺はメリアローズさんのように純粋に二人の幸せを願っていたわけじゃないんです」
ウィレムはそれだけ言うと、力を失くしたように俯いた。
「……軽蔑、しましたか」
「いいえ、そんなはずないじゃない」
メリアローズが即座にそう答えると、ウィレムは驚いたようにメリアローズの方を振り返る。
そんな彼に、メリアローズはそっと微笑んで見せた。
「あなたは、自分の将来のことをきちんと考えているんでしょう。私は立派だと思うわ」
メリアローズとて、まったく打算がなかったかといえばそうではないのだ。
ウィレムは自分の行く先を見据えている。周囲に流されてばかりのメリアローズとは大違いだ。
そんな彼を、少しまぶしく感じるほどだ。
「いいじゃない、どんなきっかけだって。最終的に上手くいけばそれでいいのよ。それに私たち、こんなに苦労してるんだから……少しは見返りを期待してもいいとは思わない?」
そう言っていたずらっぽく笑うと、つられるようにウィレムもくすりと笑う。
きっと彼は……少し、重く考えすぎているのだ。
「もちろん計画を成功させることが第一だけど……少しくらいは、楽しんでも罰は当たらないわよ」
「そうかも……しれませんね」
「そうそう。そうだ、あなた、普段からそういう格好をしてみたら?」
そう提案すると、ウィレムは慌てたように首を何度も左右に振った。
「そんなことできませんよ! 王子の取り巻きは、決して目立ちすぎてはいけないんです」
「そういうものかしら……」
確かに、ウィレムが普段から今日のような装いをしていれば、女生徒がさぞかし騒いでいたことだろう。
そうなれば、王子とジュリアの恋を応援どころではなくなっていたのかもしれない。
「でも勿体ないわね……あなた、少しは女生徒に騒がれたいとか思わないの?」
「……王子やバートラムを見ていると、決していいことばかりではなさそうだと思います」
「ふーん、じゃあ好きな相手はいないの?」
そう問いかけると、ウィレムの頬がかっと赤くなる。
そのわかりやすい反応に、メリアローズはしめた、と口角を上げ目を輝かせた。
「やっぱりいるのね! ね、誰?」
「べ、別にそんなの――」
「いいじゃない教えてくれたって。もしかしてジュリアに横恋慕? それともリネットかしら!」
「はぁ、まったくあなたは……」
ウィレムはがしがしと前髪をかき上げ、じとっとした視線をメリアローズの方に寄こした。
どうやら素直に教えてくれる気はなさそうだ。
つまらない、とメリアローズは不満に口を尖らせた。
「でも、そうなら悪かったわね。デートになんか誘ってしまって」
「いえ、言い出したのは俺の方ですから。……メリアローズさん、一応言っときますけど、誰彼構わずそういう軽率な誘いはかけないでくださいよ」
ちゃんと公爵家の威厳を保ち、悪役令嬢としての節度を保て、ということだろうか。
確かに、今回のことはメリアローズも十分に反省していた。
「えぇ、わかってるわ。我儘はこれでおしまい。明日からはちゃんとした悪役令嬢に戻らなくちゃね」
「メリアローズさん……」
「でも王子もジュリアもバートラムもあなたも、恋い焦がれる相手がいて……楽しそうね」
その点については、メリアローズは彼らを素直に羨んでいた。
心から、自分の立場も何もかも投げ出すほどに、誰かに恋い焦がれる気持ち。
メリアローズが、未だ知らないものだ。
「私にもいつか、わかるかしら……」
恋物語の中のような、純粋な想いが――
「メリアローズさん」
そう思考が沈みかけた時、ウィレムの強い意志を感じさせる声に、はっと引き戻される。
視線を向けると、ウィレムは今まで見たこともないほどに真剣な顔でメリアローズの方を見つめていたのだ。
その強い視線を受けて、メリアローズはまるでその場に縫い留められたように動けなくなってしまう。
「メリアローズさん、俺は……」
ウィレムは何度か口を開いて閉じてを繰り返したのち……決心したように顔を上げた。
メリアローズの視線と、ウィレムの視線が絡まり合う。
そして彼が続きを口にしようとした時――
「さあさよってらっしゃい見てらっしゃい! 王都随一の楽団のおなりだよ!!」
広場中に響き渡るような大声が聞こえ、メリアローズとウィレムは思わずそちらに視線をやる。
見れば、広場の中央辺りに楽器を構えた楽師たちが集まっており、その周囲を取り囲むように人だかりができている。
それに気づいた人たちが、今もどんどん集まってきているようだ。
「今日、野外演奏の日だったのね」
「……見ていきますか?」
「もちろん!!」
メリアローズが望めば、この国で最上級のホールでオーケストラの演奏を楽しむことも容易くできる。
だが、こういった場での演奏を聴く機会は中々訪れないだろう。
この場を逃す手はない。
「はぐれないようにしてくださいね」
「じゃああなたにくっついてるわ」
「…………はい」
人ごみの中ではぐれないように、メリアローズはウィレムの腕に自身の腕を絡めるようにして歩き出す。
人にぶつかりそうになると、巧みにウィレムが誘導してくれた。
そして、メリアローズは無事に野外演奏を満喫することができたのである。
普段とは違う熱気の中で楽団の演奏を聴きながら、メリアローズはふと先ほどウィレムはなにを言おうとしたのだろう、と思い起こした。
だが、まぁ、後で聞けばいいわ……とすぐに思考の片隅に追いやってしまったのである。
そして、軽快な音楽に酔いしれるうちに、すっかりそのことを忘れてしまったのだ。
◇◇◇
「あー、楽しかった……!」
広場で演奏を楽しんで、大通りの店をのぞいて、今は少し奥まったところにある、人気の少ない小さな通りを歩いている最中である。
そろそろ日も暮れる時刻だ。いつまでもウィレムを拘束し続けるわけにもいかないし、あまり遅くなれば家の者が心配するであろう。
そろそろ、この楽しい時間も終わりが近づいてきているのをメリアローズは悟っていた。
……まだ、帰りたくない。
ウィレムが言い出すまでは黙っておこうと、メリアローズはそっと喉まで出かかった言葉を飲み込む。
そんな時だった。
「っ……!」
いきなり、横を歩くウィレムが強くメリアローズの手を握り締めたのだ。
その途端、メリアローズの鼓動が跳ねた。
「な、なに……」
「そのまま、歩いて」
どぎまぎしながらそう聞くと、帰ってきたのはどこか冷たさすら感じさせる返事、というよりは指示だった。
すぐに、メリアローズは何か予想外の事態が起こったことを悟る。
即座に口を閉じて耳を澄ませ……メリアローズにもウィレムが何故そう言ったのかがわかった。
規則的な、複数の足音。
――つけられている?
「……大丈夫です、落ち着いて」
「えぇ、落ち着いているわ」
こういう時は、焦れば焦るほど事態は悪化していくものだ。
そう昔教えられたことを思い出して、メリアローズはそっと呼吸を繰り返し頭を回転させた。
今二人がいるのは、あまりひとけのない小さな通りだ。
大通りへと続く道もあれば、薄暗い路地裏へと続く道もある。
なんとか、大通りへと戻らなくては……。メリアローズがそう考えた時だった。
ウィレムの彼らしくない舌打ちが聞こえ、メリアローズはそっと顔を上げる。
二人の行く手には、明らかにガラの悪そうな者たちが数名、待ち構えていたのだ。




